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数年ぶりにひいた風邪が微熱と咳だけで居座ること1週間。これが真尋さんだったら寝込むのは確実だろうと、お互いの接触禁止を申し出てみたはいいものの。恨めしそうに泣き出しそうに見つめられるたびに、罪悪感は強くなる。
こういう時、同室であることのデメリットを思う。よくも悪くも『手をのばせば触れられる距離』に我慢も揺らぎそうにはなるが、咳はとまってもまだ微熱が残る。あと2、3日くらいで治れば……
そんなことを考えながら、濡れた髪を拭いていたバスタオルをベッドに置けば、
「ま、ひろさん……おかえりなさい」
いつの間に部屋に入ってきたのか、目の前に談話室から戻ってきた真尋さんが立っていた。
「……守屋」
「なんですか? つか、なんでそんな顔赤い……ぐッ」
俺の言葉がおわる前に、ラリアットする勢いの腕が首に巻きついてきて抱きつかれた。どういうことだ。
数秒そのままにさせるが、ちょっと待て、顔も変に赤いけど……なんでこんな熱いんだこの人。
「真尋さん、もしかして……」
風邪ひきました? と言いかけた。
「――んッ」
その先を言う前に、間近に迫っていたくちびるに塞がれて、あげくにそのまま全体重でベッドに押し倒された。いやいやいや、なんだこの状況。なんで俺が押し倒されてんだ。
起こっている事態の整理がつかずにいるのに、真尋さんは俺の首筋を吸ったり舐めたりしてくるから、さらに頭は混乱する。
「……っ、真尋さん、近づいたらダメだって言ってるじゃないですか」
「……やだっ」
肩を押しやっても、真尋さんはそれより強い力で抱きついてくるし、あわよくばもう一度くちびる奪おうとしてくるしで聞き分けがない。
必死にというよりは一心にという感じで求めてくる姿に、とうとう我慢が振り切れたんだろうか? と過ったりするが、この……吐息に混ざる作ったような甘い匂いが妙に気になる。
「真尋さん、なんか食ってません?……ちょっと口の中見せてください」
やっとあげさせた顔を押さえつつ、くちびるを割って指を突っ込んだ。
「ん、ぇあ……っ」
「……なんですかこれ、アメ?」
普段より熱い口の中を探ると、もうとけきりそうな、まるいものが指先にあたる。元の大きさがどれくらいだったのか検討がつかないことに舌打ちしそうになって、
「ん、んっ……もりやぁ……んっ」
「……そんな吸いつかないでください、指抜けないから」
頭を抱えたくなるようなためいきにそれをすり替えた。もういろいろ手遅れだなこれは……
よく観察しれみれば、涙のせいとはちがうもので瞳は潤んでいるし、さがった眉はなきそうというよりはせつなそうだ。まだ俺の指をくわえているくちびるから漏れてくる息も浅い。そのあいだから見える舌は唾液でぬるついて……と、妙なところばっかりだ。
明らかにいつものこの人でないのはわかっても興味の方がすこし勝って、舌先をなでて絡めてみれば、
「んっ、あ……あ、あっ」
感度良好な、高めの声がこぼれ出てくる。
俺を押し倒してホールドした状態の真尋さんの身体は、熱でもあるのかと疑うほどだし、腰も擦りつけてくるし。どこから見ても、だれから見てもヤラシい感じに……あきらめと嫌な予感を同時に覚えつつも、問いかける。
「……このアメ、だれからもらいました?」
「お、怒んない……?」
「怒りませんよ、確認のためにきいてるだけですから」
「……峰からもらった」
「もう、マジであの人から食い物もらうの禁止です」
返ってくる答えはわかりきっていたが、2度目のためいきを長めに吐き出す。そのためいきは自分に向けられたものだと思ったようで、真尋さんは「ごめんなさい」と小さくつぶやいた。
いまの自分の状況に関係があるとは思っていないか、やっぱり。それはそれで、そのほうがいいけども。
あの人は……なにを考えてんだろうか本当に。こんなものどこから手に入れてくるんだ、ただの高校生じゃねぇのかよ。媚薬――みたいなもの、だと思うが――なんてものを真尋さんに食わせた魂胆はなんとなくわかる。入手ルートが謎過ぎるが、わかったところでなんだって話ではある。
「も、りや……どうし、よ」
耳許で忙しなく息する真尋さんは、しがみついている腕にぎゅっと力を込めてくる。
「ん……どうしようっ……すごい……からだ、あつく、て……っ」
俺の首から胸元までをいつもより熱のあるてのひらでなでながら、甘えるように頬を寄せてくる。くちびるも寄せて、押しつけてくる。
「ん、ん……もう……なん、かっ」
「……真尋さん」
俺の声に反応してなのか、それとも耳を通り抜けてしまっているのか、呼び掛けたくちびるにも短いキスをくりかえす。
「ん……さ、わりたい……と、っね?」
そのあいだに、胸元をいじるのとはべつのてのひらが俺の腰より下を目指す。たどり着いた先を確かめるようにゆっくり上下になでてくる。
「さわって、ほしい……しか、んっ……考え、らんなくて……」
とろんとした顔で「もう我慢できない」を全身から漂わせて、アメとおなじに思考もとけきったらしい真尋さんは、
「……俺すごく、いま……誓とえっちしたい……」
「……ま、ひろさん……」
ものすごくストレートに俺の理性もタガも吹っ飛ばしにかかる。
そんな言葉でねだられたことは一度もなくて。二つ返事で望み通りにしてやりたいところだが、かろうじて残る理性で踏みとどまる。
「真尋さん……俺まだ、治ってないんです、けど」
そう言うと、欲求にさがっていた眉が悲しげに寄せられた。赤く染まっている目許が歪められて、じわりと涙まで浮かぶ。
「……ダメなの? してくんない、の?」
罪悪感を否応なく突いてくるその顔になにも返せなくて、ただじっと見つめるしかなくなる。
ためらう言葉に嘘はない。ない、んだが……いまだかつてないほどの据え膳が豪華すぎて、正直――動揺が隠せない。
「じゃあ……もういい」
「えっ?」
俺から視線を外した真尋さんは身体を起こすと、ふらつく足でベッドを降りた。そのまま俺から離れようと、というか明らかに意識が部屋の外へ向けられているのがわかって、あわててその腕をつかむ。
「ちょ、どこ行くんですか?」
「……誓に頼まない」
「はぁ!? なに言ってんですか、つか誰に頼むつもりですかッ」
あぶねぇな、なんだよその危険思想は……っ!
つかんでいる俺の手を本気の力で外そうとするからさらにあせる。
「わかんないっ、でも……だって、誓してくんないなら……っ」
「いや、おかしいでしょっ……自分でする、とかって選択肢は?」
「そんなんじゃ、っ……むりっ、足りない……ッ」
逃げようとしていた力が急にゆるめられて、反動でグラついた俺はまたベッドに押し倒された。
「もう、いいから……っ、熱出てもいいから……っ」
ふたり分の重さで大きくスプリングが弾む。それすら押し込めるように、真尋さんは覆い被さってくる。
「して、誓っ……俺のこと、さわって……?」
俺の胸に顔をうずめて、こらえきれない涙を浮かべて真尋さんは必死に言い募る。頬にも首筋にも音をさせながら吸いついて、急かされるような吐息にあえぎも混ざりはじめる。
「痛くてもいいからっ……なに、してもいいからっ」
俺の腹の上に跨がる真尋さんは自分からTシャツの裾をまくった。もう片手でスウェットも下着も、ずりさげる。陽に灼けたあとのない色白な胸と、華奢というよりは線の細いゆるいくびれと腰骨をさらして。迫り上がる欲求に素直で忠実なくちびるが、
「……して、俺のことっ、おか――っ」
取り返しのつかなそうな言葉を吐き出す前に塞ぎ込む。
「ん、ぅっ」
「それ以上、言わないでください……」
「ん、はぁ……なん、れ?」
先をつづける気が起きないように、きつめに舌を吸いあげる。絡めて、そのまま結ばれるくらいに荒く、口の中を残さず全部舐め回して、
「マジで俺なにするか、わかんないんで……」
本当に、勘弁してほしい……と、くちびるを離して余裕のない苦笑で返した。
「てか、すでに……自信ねぇ……です、けど」
まるで捧げるように従順な格好でそんなねだられ方をしたら、俺は今度こそ戻れる気がしない――と、いつかもそんなことを思った記憶が頭をかすめた。似たようなことは、毎回抱きあうたびに思っている気がする。
「……うつりますよ、絶対」
「いい……ん、ぁ……はやくっ」
抱きしめ返すのさえ待ってくれないくちびるに自分のそれを重ねて、長く短いキスで7日分の焦れた身体を埋めていけば、
「んっ……誓の……味する」
エロい言葉と声で腰をくねらせるクセに、うれしそうに……安心したように真尋さんはふわりと笑う。
「……俺も、真尋さんの味がします……いつもより甘いですけど」
どんなに足掻いても、折れるのも丸め込まれるのもいつも俺だから、無自覚に思い通りにさせてくる真尋さんのほうが『理不尽』じゃねぇかと思いはすれど。人生狂わされてもいいと思うくらい、溺れるのもほだされるのも『欲目』にかかれば、不本意にも『本望』に変わる。
結局は――俺も真尋さんがすきすぎる。
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