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フィンレイ大佐の帰還
ポメ化した俺を助手席に乗せ、久我は夜の町を走り出した。シートベルトもちゃんと装着してくれた。
さよなら我が家よ。切なくて鼻がスピスピと鳴る。
「くぅんくぅーん……(庭の枇杷、喰いたかったぜ……)」
ポメになっちゃうと手足が短くて、窓から顔を出すこともできない。おとなしくシートにぺたんと座る。
久我の家に連れていかれる途中、ドラッグストアに寄った。
「わんちゃん用のトイレも買っておこうな」
「ぐるる、ぐるるる(おしっこもうんちも人間のトイレでできるもん)」
「おもちゃも、欲しいだろ?」
「……(無視)」
久我は爽やかに微笑んで、犬用のゴム製ボール(キラキラしててイボイボがついてる)を手に取った。
おもちゃを選ぶ久我の横顔を、俺はこっそり観察する。
凛々しい直線眉、切れ長の目、すらっとした鼻筋と形のいい唇。どのパーツも整っててイラっとする。小憎たらしいイケメンだ。
ていうか、俺がわんちゃん用おもちゃに夢中になるとでも本気で思ってんのか? こちとら人間ぞ? くたびれた会社員ぞ? そこんとこ本当に分かってんのかね。
はあ、と舌を出してため息を吐くと、「なあ、さっきからなんで笑ってるんだ?」と訊かれた。
「ばうわう!(ポメの仕様だよっ)」
ぱかっと口を開くと勝手に口角が上がるし、舌もぺろっと出さずにはいられない。理解しろ、わんこは霊長類とはつくりが違うんだ。
「ぐるるる…」
「唸ってばっかだな」
「わっふん!(うるせえ)」
わんこのなかでも天上天下唯我独尊のポメ様だぞ、てめえ分かってんのか、という気持ちでいっぱいになる。
ポメ化した人間は多少、思考がポメラニアン側に引っ張られる。
たとえば……お肉の匂いがすると、ついついお尻を振ってしまうとか。
「わるい。これは俺用の……つまり、人間用の肉だから……」
久我がものすごく申し訳なさそうな顔をして、チキンソテー弁当を召し上がっている。ドラッグストアに寄ったあと、お弁当屋さんで買った、できたてほやほやのチキンソテー弁当だ。
うらやましい。よだれが泉のごとく湧いてくる。
悔しかったから食べ終わるまで生温い目で見つめてやった。どうだ、罪悪感がすごいだろう。
部屋の棚の上にさっきドラッグストアで買ったキラキラのボールが載っている。ポメの感性に引っ張られるように、俺は急にそのボールが欲しくなった。ぴょんぴょんと部屋の中を跳ね回る。
「こらっ、やめろ、危ないって!」
「きゃんきゃんっ!(俺を止めるなーっ)」
どすん、と鈍い音を立てて俺は棚に激突し、プラスチックのお道具箱が棚から落ちた。
「あぶねっ」
「きゃんっ!」
久我が俺の上に覆い被さり、庇ってくれた。抱きしめられたぬくもりと、かすかに香るやさしい香りにどきっとする。
「けが、してないか?」
平気だと首を縦に振った。抱き上げたまま、背中をぽんぽんとしてくれる。あ、やばい。これとても安心しちゃう……。
いっときのポメラニアンの性に引きずられて、人様のおうちでとんでもない失態を犯してしまった。
心から申し訳なく思う。……しゃべれないのを今ほど悲しく思ったことはない。
「くーん(ごめんなさい)」
しゅんと肩を落としてこうべを垂れる。
棚から落ちた箱は蓋が開いてしまって、中に入っていたものが床に散乱していた。
すると俺はそこにあるはずのない、懐かしいものを見つけてしまった。
バーニー・フィンレイ大佐! あなたがなぜここに!?
久我に「キモい」発言をされたあと、俺はフィンレイ大佐のキーホルダーをどこかに落としてしまって、結局そのまま見つけられなかったのだ。
「ごめん、あのときの、キーホルダー……」
「わ、わふうっ?(なんでお前が持ってんの?)」
「──高校の渡り廊下で、拾ったんだ。俺、お前に嫌われてたろ。避けてるみたいだったし、受け取ってもらえないかもって。お前と俺の共通の友達とかいなかったし……」
当時の久我はスクールカースト上位のサッカー部主将だった。かたや俺は、文化部にも所属しない存在感ゼロの暗くて地味な最下層男子。
共通点なんて生まれるはずもない。俺たちは光と影。久我が光で俺が影だ。それほどまでに対照的なクラスメイトだった。
(あの久我が、俺のフィンレイ大佐を──ずっと、保護してくれてた……? こんな、こんなことって、あるのか……?)
黒目がちの瞳を見開いてじっと久我を見つめた。
「ごめんな。あのときも、その……傷付けるつもりはなかった。俺はただ三原と話してみたかったんだ」
「わふー……」
十年近い時をかけて、フィンレイ大佐は俺の元に帰還を果たした。
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