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Visage 外伝

※ラストが違っています。  『Visage』古い仏語が語源の『見られるもの』意から生まれた……顔、顔立ち、容貌……と言った意を持つ英国の言葉らしい。僕を攫ってきた彼から教わった。  『Visage』彼が囚われているもの。彼の額から頬にかけてある痣のせいで。  僕の幼い頃の記憶は曖昧だ。鮮明に残っている記憶と言えば、揺ら揺らと不気味に揺れる消え入りそうな蝋燭の炎と、心が病んでしまうような真っ赤に塗り上げられた部屋で毎夜、行われる奇行。  だって……こんなこと……教えてもらってない。父さんにも母さんにも……勉強を教えてくれる先生や、ヴァイオリンを教えてくれる先生からもこんな変な行為のこと……教えてもらってない。僕は男の子なのに……。僕より大きなそれで僕の……自分でだって触れたことのない場所に触れられ、無理矢理抉じ開けるようにそれを捻じ込まれて躰をがくがくと揺さぶられ続けるんだ。僕のお腹の中に熱い物が吐き出されるまで。こんなこと……何の為にするのか僕は知らない。だから怖くて。無理矢理抉じ開けられ突かれた場所が痛くて。けれど……恐怖と痛みから泣き叫んでも誰も助けてはくれず、恐怖と痛みを与える彼に僕は縋るしかなかくて。  指じゃ足りないくらいたくさんの……数えきれないくらい本当にたくさん……揺ら揺らと不気味に揺れる消え入りそうな蝋燭の炎と、心が病んでしまうような真っ赤に塗り上げられた部屋で毎晩、同じことをされ続けていたら僕は……。彼が言うようにこの行為はとても美しいことで、僕の怖いとか痛いとか、悲しいとか辛いとなんて気持ちは、僕にもこの世界にも必要のないものに思えて。そしたら……僕の瞳に気持ち悪く映っていた彼の痣も綺麗に見えて。この世界に……この闇に閉じ込められた僕は……僕の気持ちを全部何処かにやってしまって無表情に息を止めた。多分この時……僕は生きることを諦めたんだと思う。  僕にはどうすることも出来ない世界。僕の気持ちや想いで変えられない世界なら、この混沌とした闇の中で溺れて僕の死を待つしかないなと思ってしまったのかも。小さな僕の躰を僕より大きな彼の躰で、底が見えない深海みたいに深いベッドに沈められたら……これが僕の世界で、これが現実なんだって思うしかないでしょ?こんな風に僕を支配する彼が『殺せ』と指示するなら、僕の感情なんか何処かに捨ててしまって、目の前の相手を『殺す』しかないでしょ?だって彼が……僕の意思も感情も……僕の生も死も全部……その大きな手に握っているのだから、小さな僕なんか逆らえる筈もなかった。  彼は僕を殺人鬼に育て上げることで彼自身は手を下すことなく彼の嫌い?ううん、憎む?感情を何処かにやってしまった僕にはよくわからないけれど、彼に危害を与えたり彼を淘汰しようとする人を僕が殺め、僕が殺した人やその殺された人に関係する誰かが不幸や悲しみ、苦しみとか……負の感情?お金を奪われたり、地位とか権力を失ったりして失楽していくのを見聞きし、彼は歪んだ笑みを口元に浮かべる。それがどういった感情なのかはわからない。でも彼が悦んでいるのなら僕はそれで良かった。  多分僕は……あの……揺ら揺らと不気味に揺れる消え入りそうな蝋燭の炎と、心が病んでしまうような真っ赤に塗り上げられた部屋で感じた、怖いとか痛いとかはもう感じなくなってしまってたけれど、少し彼の背に近づいた僕が毎夜、彼の寝室のベッドの上で痛みの代わりに躰が覚えた背筋に走る奇妙な痺れと、彼にはまだ劣るけれど育ったそれから白濁を吐き出す瞬間の脳髄まで痺れるような感覚を彼への愛なんじゃないかと思っていたから。愛が何なのかよくわかりもせずに。  けどね……初めて彼が僕に触れた時から、彼の指先は温かく優しかったんだ。遠い記憶……母さん……なのかな?昔の記憶は本当に曖昧で不確かなんだけれど、柔らかな胸に抱かれた時みたいに、僕を抱きしめる彼の腕は温かく優しかったんだ。だから……僕をそれが愛というものだと期待してたのかも。愛をよくわかりもしないのに。  なのに……目の前に倒れる男を見て彼が言うんだ。  「全て終わった。もう青の宝石は何処にも居ない。お前の自由に……お前は自由に……生きたいように生きればいい」  自由?自由って何?その彼の言葉を聞いて、僕の中で初めて不協和音が奏でれらた。今まで僕は彼と一つだと思っていたから。  彼の意思で僕が人を殺す。彼の思考で僕が動く。これで彼と僕が一つじゃないなら、奪われてしまった僕の意思は?思考は?何処にあるの?彼の意思が僕の意思じゃないの?僕は僕を壊して生きてきたのに、僕の死も彼の意思の元下されると思ってたのに……期待外れ過ぎる終焉を告げる彼。  彼は一体僕にどうしろ?と。僕に何を求めているの?彼に指示されたから……彼の意思は僕の意思だと……そう思っていても時々心が折れそうになって。それでも彼の手によって変えられた殺人鬼としての僕の生は続いて。息を吸う度に僕の中の何かが汚れて錆びて行って、僕の中の大切な何かが剥がれ落ちて行こうとも、彼から指示があれば僕は人を殺して。どんなに僕の中で殺めてしまった人への挽歌がとめどなく流れようともそれを感情に表すことなく、突き落された闇の中でなんとか息をしてきたのに。  彼は……兄さんは……今更、僕に自由に生きろと言う。兄さんは知らないとでも思っていたのだろうか?本当に僕は何も知らないと。僕が彼を兄さんだと気づかないとでも?僕の躰に優しく触れる温かな指先に何も感じないとでも?  愛が何なのかわからない。愛なんて何なのかもしらない。それでも……僕は彼が……兄さんが囚われている醜い痣を目にする度、綺麗だって思った。兄さんは僕に無理矢理言わせているようだったけれど。言葉だけじゃなく、心から綺麗だって思っていた。醜い痣があるからこそ兄さんは綺麗なんだって。清らかで傷つきやす美しい心だから、兄さんは醜い痣に囚われてしまってるんだって。なら……今……だよね?  兄さんは僕に『自由にしろ』と言った。それは……兄さんもその醜い痣から解放されたいからでしょ?兄さんは僕を『美しい』と言うけれど……僕の心に美は存在しない。僕の心は何人も殺めた人の血で……恨みや苦しみで汚れてしまってるから。今からそれを兄さんに証明してあげるよ。  僕の前に倒れる男の……父の胸から僕はナイフを抜くと、父の血に塗れたナイフの刃先で額から左頬をなぞる。不思議と痛みは無かった。これも……感情を何処かにやってしまったせいなのかな。僕は……痛覚も失ってしまったみたいだ。だから……何度も何度も……皮膚が切れ肉が削れても手を止めず、兄さんと同じ醜い顔になるように僕は僕の顔を傷つけた。それを見た兄さんが止めようと僕に駆け寄って来たのを、僕は抱きしめるようにして受け止める。左手だけで。  「どう……して……?」  痛みからか大きな瞳を更に開いて兄さんは言うが、僕はナイフを持つ手の力を緩めることなく  「大丈夫……少しだけ外したから……直ぐには死なないよ」  そう言って彼の胸にナイフの柄が中るまで刺し込んだのを確認し引き抜くと、兄さんの心臓の鼓動をまだ感じる指で握ったナイフを僕の首に宛がい  「兄さん……兄さんはその痣があるから美しいんだ。どうしてそれに気付かないの?兄さんは綺麗だよ。言葉だけじゃない。僕は本当に心からそう……綺麗だって思ってる。その痣も、兄さんの心も。兄さんと同じ場所に傷を作ったから……僕もこれでやっと兄さんに近づけたかな?でも僕は……何人も……父さんまでこの手で殺めてしまったから、兄さんと同じ美しい心にはなれはしないけれど……ね。兄さんを愛してたよ……ずっと。だから……自由にしろなんて言わないで。ずっと僕を兄さんと一つでいさせてよ。兄さん……僕と一緒に逝こう」  少し刃先をずらしてしまったせいで心臓よりも肺を大きく傷つけてしまったのか、口から血の泡を吹きだした兄に最初で最後の想いを告げると僕は何人も……父の血でも汚してしまった……けれど……感情を何処かにやってしまった僕が唯一、愛を感じていた兄の血にも濡れたナイフで一気に喉元を切りつけた。彼の……兄さんのせいで愛が何なのかもよくわかりもしない僕が、兄さんを愛しいと想いながら。                                      了

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