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むかしの話
俺の意図をうまく掴んだ久我は、会社に連絡をとってくれた。
「……なあ。三原がポメ化したって伝えてもいいのか? カミングアウト、してる?」
「わふ!」
俺は力強く頷いた。
ちゃんと確認してくれるなんて意外と気がきくじゃないか。お前も大人になったんだな。
「わっふん(じゃあな)」と俺は背を向けた。
家は近いし、庭には枇杷の実が成っている。それでしばらく食いつなげるだろうし、連絡がとれなければポールか両親が気にかけてくれる。
それまで野良のポメラニアンになろう。そう決意して、俺は尻尾を振って歩き出した。
「三原っ、待ってくれ!」
久我がなぜか焦った表情で追いかけてきた。
「きゃうっ(こっち来んなっ)」
所詮ポメの足では元サッカー部王子には勝てず、俺はしぶしぶラブリーな小走りを止めた。
「ぽめぇ……(まだ何かご用ですか?)」
「このへんは空き家が多いだろ。最近は物騒な連中も出るし、せめて人間に戻るまで、俺が面倒見るよ」
(なっ、なんだって〜!?)
ふんがっと鼻を鳴らしたら、ひょいと両脇に手を差し込まれ、軽々と持ち上げられてしまった。
「きゃんきゃんっ! ぐるるるるうーっ!(お前と同じ空気吸ってるだけでっ、ストレスMAXなんだよーっ!)」
俺は猛烈に唸った。
お前の手を借りるくらいなら、野良のポメラニアンとして強く生きていきたい!
「暴れるなって! ちゃんと大事にするから、頼むよ。初恋なんだ……せめて犬の時くらい、頼ってくれないかな」
「あう…?」
空耳かな、はつこい、とか聞こえたけど。
あーもう、べたべたっくつきやがって。めんどくさ。
お前に甘やかされたって、俺は元には戻れねえっつうの。
忘れるものか。高校二年の時──俺はこいつに推し をバカにされたのだから。
自分の席に座って鞄に教科書を仕舞っていると、リュックに付けていたキーホルダーを「これなんだ?」といって引っ張られた。
「ねえ、なんのキャラ? アメコミとか? なんか顔濃いっていうか……キモくない?」
久我は俺を爽やかな笑顔で見下ろして、なんの悪気もなさそうに言った。
それは『カノープスの騒乱』第五章のメインキャラ、月面基地所属のバーニー・フィンレイ大佐のアクリルキーホルダーだった。そんじょそこらで売ってるアクキーじゃない。ポールからプレゼントされた、海外メーカーでしか生産していない貴重なグッズなのだ。……それを「キモい」だと?
人が好きなもの貶すなんて最低のクソ野郎だ。
俺は久我を無言のまま見上げた。すると、少し気まずそうな顔で後退る。
陰キャと関わったって良いことないもんな。だってお前は、スクールカースト上位のサッカー王子だ。こっちだってお前なんかと関わりたくねえんだよ。
「手、離せよ」
「あっ、ああ。悪い……」
俺は久我の手からキーホルダーをぶん取り返した。けど、久我は俺の机の横に突っ立ったまま立ち去らない。何か言いたそうにしている。
まだなにかあるのか、と黙っていると、外野が王子様を急かしに来た。
「久我ー、そんなやつに構うなよ」
「練習試合用の編成、するんだろ」
遠巻きにこちらを見つめる女子たちは、なんの関係もないくせに、くすくす忍び笑いをもらしている。
あーあ、わざとらしくてウザいよなあ……。お前らが相手にして欲しいのは久我だろうが。人のこと嗤う余裕があんなら、とっとと久我に告白でもしろよと思った。
涙をこらえて帰宅し、ポールとスカイプしながら、久我やクラスメイトの愚痴を聞いてもらったのを覚えている。翌日以降も時折陰口を言われたが、進学校の学生は良くも悪くも打算的で利口だ。いつまでも他人のスタンスを揶揄うほど暇ではない。
俺は休み時間になると一人になれる場所を探した。図書室の薄暗い棚に隠れるように潜み、フレーザーの金枝篇を読みながら、残りの高校生活をやり過ごした。
それから卒業するまで、久我が俺に話しかけてくることはなかった。
住む世界が違うんだ。関わり合っていいことは何もないし、俺たちはきっと分かり合えない。それが自然の摂理だった。
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