4 / 20

Visage

Visage  俺には生まれつき額から左頬にかけて痣がある。生まれたての俺を見た母が言った「こんな子、私の子じゃない」と。そんな母を横目に父は医師に噛み付いた。「我が家系にこんな醜い痣があるなんて生まれてくる筈がない」と。そして俺はそのまま……母の腕にも父の腕にも抱かれることなく、使用人の女に口止め料も含む金と別荘の一つを渡し、俺を育てるように命じた。決して俺を当家に近づけるなときつく言い付けて。そう……両親は俺を捨てたのだ。俺には醜い痣があると言う理由だけで。  『青の宝石は何処にいる?』  そんな言葉が今朝の新聞の一面を賑わせていた。『青の宝石は何処にある?』では無く、『青の宝石は何処に居る?』と。此の所、立て続きに起きている謎の殺人事件が世間を騒がせていた。政界の人間から果ては浮浪者まで全く関連性の無い何処までも無秩序な殺人。それを行っているのが『青の宝石』だと新聞は謳っていた。  『青の宝石』それは……斎藤家に代々伝わる物で、斎藤の血を受け継ぐ者が誕生した際に当主が当家に相応しいと判断した嫡男にのみ、引き継がれてきた金の装飾で縁どられた大粒のサファイアのブローチだ。それを俺は彼と共にあの家から奪ってきてやった。未だ斎藤家を統括しているあの老い耄れた男らから。そして彼にこの……全く関連性の無い何処までも無秩序な殺人を行わせる際に、必ず身に着けさせた。  新聞が謡っている『青の宝石は何処に居る?』その根拠は数少ない目撃者が警察に口を並べた様に言った『胸に大粒の美しいサファイアが輝いていた』との証言から来ているらしい事が文面から読み取れ、余りにも計画通りにことが運び過ぎていて、その文字を目にした俺の口元は弧を描く。「美しい……か」と。  嗚呼、そうだ。確かにあのブローチは美しい。だが……それ以上に……否、あんな宝石の輝きよりももっと燦然たる美しさを放つ彼。その彼が身に着けているからこそ美しいと表されたのだ。あの『青い宝石』は。  嗚呼、そうだ。彼は美しい。彼が美しいのだ。その彼を……俺が美しく生まれ変えさせたのだ。否、違うか……元より彼は美を持って生まれたのだった。俺とは違い、父も認める美を持って生まれた、一回りも年齢差のある彼は俺を産んだ後、何年経っても子を授からなかった妻を追い出し後妻として娶った、父が見惚れる程の端正な顔立ちをした女との間に生まれた。そうだ、彼は……俺と腹違いの兄弟であり、父にとっても斎藤家にとっても大切な一粒種だったのだ。  その彼を俺は攫い、西洋人形の様に一つとして感情を持たない……否、感情等と言った馬鹿げたもので揺るぐことのない、不動の美を彼に与え育て上げたのだ。そう……端正な顔立ちの彼を更に揺るがぬ美しさを持つ、美麗な存在に育て上げたのが俺なのだ。  腹が空いたと喚こうが、母親が恋しいと泣こうが、俺は何一つ言葉もかけず、感情一つ表情に出さず彼に接した。そして狂瀾こそがこの世における最大の美なのだと、攫ってきた彼を彼の為に真っ赤に塗り上げた小さな蝋燭の炎が揺れる地下室に閉じ込め毎夜、幼い彼の未発達な性器を弄り、排泄器官でしかなった蕾を俺の成熟した性器で嬲っては、まだ果てる事を知らぬ美しい彼の躰に俺の迸りを放った。もちろん、そこに快感等と言うものは一切与えずに。そして必ず苦痛からか泣き叫ぶ彼の前では、両親が醜いと言った痣を晒す為仮面を外し、それを目にした彼が更に恐怖から美しい肢体を慄かせようとも、その醜い痣を美しい彼の指で触れさせ、醜い俺を美しい彼に『綺麗だ』と言わせた。その教えが実り成熟した性器を持つ様になった彼は、俺が指図をせずとも夜になれば俺のベッドに上がり、湾曲も無くスラリと伸びた長く美しい指で仮面を俺から剥がすと  「綺麗だね」  そう言って額から左頬にかけてある醜い痣を指でなぞり、俺の唇に彼の唇を落とす。彼の端麗な顔に一つの笑みも感情も表すことなく。毎夜、敬虔なクリスチャンの祈りにも似た一連の行為から、彼等が唯一の神と崇める神が赦さぬであろう行為を始める。  今の彼は泣くことも喚くこともしない。その端麗な顔を歪めることなく、時折唇から吐息を漏らせるだけだ。そして果てることを知ったしなやかで美しい躰を俺の腹の上で弓なりに反らせ、俺から放たれる迸りを最奥で受け止めながら自らを先程醜い俺の痣に触れた美しい彼の指で扱き上げ熱を放つ。快感等と言うものは一切その端麗な顔に表すことなく。そして訊くのだ。『次は誰?』……と。  その言葉にそろそろか……と思った。新聞でも『青い宝石』を取り上げていると言うことは彼等も……少なくとも父は気付いたであろう。此の所、立て続きに謎の殺人事件が世間を騒がせている犯人が……否、首謀者が誰なのかを。  気付いたであろう父は……今、何を想う?恐怖か、あるいは犯した罪の深さか……そう考えて俺はフッと笑ってしまった。生まれたての俺にある痣を目にし、醜いからと言う理由だけで我が子を簡単に捨てるような輩だ。自らが犯した罪等に嘆く筈がない。そんなことを一瞬でも考えてしまう俺は……愛に飢えているのかもしれない。そうも考えてまた自嘲の笑みを零してしまう。愛等……感情等は美に似つかわしくない。これから彼が行う行為に必要の無い物だ。さぁ……始めよう。今までの殺人等ほんの前座に過ぎない。本物の狂瀾の宴はこれからなのだから。  美しい彼の指を初めて血に染めさせたのは、彼が十を迎えて直ぐだった。金と別荘目当てに俺を引き取った使用人を、彼に殺害させた。その時の彼はまだあどけなさが残る子供だったと言うのに、迫りくる死を目前にし恐怖で醜く顔を歪める使用人を見ても一切何の感情もその端麗な顔に浮かべること無く、俺の手渡したナイフで一突き使用人の左胸を刺した。胸には青く輝くサファイアのブローチを着けて。その瞬間、世間をも揺るがす燦爛たる美しい殺人鬼『青の宝石』の誕生したのだ。  勝利の日の丸を掲げる筈だった我が国の空に米軍の戦闘機が飛ぶようになり、二十歳を迎えずとも召集令状が届くと村では噂されていたが、俺には赤紙どころか防衛召集の青紙すら届か無かった。それもその筈だ。俺は誕生して直ぐにこの醜い痣の性で捨てられ、斎藤家の汚点にならぬようにとお産に立ち会った医師達の口を金と権力で封じ、出生届けすら出されていないのだから。生き乍らにしてこの世に存在しない俺。産まれ乍ら直ぐに闇へと葬った俺を世間の目から隠す為、父はどれ程の金をばら撒いたのだろう。  この戦争が始まった頃には本来なら……俺に生が認められていたのならばの話だが 俺は青年学校に上がる歳になっていた。戦時中だと言うのに乳母と言う名の監視人である、金のお陰か盛りが過ぎても姥桜な女と俺の二人では有り余るほどの物資が屋敷にはあり、金と食い物目当てに群がる赤紙を免れた男達を連れ立ち夜な夜な離れた町に、女が出て行っては数日戻らなくとも俺には何の痛手も無かったが、そんな不徳義でふしだら極まりない日々を送っていれば俺が彼を攫って来たとて、何時になっても気づかぬままなのは至極当然で。田舎であるこの村の空にも米軍の戦闘機が飛ぶようになってやっと、攫ってきた彼の存在に気付いたのだが時既に遅し。初等科入学前に攫ってきたその彼も十になり、四年間で俺に作り替えられた彼は何の躊躇も示さず、俺の指示するまま女の胸を一突きし殺めた。  その夜、屋敷のある一帯は今までにない程の大規模な空襲に見舞われた。村に残されていた老人や女、子供には申し訳ないが俺にとってこの空襲は好都合だったとしか言えない。その戦火に紛れ金目の物を全て持ち出すと、俺は屋敷に火を放ち彼と共に姿を消した。それから直ぐ我が国は敗戦を迎えることとなる。俺はそれすらも利用し、負け戦になってしまった終戦後の混乱の中、持ち出した金を使って名ばかりの爵位を手に入れた。  屋敷と金を貰ってはいてもまともに俺の面倒を見なかった女に隠れ、屋敷の書斎と思われる部屋の本棚に並べられた数十冊の書物を独学で文字解読していた俺は、知識だけは十二分にあったのだからある意味、あの女には感謝すべきなのかも知れない。  しかし……この爵位も二年後には制度廃止により剥奪されてしまう。だが……僅か二年程ではあったが、それなりの地位と権力、そして更に一財産を手にすることが出来た。  顔に醜い痣はあれど先見の明を持っていた俺は米軍や米国と取引を戦後早々に初め、輸入した品を終戦を迎えたと言えども物資の少なさに飢える政治家や、廃止になれども華族気分の抜けぬ輩に数倍の値で流してやった。  そんな商いだったせいか……利害関係の一致しない輩からは脅迫めいた言葉を吐かれることも多かったが、俺はそれすらもこれ幸いにと彼を燦爛たる美しい殺人鬼に育て上げる為に、彼の美しい指を深紅の薔薇が如く血で染めさせ彼等が持つ金をねこそぎ奪ってやった。もちろん警察の目がこちらに向かぬよう、何の罪もなく只そこに居たと言う理不尽な理由ではあるが、寝床もなく道端で眠る哀れで汚い人間をも俺の育て上げた美しい彼に殺めさせた。あくまでもこの一連の殺人事件は全く関連性の無い、何処までも無秩序な殺人にする為だけに。  そんな醜く汚れた金の……美の欠片もない鄙劣で醜悪極まりない金ではあるが、俺は父と肩を並べられる程の財力と共に裏社会で俺を知らぬ人間はいないと言うまでに、俺は地位と権力をも手にしてやった。そんな俺に……父の方から商談を持ち掛けて来たのだ。  『青の宝石は何処にいる?』  そんな言葉が今朝の新聞の一面を賑わせている中で。俺は表舞台には一切顔を見せていなかった。この日を迎える為に。表向きの取引には全て彼を赴かせ、まだ成人もしていない、年端のいかぬ少年が……そう……あたかも彼が全てを取り仕切ってるように見せていた。この狂瀾の宴を催す為だけに。  それを知ってか、知らずか……それとも『青の宝石』の存在を知り、その手の人間を雇い調べさせたのか……父の方から商談を持ち掛けて来たのだ。『そろそろ頃合いか……』とその日が訪れるのを待ち望んでいた俺にとって、願ってもいない父からの申し出だった。  約束の日は明後日。父の秘書だと言う男からの手紙には『取引がしたいのであれば主だけで屋敷に来るように』と返信をしておいた。もし……世間を賑わせている『青の宝石』の存在を、その殺人鬼が誰なのかを父が突き止めているとして父は約束通り一人、この屋敷に現れるだろうか?全てに決着をつける為に。そして父は商談の席で彼を目にし、何を思うのだろう。父が見惚れた女の面影を色濃く残す美しい彼を目にし、その彼の胸元に光る青いサファイアのブローチを見て父は何を思う?父は何を選択する?  攫われてしまった息子を不憫と思いそのまま連れ去るのか?それとも……斎藤の名を穢さぬ為にと猛り立ち息子である彼を消すのか?まさか……俺を?醜い痣を持って産まれた俺を思い出し嘆き苦しむ……浮かんだ言葉を掻き消すように俺は  「あり得ないな」  俺の上に跨り揺らされている細い腰に手を廻し更に深くその腰を引き寄せて呟いたが、その俺の声にさえ一切の反応も示さない彼は、仮面を剥がされ晒されている俺の醜い痣に手を伸ばすと、湾曲のない長くて美しい指でなぞり言う。無表情なまま「綺麗だね」と。そして醜い痣をなぞった美しい指で、膨れ上がり先端から露を零し始めた自らを扱き始め、俺が引き寄せた腰を俺に打ち付けるように上下させ、早く放てと言わんばかりに嵌め込んだ内部を蠢かせる。端麗な顔を欲や熱に歪ませること無く。感情等一切表さず揺るがぬ美を纏った顔のままで。そして俺の腹の上に精を放ちながら俺に問うのだ 『次は誰?』と。吐息や喘ぎではなく次に殺す相手の名を訊くのだ。凄まじいまでの麗しい美を放って俺に問うのだ。『次は誰?』と。  俺の手によって美しく成長した彼を見た父は今……何を思っているのだろう?屋敷に現れた父は美しいと表されていた物を何一つ留め置けていない風貌で。額や眉間、目尻に何本もの皺を深き刻み、内臓でも病んでいるのか黒ずんだ皮膚に点々と発疹や染みを混在させた顔……俺の痣を醜いと蔑んだ父。その父は俺以上に醜い顔をしていた。  父は約束通り屋敷に一人で現れた。流石に老いた足では山道はきつく近くまでは車で来ていたとは思うが、その車も運転手も父は斎藤の家と名を守る為、来た道を戻るよう命じたのであろう。  父の来訪を待ち侘びるよう開いておいた門を潜り、玄関ホール中央の天井に伊国から取り寄せた鹿鳴館を彷彿とさせる神々しいまでに輝くシャンデリアの下に立った父のその醜い顔には汗を滲ませ、息も上がらせていた。  「ようこそ」  彼がシャンデリアを中心とし左右に一寸の狂いもなく均等に備え付けられた穹窿形の階段から声を掛ければ、突然、頭上から降って来た声に驚いたのか父はびくりとし、声の聞えてきた父から見て右階段の上段に立つ彼を見上げた瞬間、端麗な彼の容貌とは真逆の醜い顔を更に醜悪に歪め  「やはり、お前だったのか……栄一……お前は一体何が目的でこんな事件を……」  そう口にしたが  「何のことでしょうか?僕には越前斎藤藩君主の末裔が故、元子爵と言う肩書はあれど栄一等と言う名等はありません」  声の元を見上げる父に彼はぴしゃりと言って退ける。『そんな何処の馬の骨かも分らぬような名で僕を呼ぶな』と。『僕は名等必要としていないのだ』と。その彼の言葉の意図を汲み取れない程、父は耄碌しているのか将又、あまりにも美しく育った彼を目にし、沸々と湧き上がった欲で此処に来た本来の目的をも忘れ、父が見惚れた美しい妻の面影を色濃く映す彼を我が手中に戻したくなったのか、彼の胸に光る『青の宝石』を引き合いに出し  「それは……お前が胸に着けているそのブローチは、我が斎藤家当主が代々受け継いできた物だ。それをお前が身に着けていると言うことは……お前が私の息子……栄一だと言ってるも同じだ。それでもまだ、白を切るつもりか?」  今度は鎌をかけてきたがそれにも彼は動じず  「あなたこそ、此処に何が目的で来られたのですか?それをお忘れ無きよう……言葉を謹んで頂きたいものです」  『そんな言葉で動揺するとでも?』と。『立場を弁えなければならぬのはお前の方だ』と。息巻く父を払い退けてしまう彼に父は口を噤むしか術はなく、口を閉じたかのように見えたが  「青の宝石は何処に居る?」  未だ姿を見せない俺に向けてホールに響く程の大きな声を放つ。その声に、その勝ち誇ったような態度に彼は  「青の宝石ならばあなたの目の前に居るではないですか?」  そう言うや否や父の元に駆け寄ると袖に隠し持っていた銃を父から奪い、  「殺すおつもりならこんな物を使ってはいけません。銃で撃つと傷口が醜くなってしまいます。御存知なかったのですか?傷口は出来るだけ小さく、鋭角に……。震えで手元がぶれぬようしっかりと狙いをつけられるそう……ナイフでなくては。ほら……ね」  何の躊躇もなく父の左胸にナイフを突き刺した。俺が美はあれど非力な彼でも心臓を覆うようにある肋骨の隙間に狙いを定められ、一突きで射止められるように工夫を施した彼の美しい指のように細く長い……彼が人を殺める為だけに作られたナイフで。そして更に  「ナイフはいい。生と死の狭間を刻む鼓動をこの手に、指に直に感じられる。ナイフから指先に伝わる僅かな振動こそが命であり、それを止める僕のこの手には……死がある。その美しい瞬間を指先に捕えてこそ、そこに人を殺める意味と美学が存在するんです」  もう既に瞳孔を開き死に絶えている父に、美しい彼の指を醜い父の血で赤く染め上げ、容姿だけでなく玲瓏たる美声で言葉を掛けたが、足元から崩れ落ちるようにして倒れて行った死人に口なしで。  だが……彼は元より返事等求めていなかった様子で、その一部始終を二階のカーテンに身を顰め愉しんでいた俺に問うてきた。「次は誰?」と。その問いに俺は答える。  「全て終わった。もう青の宝石は何処にも居ない。お前の自由に……お前は自由に……生きたいように生きればいい」  そう俺は彼に返したのだが彼から返ってきた言葉は……俺を戦慄かせた。  「自由?自由なんて……僕にあるの?自由なんか……僕は要らない。生きたいように生きるなんて……僕には出来ない。だって……そうでしょ?まだ終わっていないのだから……。あなたが本当に殺したかったのは……あなたが本当に憎んでいたのは……あなたが本当にこの世から消し去りたかったのは……僕だ。ねぇ……そうでしょ?兄さん……」  その直後……本当に一瞬の出来事だった。父から奪った銃を床から拾い上げ彼は……彼の意思で自らの頭を撃ち抜いた。柘榴のように醜く頭を弾けさせて。美しかった彼を……燦爛たる美しい殺人鬼『青の宝石』だった彼を、自らの手で醜くい姿に変えてしまった。私を兄と呼んだ彼は左の米神を撃ち抜くことで美しい彼を捨て去り、俺と同じ……左の額から頬にかけて醜い傷跡を残し、俺の前から消える死を選択したのだった。                                                                                 了

ともだちにシェアしよう!