71 / 171
4_7
いやその前に、安易に受験生を不安にさせないでもらいたい。
「じゃあ、そう言ってくださいよ」
「安心するな、少年。アタシは悪くないって言ったの。良くないの、これ」
普段はたのしげに三日月形をしている目許が、気怠げに細められる。
スイッチの入った先生は、びっくりするほど綺麗な人だ。ただ髪は頭の上でテキトーに団子にされているし、黒ブチのメガネだし、乾燥した絵の具で汚れて重たくなった白衣を着ているから、すごく残念なんだけど。目も腕も、なにより感性が確かだ。俺はそこに惚れてこの学校に来た。
「彩度が高すぎ……うーん、もっと落としたほうが……てゆーか、なに? 全体的に暗くしたいの、なんなの」
「……そんなに彩度狂ってますか?」
「狂ッテマスこの水の中のレモンとかもはや新種じゃん、このレモンがめちゃくちゃ歪みを発しててキモい」
早口でまくし立てられるあいだに、つぶやき程度に発した言葉もちゃんと拾われ。芸術的観点にブレを許さない先生は、まだなにか言いたげに細めた目で俺を見つめてくる。
なんだか、こういう視線に既視感を覚える。最近よくされるんだよな……守屋に。考えていることが読めないのはいつものことだから、気のせいなのかもしれないけど。
「見てると不安になる絵画、なんだけど……表現とかでなくて、アンタの心理モロ出しじゃないよ」
「なにそれ、恥ずかしすぎますね」
ためいきこそ混ざらなかったけど、あきれたように言われた。
モロ出し……どのあたりが、だろう。単語にちょっと笑いそうだけど、たぶん吹き出したらたたかれる。
俺が黙っていると、先生はまた演技じみた動きで泣くマネをした。俺はノーリアクションで成り行きを見つめる。
しばらくすると、手の隙間からメガネの奥の瞳が俺を見た。あれ、また三日月形に戻ってる……
「あ~あ、残念だなぁ! せっかく、満たされてツヤッツヤの絵になってきてたのに!」
「えっ?」
「モンモンと欲求不満タレ流し絵だったのが、“合宿”のおかげで素晴らしかったのに! って、言ってんの」
「よ、欲求不満……っ」
めくるめく思い出のように、半月前の失態が頭を駆け抜ける。たしかにあれは欲求不満も欲求不満だった。
ともだちにシェアしよう!