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幻滅世界

 一つの世界に幻滅すれば人類は新たな世界を構築する。  ここは新しい世界の一つとなるモデル都市だ。昨今、性同一性障害だと声を挙げる人が増え、異性への嫌悪感を感じる人口が増え続け、以前はminorityだった彼/彼女等が現在ではmajorityになり、同性婚を認める運動が東京、名古屋、大阪と言った都市だけではなく日本全国に広がり、政府が苦渋の決断を下し作ったのがこの新世界を視野に入れたモデル都市だ。  隼人くん俺も例に漏れずと言えば流行りに乗ったような感じがして気分が悪いのだが、厳密なテスト、医師やカウンセラーによる問診等を受け、このモデル都市の住人となったのは一年前。だが……もともと俺は同性愛者ではなかった。隼人くんに出会って道を踏み外したのかもしれない。こんな言い方、隼人くんが聞けば傷つくだろうけど、実際……そうだと思う。  出会いこそ仕事関係だったものの、何となく意気投合した隼人くんと俺は互いの時間が合えば飲みに行くような関係になり、そこはかとない色気を含んだ瞳で見つめられた後、ふとテーブルに移された視線や閉じられた瞼に、色濃く影を含む長い睫毛に憂いや儚さを感じてしまった俺は、気づけば彼をこの腕の中に抱きしめていた。  この都市の住人になる事を親、兄弟に伝えた時、父は激怒し母は泣き崩れた。妹と弟に関しては何も言葉が見つからないと言った表情をした後、俺から視線を逸らしずっとリビングの床を見つめていた。その時、踏み外そうとしている道を軌道修正していれば……この憂い病んだ世界に俺はいなかったのでは?そう想いを馳せてはみるものの……事実、俺が存在するのは失意に満ちた世界で。俺独りでこの絶望しか残っていない世界を新たに構築させる事等可能なのか?と己に問うてみても……答えは到底見つけることは出来なくて。俺は結局何も出来ないままこの……モデル都市だが既に破綻してしまっている世界で生きている。  けど……当初は違ったんだ。隼人くんとモデル都市である此処に来た当初は。自由に、世間の目を気にせず、誰かの言葉に傷つくことなく隼人くんを愛せると夢を描きこのモデル都市に俺は意気揚々と移り住んだ。隼人くんあのスラリと長い指に俺の武骨な指を絡め、俺の愛してやまない美しい隼人くんの横顔を瞳の中に忍ばせて。  そんな俺の胸躍らされていた希望が失望に変り、やがて何の期待すら望めなくなってしまった俺が絶望感に苛まれ、俺の中の何もかもが破綻し、俺の中で隼人くんへの愛さえもが幻滅してしまったのは何時?きっと、それが何時だったと分かった所で何も変わらないのだろうけれど。それでも俺は……それが何時だったのか考えてしまう。もし、その時をやり直せれば……この世界から抜け出さるのではないか?と思って。否、もしやり直せないとしも、そしてこの世界から抜け出せないとしてもだ、せめて隼人くんへの愛だけは取り戻せるのではないか?と思って。  俺の中の『愛しい』と言う感情が隼人くんに再び向けられることが出来るのであれば……俺はそれが何時だったのかを知りたい。そんな馬鹿な考えに四六時中支配されている時点で、まだ隼人くんを愛してる事に気づけなくなってしまっている俺は……隼人くん同様、狂ってしまっているのかも。  あれは何時だった?隼人くんとこのモデル都市で子供を育てる為の説明会に行った時だったっけ?此処に来て、俺の中にあった沢山の希望の一つが失望に変わった。  同性婚ばかりのカップルしかいない此処では、当たり前だがどんなに互いを愛し、愛を込めたセックスを重ねた所で、奇跡でも起こらない限り互いの愛の証である子供は望めない。そんな俺達の様な同性婚のカップルが子供を望むなら、養子を迎えるか、もしくは俺達とは違う女性の同性婚カップルと契約を結び精子と卵子を提供し合い、当たり前な話だが人工的に子供を儲けるしかなかった。  隼人くんがこのモデル都市にどこまで夢を描き、きっと天変地異でも起きない限り叶わないであろう奇跡を信じ、此処に移住して来たのかは俺には計り知れないけど、説明会の後、会場の椅子から立ち上がる事無く説明を聞いている間中、胸中に溜まっていったであろう苦しみや切なさ等の感情を一気に吐き出すように、俺へと向けて言った言葉に、俺はこれまでにない絶望感で襲われた。  「オレ……南クンの子が産みたかったな」  隼人くんに学が無い事に悲観したのか?隼人くんがこのモデル都市に抱いていた夢が叶わないと知って失望したのか?否、そうじゃない。俺が……俺では隼人くんの抱く夢を決して叶えてあげれないことに、俺は挫折感を心底感じ、俺の胸の中は絶望感で一杯になったのだ。  俺は今まで俺という人物を構築して来た全てを投げ捨て、両親にこれ以上ない程の親不孝をし、弟や妹までも巻き込んでこのモデル都市にやって来たのに……愛する隼人くんの夢すら叶えてあげる事が出来ないのか?そう思うと椅子から立ち上がった俺の両脚は震慴し、その足元から少しずつ世界が崩れて行く様に感じた。  その震えは怒りだったのか?それとも恐れからだったのか?分からない。ただ、分かるのは……その時、俺は俺自身に失望し絶望感と挫折感に苛まれたあげく、俺と言う余りにもちっぽけな人間がその瞬間破綻し、この世界に全く意味のなさないまるで……そう……透明人間になってしまった様な気がして自分自身に幻滅したのだ。  なのに……それがこのモデル都市で隼人くんとの時を重ねる内に、何時の間にかその幻滅は俺自身が招いた結果では無く、隼人くんによって俺の心は落胆させられ、失意のどん底に突き落とされてしまったと感じる様になってしまった。  それが何故なのか?それを知れば……否、気づかなければか?俺と隼人くんの世界は憂い病ま無かったのだろうか?答えは何処にあったんだ?その答えを見つけることが出来なかった俺は今……俺の傍らで、愛しそうに隼人くんの臍からチューブで繋がれたバイオパックの中の胎児を撫でる隼人くんの・・・あのスラリと長い指に俺の武骨な指を絡め、俺の愛してやまなかった美しい隼人くんの横顔を瞳の中に忍ばせながらも彼に……隼人くんに恐怖を感じ、わなわなと震える俺の両脚を、その足元から崩れて行く世界を止めることが出来ず、この幻滅世界に飲み込まれ様としている。それは何故か?  「この子……オレと南クンの子じゃないんだよね」  膨らんできたバイオパックを愛しそうに撫でながらも、隼人くんがそう言ったからだ。  昔……祖父が趣味で収集していた年代物の蓄音機で聴かせてくれたレコード。傷が入っているのか何度も同じ旋律を繰り返していたっけ?ああ……それと似ている。  何時だったかな、急な雨を凌ぐ為に入った映画館でリバイバル上映されていた映画のワンシーンの曲。「英語はわかんなけど、このメロディ好きだ」って隼人くんが言ったから映画館を出た後、態々CDを買って何度も一緒に聴いた曲。  『Heaven, I’m in heaven And my heart beats so that I can hardly speak And I seem to find the happiness I seek When we’re out together dancing cheek to cheek Heaven, I’m in heaven......』  所々にBGMとして使用されていた曲……確か罪を犯してもいない男が自ら刑の執行を求め、電気椅子まで歩くシーンにも使用されていたっけ。あの時……隼人くんと古臭い映画館の木の椅子に並んで座り見た時は、処刑室に向かう男が緑色の廊下を歩きながら口ずさむ、その男が向かう現実と余りにもかけ離れた世界を歌う歌詞に違和感を感じずにはいられなかったが、今ならすんなりと受け入れられる。男は死を望んでいたのだ。死の世界こそが男にとっての天国だったのだ。だから男はあの歌を口ずさんだのだ。けれど俺は……否、隼人くんは……?  臍に繋ぎ、自らの血や酸素、栄養……それだけじゃない、隼人くんの思考や感情と言った彼の全てを注ぎ育てているバイオパックの中の胎児に愛情と絶望を感じているのに何故?何故あの歌を口ずさむのだろう。例え俺が  「その子は隼人くんと俺の子だよ。隼人くんから沢山の物を貰って育ってるんだから、隼人くんと俺の子だよ」  そう隼人くんに伝えたとしても、彼の中で芽生えてしまった失望感は決して拭われない。それでも歌うしかないんだろう……  『Heaven, I’m in heaven And my heart beats so that I can hardly speak And I seem to find the happiness I seek When we’re out together dancing cheek to cheek Heaven, I’m in heaven......』 「好きだな」と言った旋律を口ずさみ「この子……オレと南クンの子じゃないんだよね」そう言いながら……傷の入ったレコードみたいに……あの時買ったCDのように……繰り返し、繰り返し……幻滅した世界で天国を夢見て。そして言うんだ。  「ねぇ南クン……セックスしよ?」  そして俺の腰の上に跨って上下にリズムを刻みながら言うんだ。  「今……南クンとセックスしてんのはオレだよね?じゃぁこの子も……この子は……オレと南クンの子?」  狂ってる……そう思うのに、俺も俺の腰の上に跨ってる隼人くんも互いに互いの腰をぶつけ合うようなリズムを刻むのを止められない。俺も隼人くんも分かってるのに。隼人くんが育んでいる命は二人の子であっても二人の子じゃないと。分っていても止められないんだ。俺も隼人くんも互いを求め過ぎて……否、愛し過ぎて。もしかしたら……こうしてたら……愛し合ってセックスしてたら……この子が俺達二人の子になるんじゃないかって。  狂ってる……隼人くんだけじゃない、俺もおかしくなってる……ああ分かってる、そんなこと。それでも止められないんだ、突き付けられた現実から目を逸らし、快楽に身を任せていないと彼を……隼人くんを捨ててこの世界から逃げ出してしまいそうになるから止められないんだ、弓なりになり膨らんだ腹部を俺に見せつけるように喘ぐ彼の揺れる腰を突き上げることを。  隼人くんの体内に精を放つ瞬間、俺は思う。神様じゃなくってもいい、誰でもいい、誰でもいいから……俺の体内にあった時から既に生を放棄し、惰性で吐き出された白濁が彼の体内に生を宿させ彼を……隼人くんの望みを叶えてくれと。そう願って俺は……はたと気づいた。隼人くんがじゃなく、俺がもう……此処での生活全てに破綻をきたし、思考回路すらも病み、ユラユラと揺れる陽炎のようにこの幻滅世界の一部に成り果ててしまってるのだと。なら……抜け出せるはずないか……この幻滅世界から……だって、そうだろ?どんなに必死に理由を探したって……無理な話だよ……な。俺はもう……。  『Heaven, I’m in heaven And my heart beats so that I can hardly speak And I seem to find the happiness I seek When we’re out together dancing cheek to cheek Heaven, I’m in heaven......』  隼人くんが吐息に雑ぜ乍ら口ずさむ旋律に俺の声も重ねる。幻滅世界に墜ち行く自分を止めることが出来ないことに失望して……?否、最初からこんな世界に期待等してなかったろ?そもそも同性同士の結婚等初めから破綻してるんだよ。そんなこと……このモデル都市に来る前から知っていただろ?……と、自分を嘲笑いながら。この幻滅世界こそが天国なんだと信じるしか、今の俺にはもう生きる術は残されていないのだから。それに……この世界の中でなければ愛する隼人くんと共に生きられないのだから。  ああ、なんだ……俺……隼人くんのこと……まだ愛してるじゃないか。だから……か。この幻滅した世界が天国に感じるんだな。

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