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丞と仁の夏休み日記(3)

「わっ……! なんだてめえっ……!? こんなとこで何してんだって……」  窓の外はすっかり陽が落ちていて、外灯の明かりがポツポツとともり始めていた。クーラーで冷え過ぎたせいか、すっぽりと布団に包まってはいるものの、隣りで眠りこけているのは間違いなく丞だった。  いつからここにいたのだろう、ずっと抱き合うようにして眠っていたというのだろうか――  呆気にとられてしばらくはポカンと丞の様子を見下ろしていたが、そんなことを想像した途端に頬が染まる気がした。  一気に眠気が覚めてしまった。 「あ……? あれ……? 仁、起きたのか……?」  眠たげな瞳を半開きにしながらモゾモゾと寝返りを打つのを、未だポカンとしながら見つめていた。 「な、何してんだよっ!? てめえ……いつからここに居んだって……」 「うん……? 今何時よ?」 「ンなことよか、何でここに居るかってーの!」  頭上でぎゃあぎゃあと騒がれて、丞はようやくと布団を肌蹴いた。 「何でって……そろそろ飯食いに行こうと思って来てみりゃお前寝てんだもんよ。起こすのもなんだと思ってたら俺もウトウトしてきちゃってよー。なんせ今朝早かったからー、お袋たちの見送りで叩き起こされたし」  よっこらしょ、というようにだるそうな身体を起こすと、突如思い出したように大声を上げた。 「そうだ仁、そういやお前……! 玄関の鍵開けっ放しだったぜ? 俺が帰った後閉めなかったろーが!」 「ああ? そうだっけ……?」 (そういえばあのまま寝ちまったんだっけ――)  ぼんやりと仁は夕刻のことを思い出していた。 「お前さー、無用心だっての! 危ねーだろ!」  真顔でそんなことを言ってくる丞が不思議に思えて、仁は首を傾げた。 「いいじゃん別に。野郎なんか襲うヤツいねーっての」 「バカッ! いくら野郎っつったってアブねーもんは危ねーっての! ヘンな奴が入って来たらどーすんだって! こんな住宅地っつったって物騒なんだからな! お前に何かあったら俺っ……それにっ、おばさんたちにだって何て言やいいんだって……」 「は、バーカ。か弱い女でもあるめーし、何アツくなってんだって……。分かったよ分かった! ちゃんと鍵は閉めるようにすっからよ?」  笑い流しながらそんなことを言った仁に、丞の方は珍しく真剣な面持ちで不機嫌そうな顔をしてみせた。 「そんな怒ることねーじゃん。次から気をつけるって言ってんだからよ? それよかお前、花火どうしたんだよ? こんなとこで寝てていいわけ?」  手元の時計を見ればちょうど七時を回ろうとしているところだった。もう三十分もすれば花火が開始される頃だろう、まるで今しがたのお返しのように今度は仁の方が少々不機嫌そうに、ふてくされたようにそんな問い掛けをしてみせた。 「行くんだろ、花火? さっき女の子誘いに来てたじゃん……。だから俺りゃ~てっきり今日の『焼肉』はナシだなってそう思ってたけどー」  淡々とそんなことを言っている仁を横目に、丞の方はしばし呆気にとられたように目を丸くした。 「あ……なんだ知ってたのか?」 「窓から見えたし……」  未だふてくされ気味の仁の様子に、丞はプッと噴出しながら瞳を細めた。 「バーカ、俺がお前を置いて花火なんて行くかよ? 飯の約束だってあるのによ」 「約束なんて……俺なんかに気ィ使わなくたっていいのに……」  少しの沈黙が二人を包んだ。  互いに見つめ合ったまま、どちらからも言葉を掛け合えずに、ほんの少しの沈黙が二人を包んでいた。 「行きゃーいいじゃん……今からだって間に合うし……携帯とか知ってんだろ? 昼間のオンナの――」  やっとのことで視線を外してそう言った瞬間だった。グイと腕を掴まれて、仁はびっくりしたように振り返った。そこには珍しくも真剣な様子で見つめてくる丞の瞳が真っ直ぐに自分を捉えていて――  無表情な中に少しの怒りのようなものと、酷く切ないような感情が入り混じった複雑な表情でじっと見つめている。  掴まれた腕からは手のひらの熱さが伝わってくる。どくんどくんと脈打つ音までが触れ合った肌から伝わるようで、仁は一気に身体が火照るようにカーッとなるのを感じていた。  何をしゃべっていいかも分からずに、又は丞が何を考えているのかも分からずに、ただただ時間が過ぎていく。  ほんの短い間だったのかも知れないが、仁にはとてつもなく長く感じられて視線のやり場さえおぼつかなかった。  掴まれた腕は未だそのままだ。  こんなの……もう耐えられない……!  普段はひょうきんで明るい丞が、何を言っても多少嫌味めいたことを投げつけても笑って流してくれるはずの彼が、今は何も言葉にしない。  不機嫌な中に少しの怒りが混じったような表情で、食い入るように見つめてくるだけだ。  余程気を悪くしたのだろうか、女たちの誘いを断ってまで自分との晩御飯の約束を優先してくれた彼に不用意に文句めいたことをぶつけたから、さすがに怒ってしまったのだろうか。  グルグルとそんなことが頭を駆け巡り、この間の悪さを何とかしたくて仁はギュッと唇を噛み締めた。 「ごめん……悪かったよ……せっかくお前が……」  これ以上耐え切れずにそう言った瞬間に、掴まれていた腕が強く引き寄せられた。 「じゃ行こうか花火……お前となら行ってもいいぜ? お前と一緒なら……」 「え――?」  抱きかかえるように引き寄せられて、耳たぶギリギリで低い声がそう囁いた。  普段は聞いたことのないような低くて秘めやかな声でゾクリと背筋を撫でられて、仁は思わず身体を固くした。丞の腕の中にすっぽりと抱き包まれたままで、動くことも儘ならずに、ただ身を固くするしか出来ずにいた。 「お前となら行ってもいい。花火でもメシでも、何処へでも。お前とだったら……いいぜ俺……」  耳元を撫でている唇が僅かに意思を持ったように強く押し当てられたように感じたのは錯覚なのだろうか、仁はびっくりして丞を払い除けようとした。 「バカッ……何言ってっ……ちょっ、丞! てめえ、何の冗談!?」  真っ赤に紅潮した頬の熱を隠すように、抱き締められた腕の中でもがいた。そして再び目と目が合って、視線が外せなくなって、見つめ合って――  近過ぎる距離に身体中の血が逆流しそうだった。ふと気を許せば、このまま瞳を閉じて熱い体温の発する逞しい胸に頬を預けてしまいたくなる。  自らしがみついてしまいたくなる。  ともすれば今までの秘めた想いごとすべてを云ってしまいたくなる程に近い距離が、再び背筋に欲情の渦を這い上がらせるようだった。 「冗談だよ。お前があんまりひねくれ屋だから、からかっただけ!」 「は……!?」 「ほら、ボサッとしてねえで。メシ食いに行こうぜ? 焼肉ー! 腹減っちまったのよ俺」  もうベッドから立ち上がり、部屋のドアに手を掛けている。変わり身の早さに呆気にとられながらも、不適に微笑む口元を視線が捉えれば、又しても身体中を磁気のような熱が走るような気がした。  あの唇が今の今ままですぐ目の前にあったのだ。  あんなにも近い距離で、冗談半分にも抱き締められて、そしてそれこそ冗談なのだろうが『お前と一緒なら何処へでも行ってやる』などと意味深なことまで聞かされたのはつい今さっきだ。  冷え過ぎた部屋から一歩外へ出れば、ムッとした生ぬるい空気に昼間からの暑さを感じた。  あのとき、抱き締められ引き寄せられたとき、あの胸に寄り掛かってしまったならどうなっていたんだろう。  稀に見る程真剣な感じと少しの怒りの混じったような複雑な表情が、次々と脳裏に思い浮かんでは消えていった。  ジーンズの後ろに突っ込んだ長財布。  ポケットから煙草を取り出して火を点けた。  宵風に薄茶色の髪が揺れている。少し巻き毛とレイヤーの混じったようなやわらかそうな髪が揺れている。  くゆらした煙が鼻を撫でた。  いつもの煙草の香り。あいつの吸うタバコの香りがツンと鼻を刺激して……。  何かが変わってしまいそうな気がする――  今までの秘めてきた淡い想いが急激に爆発してしまうような逸る思いが胸を掠める。  身体中にこもった微熱がドクドクと熱さを増して火照り出すのが怖くもあった。  そんな思いに前を歩く丞の後ろ姿を見つめながら、再び疼きあがった身体の熱を冷ますように両腕を広げて、仁は宵の風に吹かれ歩いた。 - FIN - 次話『仁の海水浴日記』です。

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