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土曜日、午後3時。
今日の水泳部の練習ははやくおわるらしい。
『ただいま』『おかえり』のやりとりを閉じて。美術室から急いで帰った寮の玄関には、Pコートを羽織った守屋がいた。
「ちょっと外、出ませんか?」
外出届は渡しておきましたと、片手に持っていたマフラーをくるくる俺の首元に巻きつけながら。
「デートしましょう」
息苦しいくらいにマフラー巻いてくれてよかった。ニヤついちゃってる口許は見られずに済んだ。
耳まで赤いから……まあ、きっとバレてるけどね。
どこに行くんだろうと、マフラーから顔をあげて口を開こうとしたら、すでに守屋は歩き出していて。慌てて追いかけて、となりに並ぶ。
見上げた横顔は、どことなく楽しそうで。こういう顔をしている守屋は、大抵が意地悪なことを考えている時だけど。“俺のこと”を想ってくれている時なのも知ってはいるから。
だから、きくのはよそうと思う。着けばわかることだし。
まっすぐ駅まで向かって電車に乗って、降り立ったのは5つ目の駅。
街路樹のトンネルをひたすら真っ直ぐに大道路が抜けている。栄えた駅前通りは、飲食店とか雑貨屋とか洋服屋とか薬局とか、とにかくよく見知った店々でひしめいている。もちろん人波でも。よくある光景といえばそうだけど、俺の実家があるのとは反対方向の駅。
もしかして、と。頬も胸の奥もじんわりする。
なにか飲みます? とたずねてくる目線は、冬の外気に溶け込むコーヒーの香りを辿っているから、てっきり店に入るのかと思ったけど。
「この通り抜けると公園があって、そこまた抜けた先なんで」
結構歩くし寒いから、と。ほんと甘いの好きですねと、迷わず選んだメープルラテを奢ってくれて。俺のほうが先輩なのにって言ったらそうでしたねって流されたから、守屋のブラックは俺が奢り返してやった。
ざわめく駅前通りを、流れる人波に紛れて歩きながら、猫舌ゆえにちびちび啜るとなりで、犬舌はほわほわと白い息を吐いている。守屋の吐息のほうが白いのは、口の中の熱と外気の温度差が大きいから。
「やっぱり熱いの苦手なんですね」
「やっぱりってなんだよ、得意じゃないだけ」
「なんでそこで意地張るんですか」
12月も半ばを過ぎた頃。街を渡っていく風は凍みるようにつめたい。コートの上から骨まで刺さるみたいだ。今日はなんだかまた一段とさむい。
鼻の頭が赤くなって、マフラーにもっと首を埋めたくなって、カーディガンの袖をひっぱって手を丸め込みたくなるような――そんな冬の温度。
また一口、ずずっと啜る甘い茶色にほんのり白い息を吐いた。すこしだけ前を歩く大きな背中に、その吐息はとけていく。
寮というか、学校の敷地内からほとんど出ないからな。コンビニへ行ったりもするけど、売店があるからそんなに頻繁ではないし。こんなふうに、ふたりで長く歩くこともないから。
合わない歩幅に、改めて気づく。
寄り添う近さで歩けるのは、離れないようにしてくれている、からで。だからほんとうにこれは、でも。恥ずかしくって手なんかつなげない。
市営の公園はとても広いらしく、案内地図も大きかった。こうやって斜めに抜けていきますって、大雑把な指がそれをなぞる。
真ん中の広場にシンボル的な木のイラストがあって。イベントとか色々と借り出されてそうだなぁ……と思っていたらそれは正解だったらしく、もうすでにこれからくるクリスマスに向けて、幹や葉の間に幾重にも電飾が掛けられていた。
「夜キレイですよ。ここら辺のデートスポット、なんで」
歩みを遅くしてまで見上げていたら、守屋はとまって教えてくれた。あ、ちょっと恥ずかしいと思いつつ。やっぱりと、また口許はニヤつきそうになる。
駅前もこの公園も、守屋は通い慣れている。知らない街とその風景が、見知ったものになるのが――そう遠くないといいな、と思う。
「クリスマス過ぎたらもう年の瀬ですね」
おなじように見上げる横顔は、おせちの予約のポスターもう貼ってありましたよ、って笑う。
クリスマスと正月が同居するのなんてもう何年も前からそうだ。夏祭りや花火がおわりかける頃には、ハロウィンの準備は万端になっている。
過ぎていく季節の余韻なんかなくて、キリトリセンがわかるくらい、切り替えのはやさは的確で無感情だ。肌で感じる温度じゃなくて目で見る情報で移り変わりを知るから、日常を彩っている季節は大抵ヒトの手で流されているんだと思う。
「はやいですね、1年」
だね、って小さく笑い返す。ためいきをついたつもりはないのに。灰色の空に、ほわりと白い息がのぼっていった。
メリークリスマスがハッピーニューイヤーになって。バレンタインになったら……
すこしの躊躇いもなく冬がおわって、きっちり春がやってくる。
その季節は、明確なリミット。夏休みのときのようには回避できない、するわけにいかないリミット。それまでの期間限定なんだ、この距離は。期間限定って……特別でうれしく聞こえる単語のはず、なんだけど。
あとどれくらいと指折り数えるのは待ち遠しいからじゃなく、決して逆行しない日々が名残惜しいからだ。
「……さむい」
押し出されてきた息で、手に熱を生む。つんとする鼻もズビッと誤魔化した。
陽が落ちはじめたし、緑が多いから余計に薄暗い。澄んだ空から降りてくる宙の冷気はものすごく鋭角だ。さむいよりは、痛いくらいに。
これが、ふわっとあたたかく感じる瞬間が来たら――雪になる。
「今夜……雪降るらしいですよ」
温度を奪っていく冬のつめたさに擦りあわせていた手をいつでもあったかい大きなてのひらが包んでくる。まばたきして見返しているあいだに――その重なりつなぎあう手は、ポケットにしまわれていた。
「さむいですね」
ふわっとするその笑顔とこの熱は……だからきっと、雪を連れてくる。
公園を抜けきると閑静な住宅街に出て、ちらほら家路を急ぐヒトとすれちがうようになってきた。車の音がかすかに聞こえるから大通りが近いんだろう。
園内ではほぼすれちがわなかったから、べつにいいかと済ませていたけど。さすがに手をひっこぬく。なにか言われるかなとチラ見した顔は、すこし笑っただけだった。
いくつめかの十字路を右にまがって、どうやらやっと目的の場所に着いた……みたい、だけど。
「ここ……って、ケーキ屋さん? だよな?」
白い外壁に囲まれた、フレンチカントリー風の小さな造りのお店。黒い格子のある大きな窓が嵌め込まれたオーク色のドア。外にはテラス席が3つある。その背景には長窓があって、アンティークのテーブルと椅子が並ぶあかるい店内も見えた。もちろん、ケーキのショーケースも。
看板を見なくても店名はわかる。よく雑誌やテレビで紹介されている。女の子の口からも結構出てくる……つまりそのくらいの、というお店。
「ああ……有名みたいですね、ここ。実家がすぐそこなんで、昔から知ってはいるんですけど」
駅に着いてから思っていたことはやっぱり当たっていて、うれしくなる。
でも、なんで? と、それをきく前に、何度も来ているのか守屋は照れもなく中に入っていった。ひらいたドアから、すぐに甘い香りがあふれてくる。
ドアをくぐると、駅前通りで寄ったチェーンのコーヒーショップとはちがうやわらかな焙煎の香りがして、かすかに紅茶の匂いにも包まれた。
テーブルで話しているのはほとんどが女性客で、カップルもいるけど男ふたりではちょっと恥ずかしい。気持ちの置き場所をさがして、ショーケースに視線を逃がす。
会計カウンターも兼ねたショーケースの中には、所狭しとケーキが飾られていた。ロールケーキやシフォンケーキ、パイまでホールで売られている。ピースケーキはどれもがおとぎ話に出てくるようなパステルカラーとクラシックなデコレーション。その上に鎮座するフルーツは、コーティングされたように艶めいていて……なんだかほんとうに宝石みたいだ。人気があるのもわかるなぁ……と、磨きあげられたかわいらしさに感心する。
「ご予約のお品ものはこちらでよろしいでしょうか?」
予約? だれが? と、顔をあげる。ショーケースの上で、店員さんが差し出す小さな箱をのぞき込む守屋は、短くうなずいて俺を見た。
「……あ」
促された箱の中には、ミニチュアみたいなワンホールケーキ。その小さなケーキに添えられている英文にまばたきをひとつ。ふたつ。
「もしかして、忘れてたんですか?」
「……うん」
「真尋さんらしいですね」
驚きと忘れていたことを覚えていた――というか知っていてくれたことに……ケースに並ぶショートケーキのいちごより赤くなる。
1号のホールケーキが入ったその白い小さな箱を俺の手にのせて、
「まあ……俺が覚えてるからいいんですけど」
誕生日おめでとうございます、と。砂糖がとけるように、ふわりと微笑んだ。
_1217 matine
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