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 古来より人の一生は月の満ち欠けで決まるとされてきた。今宵は新月。俺の痛みも今宵で終わる。  俺が生まれた村を守る山には『蒼ノ宮』と呼ばれる社があり、社がある山里は『眠り巫女の里』と呼ばれ、その昔……都の厄災を払う為に朝廷の巫女が作ったと言われている。そこに暮らす巫女は、人々の苦しみや悲しみとなる心痛を全て引き受け、その痛みを躰に刺青として刻み、刺青が躰全てに刻まれた巫女は最期に痛みを眼に刻む為……咎打ちの男の杭に痛みを与えられながら胸に杭を打ち込まれた後、痛みを刻まれた眼を閉じ、眠りに就かねばならなかった。だが……数百年前、一人の巫女が痛みをあの世に流しきれず、里に厄災をもたらし全ての巫女は息絶えてしまった。  咎打ちの男は決して巫女に顔を見せてはならぬ。巫女の眼が痛み以外のモノを映せば厄災が起きる。そう言い伝えられていたのに、その禁忌を犯したのは……何故?厄災の話を里の鎮女神子であった爺やにどんなに訊いてみても、爺やは口を一文字に結び、言葉を噤み、決して語ろうとはしなかった。幼い頃はただただ疑問だったが……今となっては爺やが口を噤んだ理由がよくわかる。決して語ろうとしなかったのは……同じ失敗を繰り返さぬ為だったのだろう。人は知ってはいけないモノに触れてしまえば、再び同じ過ちを犯すものだから。知らぬままがよい。それがこの里の……理なのだ。  『眠り巫女の里』は『戒の儀』が行われる新月の夜以外は、何人たりとも男は入る事を許されなかった。表向きは。けれど、巫女の血を絶やすことは出来ず、心痛の聴こえぬ巫女は『刺青の巫女』の御魂を鎮める『鎮女巫女』となり、役目を終え眠りに就いた『眠り巫女』に祈りを捧げながら、村から種馬となる稀人(マレビト)を招き入れ、巫女の血筋を保っていたそうだ。だが……男児は忌子とされ、生まれれば直ぐに里から村に出された。  厄災後も『戒の儀』を続けなければならぬと考えた村人は、村で巫女の血を引く男児を神子と呼び、その血を引く家の者が満月の夜に男児を生めば直ぐに『神子の儀』と呼ばれる去勢術を受けた後、神子は里で暮らし『刺青の神子』となる。俺も……その神子の一人だ。  月に一度、社に人々の痛みを込めた文が届けらる。その文を『鎮女神子』が古来から伝承されている音にのせ謡う。その音は軈て人々の聲となり、神子はその聲を聴き、痛みを自らの内に呼び入れその痛みを刺青に変え、躰に刻む。人々の心痛を神子は刺青とし、神子の躰に引き受けるのだ。その刺青が全身に刻まれれば、新月を待ち、『戒の儀』が執り行われ『眠り神子』となる。  十五を迎え社で初めて『鎮女神子』が謡う音を耳にした時、足先に痛みが走った。その痛みが上へと這い上がって行くと、『鎮女神子』が謡う音は聲に変わり、その聲の主の苦しみや、悲しみを俺に聴かせ、俺の足先に刺青を刻み……俺はその痛みを躰に引き受けた。そうして……俺は『刺青の神子』となった。  鎮女神子が謡う音を耳にしても痛みの聲を聴けなかった者は『鎮女神子』となるのだが……俺はそれが羨ましかった。俺も鎮女神子だったならば……彼にもう一度、会えただろうか?『刺青の神子』に選ばれ、全身に刺青を刻まれた俺は次の新月を迎えれば『眠り神子』となる運命。どんなにこの胸が痛もうとも、その運命は変えられない。俺は少しづつ欠けていく月を見上げる。まだ明るさを十分に残した月を見上げれば……忘れようとしても忘れらない……里に現れた彼の顔が浮かび、胸が痛んだ。このままでは『破戒』を招いてしまうと思いながらも、彼を忘れられない俺。  村の者でも神子ではない男児は決して入ってはならぬ教えなのに、一人の男子(オノコ)が薄紅色の花が咲く頃、何処からともなく現れて。空を見上げ、散る花弁が舞うのを見ている俺に話しかけてきた。聴けば村の薬売りの息子らしい。年に一度、桜が咲くこの時期に村から薬を届けに来る事になっているらしく、彼は名を修と言い、父の仕事を継ぐ為、一緒に里に来たそうだ。村からこの里までの道順は、決められた者にしか教える事はならず、地図にも残してはならぬ決まりで、修は里への道を覚える為に父に連れられて来たと言っていた。  「君は神子なの?」  「そうだけど……」  「名前は?」  「馨」  「馨も刺青の神子になるの?」  「わかんない……十五になるまでは」  「そうなの?馨は今、何歳?」  「俺はこの前の冬に十になった」  「俺もだよ!俺も新年を迎えて十になった!」  「じゃ、一緒だね」と笑う修の頬は桜と同じ色をしていて。「また、来年……ここで会おうね」と指切りをした修の指は温かく、俺の指よりもしっかりとしてて。何故かは分らぬが、俺も翔と同じ男子なのに女子(オナゴ)みたいな華奢な指をしてる自分が恥ずかしくなったのを今でも鮮明に思い出す事が出来る。  それから毎年、俺は修との約束を果たす為、桜が咲き始めると里で一番大きな桜の木の前で修を待った。会う度に修は男らしくなり、背も何時の間にか俺を追い越していた。俺が十五を迎え『刺青の神子』に選ばれた年……修は桜が咲いても姿を見せなかった。その年は寒波が酷く、春になっても感冒が村人を悩ませており、感冒にかかっていた修は高熱で、その年は父について来る事が出来なかったと次の年に聴かされたが、修に会えなかったその一年は俺の胸を酷く痛めた。  修に何かあったのではないか?流行病か何かで亡くなったのではないか?『刺青の神子』となり、痛みが躰に刻まれていなかったら俺は……里を抜け出し、修を探しに行ってしまっていたかもしれない。  「刻まれた痛みは社から遠ざかれば、たちまち脅威となり俺を襲い、俺の魂を奪ったのち、里に厄災をもたらす」  『刺青の神子』になった夜、そう聴かされていなければ……俺は禁忌を犯してでも、修の姿を求め月明かりだけが頼りの夜道を走り出していただろう。けれど俺は……『刺青の神子』となっていた。社から離れ、里から抜け出すことは許されない身。ならば……願うしかなかった。修の身の無事を。ただ、ひたすら……願うしか出来ない俺の胸は痛みでいっぱいになった。  次の年……散り行く桜の花弁が舞う中、修が現れ「ごめん、去年は約束守れなかった」と気まずそうに笑っても、俺の胸の痛みは治まる事はなく、気づけば修に駆け寄り抱きついていた。小袖から覗く腕に刻まれた刺青を見て「刺青の神子になったんだね……」そう言って悲し気に俺を見つめる修が俺の眼に映れば、更に胸は悲鳴をあげ痛みが胸を襲う。  この痛みは……俺の痛みだろうか?俺は人の痛みを引き受け、その痛みを躰に刻む。なら……俺の痛みは?俺の痛みは……誰が引き受けてくれるのだろう。  「痛い……胸が痛い……。修に会えなかったこの一年、ずっと痛かった。修に何かあったんじゃないかと思えば思う程、胸が痛かった。なのに……こうして無事、修に会えたと言うのに……如何して俺の胸は痛むの?この俺の痛みは……誰か引き受けてくれるの……」  「俺が……引き受けるよ」  先ほどより悲しみを色濃くさせた修の顔が俺に近づき、唇が重なった。重なった修の唇から伝わる温かさが、悲鳴を上げる俺の胸に伝わると、痛みが少し和らいで行く。  「俺が馨の痛みを引き受けるから……泣かないで」  修にそう言われて、初めて俺は涙を流している事に気づく。頬を伝う涙を修が温かな唇で拭ってくれると、締め付けられるように痛んでいた胸は甘く疼きだし、「じゃ、俺は……文がなくっても修の痛みを引き受けてあげるよ」と言い、悲しみで潤ませた修の瞳を俺の眼に映しながら今度は……俺から唇を重ねた。  こうして……俺達は互いに痛みを分け合う仲となった。けれど……それも長くは続かない。十八の春を迎えずじて、俺の躰は刻まれた痛みで埋め尽くされた。首筋にまで達していた刺青は桜が咲くのを待たず、顔を覆い尽くす。次の新月が来れば俺は……『眠り神子』にならねばならぬ。  全身に刻まれた痛みよりも、俺の痛みが胸を苦しめて。その胸の痛みに俺はやっと……爺やが話したがらなかった昔話を知る。巫女は『戒の儀』を行った咎打ちの男を好いていたのではないか?俺のように……。『眠り巫女』になる前に、その男と出会ってしまっていたのではないか?だから……せめて最期はその男の顔を眼に刻みたいと願ったのではないか?男も巫女を好いていたのだろう……禁忌を犯し巫女に顔を見せたのではないか?巫女の男を想う痛みが、刻まれた痛みよりも増し、巫女は引き受けた痛みを流せず破戒を導き、厄災を起こしてしまった。これが……きっと、巫女から神子に変わった理由だろう。  女子は恋をしてしまう。巫女では全身に痛みを引き受け、『刺青の巫女』となったとして恋をしてしまえば『眠りの巫女』の役割が果たせず、また厄災を引き起こしてしまう。ならば……女子ではなく男子を。巫女ではなく神子をとなったのだろう。男子なら『戒の儀』を執り行う男に恋することはないだろうから。考えてみれば、それが……自然な形だ。  男子は男に恋をしない。では、俺のこの胸の痛みは……?恋ではないと……思いたい。俺の痛みをこの世に残して『眠り神子』になる事は許されないのだから。  俺は弱々しい明かりを放つ月を見上げ願う。修が引き受けてくれた痛みを俺に返して下さい。俺の痛みも全て俺が引き受け、残さず流します。だから……修から俺の痛みを返して下さい。その願いも虚しく……桜はまだ咲かぬのに、修が里に姿を見せた。咎打ちの男として。  里で一番大きな桜の木が花の蕾をつけ始めた、まだ肌寒い新月の夜だった。俺は滝で身を清めた後、引き受けた痛みの聲を漏らさぬようにと俺は口の中に布を押し込まれ、鎮女神子が編んだ綱で両手を背中の後できつく結ばれ、社の中で『眠り神子』になるべくして咎打ちの男を待っていた。遠くから……鎮女神子の祈りの聲と共に草履が土を踏む鈍い音が幾つも聴こえてくる。軈て、その聲と音は社のまでピタリと止まり、頭から布を被った村人に連れられ咎打ちの男が社内に入れられると社の扉は村人達の手によって閉じられた。  咎打ちの男も『眠り神子』と等しく清くならなければならい。婚姻をまだ結んでいない、村の若者が咎打ちの男として選ばれる。咎打ちの男も村人と同じく頭からは布を被され『眠り神子』に聲を聴かせぬように口には猿轡をされていた。  社の天窓から見える新月だけの仄暗い月光。外からは鎮女神子の祈りの聲と錫杖の音。これまでに『眠り神子』となった御魂が祭られている祭壇の前で座した俺の肩に、咎打ちの男の指が触れた瞬間、俺はその男が修だと知る。この指は……あの日、指切りをした指だ。そんな……如何して。  俺は胸に鋭い痛みを感じ後ずさるが、直ぐに祭壇に背が当たりそれ以上逃げる事を許されない。布が被せられ視界が自由にならないとは言え、狭い社内で翔が俺を捕まえる事等容易くて。俺は必死に俺の聲を塞いでる布を吐き出そうとするが、両手が使えぬこの状況では難しく、喉を鳴らし、言葉にならぬ小さな呻り聲をあげる事しか出来ず、修の耳に俺だと告げらぬまま、修は習わし通り『戒の儀』を執り行う為俺に近づき、逃げようともがく俺の腰を持ち上げると、何度か自身を左手で扱き上げ、勃ち上がった杭で俺を貫く。  鋭い痛みが繋がった場所から徐々に広がり、俺を襲う。繋がった場所から聴こえていた乾いた音は、俺を襲っていた鋭角な痛みが鈍くなり、その痛みが軈て疼きに変わり出した頃には水音を含む湿った音へと変わったが、胸を刺す鋭い痛みは消えぬままで。  このままでは『破戒』を引き起こしてしまう。それだけは避けなければ。繋がった場所から絶え間なく与えられる疼きと胸の痛みを堪え、俺はなんとか聲を塞いでる布を吐き出した。  「修!」  発せられた俺の聲に俺を激しく揺さぶっていた動きが止まった。  「……!!」  修は俺の聲を聴き、禁忌を犯す。猿轡を取り、被らされていた布を脱ぎ棄て俺を見た。  「馨……嘘だ、そんな……っ!」 鎮女神子の祈りの聲と錫杖の音が止まり、閉ざされた扉が開かれた。天窓から顔を覗かせていた新月だけで仄暗かった社内が、突然松明で明るく照らされる。その明かりに照らし出された悲し気な修の顔。村人達に俺から引き離され、悲痛な叫び聲を上げ俺の名を呼ぶ修の聲。  「破戒が起こる!」  「こいつは神子に痛みを全て注ぎ込んでいない!今ならまだ、間に合う!」  「殺せ!咎打ちの男を殺せ!」  村人の聲に混じらせ俺の悲痛な聲を上げ叫んだ。  「逃げろ修!!」  けれど……その聲は修には届かない。後手に綱で結ばれた両手のせいで起き上がれずにいる俺の目の前に、嫌な音を立て修の首が転がって来た。見開かれた俺の眼に映ったのは……あの日、修が引き受けてくれた俺の痛みだった。  古来より人の一生は月の満ち欠けで決まるとされてきた。今宵は新月。俺の痛みも今宵で終わる。ならば……皆の痛みも今宵で終わればいい。  俺は修と俺の痛みを刻んだ眼を閉じ、自ら舌を噛み切った。

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