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仁の海水浴日記(2)
ホテルはちょっと小高い丘に位置していて、和風な作りだが豪華な雰囲気のところだった。
俺らみたいな学生が好んで泊まるところでもないような感じだが、世の中、金回りがいいのか若い連中も意外に多い。
きょろきょろとしてる俺が面白いのか、笑いながらコツンと頭を突付かれて、そんなヤツの笑顔を見たら、また申し訳ない気持ちに陥った。
外観通りの高級感溢れる館内は、どこそこ豪華でリゾート気分満開だった。
和風の洒落た造りの部屋へ荷物を置いて、一先ずシャワーだけを浴び、俺たちが海辺へと散歩に出掛けたのは、太陽の斜光が濃い橙色を映し出す夕刻の時分だった。
――夕暮れの海辺は昼間のような賑わいこそないものの、それでもチラホラとカップルが歩いていたりして、また別の賑わいを見せている。
リゾート地だけあって洒落た造りの喫茶店やレストランも軒を連ねていて、俺たちはその中の一軒を選んで屋外デッキの席へと腰を下ろした。
国道に反射する夕陽が眩しくて、隣りの丞の頬をオレンジ色に染めている。
海風に吹かれるヤツの髪も、風呂上りで心地よさそうに揺れていた。ちょとしたこんな瞬間にもドキッとさせられるのが恥ずかしく思えて、俺は思わず俯いてしまった。
でも確かにこうして雄大な景色を見ていると、何となく解放された心持ちになるから不思議だ。お袋たちが旅行に出掛けてから、緊張しっ放しだった俺の気分も解れていくようだった。
そして、パイナップルが派手に飾られたトロピカルドリンクをすすってる丞に相反して、俺は普通にアイスコーヒーなんかを頼んでるのが可笑しくも思えた。そんなことに気がついたら思わずクスッと笑っちまったのに、丞はすかさずうれしそうに俺の顔を覗き込んで見せた。
「どした? なんか可笑しいことあったのか?」
見つめてくる瞳は悪戯そうに細められて、そこはかとなくやさしげだ。まるで機嫌を窺うように、俺の気持ちの動きのひとつひとつを細かく察知するかのようにそんなことを言われれば、無作為に心が逸り出す。
ほんのちょっとでいい、もう少しこの雰囲気が長く続いていて欲しい。互いを見つめ合うこの瞬間がとても心地いいから――
昼間からのことや、ここ二~三日のこと、俺が今一愛想のないせいで丞に気の毒な思いをさせているという気負いが少しやわらぐようなこの瞬間を、もう少しでいいから感じていたい――そう思って俺は丞を見つめ返した、その時だ。
「あの、すみません。隣り空いてますか? よろしかったらご一緒してもいいですか? 他に席が空いてなくって」
少し遠慮がちにやわらかな声がそう言って、振り返った先には俺たちと同じ位の年頃の女が二人、微笑みながら立っていた。
またか――
正直そう思ったし、滅多にない穏やかな気分を削がれるようでがっかりもした。
ちらりと横目に丞を見れば、だがヤツは少し困惑したような表情でキョロキョロと視線を泳がせている。
「どうぞ……いいよ。二人なの?」
置いていたバッグを避けてひとつ席を空けながら、ガラじゃないが俺はそう言った。
ビックリしたのは丞の方なのだろう、まさかの展開に苦虫を潰したような顔で声も発せずにストローをくわえているのを見て、俺はプッと噴出してしまった。
女たちはうれしそうに席へと腰を下ろし、丞はまだ固まったような面持ちをしていたが、これが俺に出来る償いみたいなものだから。
償い――なんていう程大袈裟なこっちゃないが、先刻からの失態を繰り返したくなくて、俺は珍しくもお愛想笑いを続けた。
「あの、お二人なんですか?」
二人なんですか――という決まり文句はイコール『彼女とかいないんですか?』だ。それくらいは俺にも分かる。
「ん、そう。俺たち今朝からここに海水浴に来ててさ……。そっちは? やっぱ二人で来たの?」
「え? ええ、はいそうです。私たちもさっき東京から着いたばかりで」
「そう、東京なんだ?」
「ええ。あのー、あなた方は?」
「俺ら? 俺らは川崎。コイツの車でね」
さっきから絶句している丞の方へと話を振った。
気さくな反応に打ち解けたように、緊張気味だった表情をやわらげて女たちがにこやかに話し出した。
「そちらの方は随分無口なんですね? 硬派って言った方がいいのかな。あ、ごめんなさい……あの、さっきからあんまりお話しないから……悪い意味じゃないんです。気を悪くしないでくださいね?」
「いいよ、気にしないで。こいつ喉渇いてるだけだからさ」
さっきからドリンクにガッついてばかりいる丞を横目にクスッと笑ってみせると、女たちは安心したように俺の方へと懐っこいような笑顔を向けた。
これじゃいつもと逆じゃねえか――
なんか不思議な気分だ。丞はいつもこんなふうに俺に気遣いながら第三者との間に挟まれてしどろもどろだったんだろうか、いや、実際それ以上だろう。今の俺は丞が本当は気さくな性質なのを知っての上での気遣いだからだ。
本気で愛想のない俺を傍らに、丞はもっとハラハラしてたに違いない。そう考えたら苦笑いがこみ上げた。
「ね、もしかして彼女のこととか気を遣ってたりしてます?」
一人の女が不意打ちのように丞に問い掛けたのに乗って、もう一人が
「あ! それでちょっと気まずい思いしてるとか? 今日は彼女一緒じゃないから、こんなとこで知らない女とお茶してたらまずいとかって」
「えー? そうなんですか~?」
きゃははと楽しそうに女たちは笑った。
彼女に気を遣ってるんですか、なんて訊くふりしながら俺らがシングルなのか聞き出そうって魂胆なのは見え見えだぜ……。
可愛い感じを装ったって、ちゃっかりしてるとこはすげえな。
やっぱり俺は女は苦手だ――ふとそんなことがよぎれば、またしても苦笑いが浮かぶ。だが丞はその直後、予想もしていないようなことを口走って、女たちはもとより俺はあまりに驚いてギョッと硬直してしまった。
「彼女なんかいねえよ俺――」
きっぱり言い切ったのもすごいが、そんな仏頂面で言うこっちゃねえだろ……。
普段からは想像もつかないような愛想の無さというか、丞にしては珍しい位の素っ気無さに俺の方がびっくりだ。女たちは尚更だろう、だが丞は淡々と先を続けた。
「彼女いねえけどさ、俺」
「えっ!? ホントですかー? じゃあ今、募集中とか?」
「うっそー、そんなに格好いいのに? 信じらんない……」
「ね、そっちの方はどうなんですか? いるんでしょ、彼女?」
「そうよ、だって二人、超カッコいいもん……いないわけないよねー」
勝手に話が盛り上がってる……。
こんなになっちゃ俺、どう切り替えしていいかなんか分かんねえよ。丞の豹変ぶりといい、女たちの猛攻撃といい、ああ、もう何とかしてくれよ!
そう思っていたときだ。
「彼女とかはいねえけど……好きな奴ならいるぜ、俺」
残り僅かのドリンクをズズーッと品無くすすりながら、丞は無表情で淡々とそんなことを言い放ちやがった。
「やだー、やっぱりじゃん」
悔しそうに盛り下がる女たちを横目に、ズケズケとした口調で丞は続けた。
「完ッ全、片想いだけどね? 超好きな奴がいる。好きで好きでたまんねえの!」
「ええー、じゃあ告白すればいいじゃないですかー! あなたなら絶対イケると思うしー」
「そうそう、断られるわけないよー。もう告白はしたんですか?」
あーあ、今度は違う方向に盛り上がってやがる……。
女ってのはどっちにしても逞しい生き物なんだな。
ヘンなとこに感心しながらも、正直驚きの方が強かった。だってそんな話聞いたことないぜ。丞に好きなオンナがいるなんて、今の今まで知らなかった。
当たり前だけど酷くショックだった。
側で盛り立ててるこの女たちがいなければ、ズッシリと衝撃を真っ向から食らってたに違いない。
いや、今だって充分衝撃だが……。
とにかく初めて聞くそんな事実に、衝撃を通り越して驚きの方が先立ったのか、或いはショックが大き過ぎてすぐにはことが把握できなかったのか、俺は微動だに出来ずに硬直しているしかなかった。
「ね、告白すればいいじゃん? 絶対うまくいくってば~!」
そそのかす黄色い声が耳鳴りのようにこだまして、もう何が何だか分からない。考えられない。
自分の身体が自分のものでないようにフワフワとしていて、俺はやっぱり冷静でなどいられるはずがなかった。
心臓だけがドキドキと加速し逸り出し、視線は泳いで現実感さえまるでない。
時が経つにつれてガクガクと膝までもが震え出すようで、いたたまれない気持ちに涙が出そうになるのをこらえるだけで必死だった。
情けない話だ。
好きな奴がいるなんて、そんな当たり前のような話を今まで想像できなかった俺もバカだが、やっぱり現実に突きつけられると、正直どんな反応をしていいかなんて分からない。
たとえ隠してたにしろ丞を責めるいわれはないし、けれどもショックを受け止める余裕なんてもっと無いしで、俺は頭の中が真っ白になってしまった。
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