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仁の海水浴日記(4)
「すっげー、でけえ月ー! 雲があんなに掛かって、なんか絶景ってか圧倒されんなぁ」
空を見上げながら、丞は気持ちよさそうに湯船に浸かっていた。
石造りの露天は、家族連れでも余裕なくらいのでかさだ。二人じゃ勿体無い。
ああ、でも恋人同士ならロマンチックでちょうどいいのかな?
こんな場所に好きな女でも連れて来たなら、大抵は感嘆の声を上げるんだろうな……。
そんでもって『ありがとう』とか『大好き』とかって言ってカレシの胸に抱きついたりするんだろうか――丞が冷蔵庫から持ち出したワインを片手に、ふとそんなことを思っていた。
広い湯船の中央では、未だ夜空を見上げながら、頭にタオルを乗せている丞の姿がぽつり。僅かに湯から見え隠れしている肩先はゴツゴツとして逞しく、硬い筋肉が盛り上げっているのにドキリとさせられる。
こんなときでも俺ってそんなことに気づいたりするんだ。
バカな野郎だな。
――さっきの喫茶店での丞の言葉が頭から離れない。
あまり見慣れない無表情で淡々としゃべっていた様子も、あいつの言ったひと言ひと言も、何もかもが頭から離れてくれない。
きっと俺なんかと来るよりも、その『好きな女』と一緒に来たかったんだろう。それともいつか一緒に来る日の為に空を見上げながらシュミレーションでもしてんのか?
雲の合間から覗いた月光が丞のシルエットを照らし出し、後ろ姿だけを見ていると、そんな切ない想像が次々と浮かんでは俺の心をギュッと掴んで辛くさせた。
後ろ姿だと表情が見えないから、嫌な想像ばかりが湧くのかも知れない。
ふと、涙がこぼれそうになって、俺は手元のワインを一気に飲み干した。
――今、どんな表情をしてる?
何を考えてる? 好きなオンナのことか?
こんなことなら一度くらいは素直になっとくんだった。
お前の傍で素直に笑ったり楽しんだり会話したり、喧嘩でもいい。何でもいいから素直に向き合ってみたかった。
いつも俺は繕ってばっかりだったよな?
お前の言うことすることのひとつひとつに嫌味を言って、わざと反抗することばっかり言ってた。
恥ずかしくて、この気持ちを知られるのが怖くて、自分をごまかしてばかりいたんだ。
なのにお前はこんなひねくれ者の俺をいつも気遣ってくれて、いつも機嫌を窺うように俯いた俺の顔を覗き込んでくれた。
あの瞬間がすげえ好きで……丞が俺を見つめるあの瞬間が心地よくて、恥ずかしくて息もできないくらいのあの距離にいつも俺は心躍らせてた。
丞が俺を見つめるあの瞬間がすげえ好きだった。
俺だけを見つめるあの瞬間が好きだ。丞が……好きだ。
俺は丞が好きで好きで大好きでたまらなくてっ――!
ああ、こんなことならちゃんと素直になっとくんだった。
振られてもいい、どーせ振られるんだから。
野郎同士なんて振られて当たり前なんだから。
どーせこんなに傷つくんだったら、あいつに気持ちを伝えてからにすりゃよかった。伝えないまでも、もっと素直になって楽しいことは楽しいって、嫌なことは嫌だって、何でもいいから伝えればよかった――そうだろう?
――バカだ、俺は。
とことんバカ野郎だぜ――!
突如溢れ出た涙を隠したくて、思いっきり湯の中に顔を突っ込んだ。
髪も頭も顔も涙も、何もかも濡れてしまえばいい。
俺のチンケな片想いもみんな濡れて溶けてしまえばいい。
なのにとめるはずの涙はとまらなかった。
どんどん溢れて苦しくて、洗い流すつもりが逆効果なくらい、湯銭の中で溶けて溢れた。
「何してんだ、仁ーっ!」
俺がすっ倒れたとでも思ったのか、丞が血相変えて俺の元へと飛んで来た。
そして肩から抱きかかえられ、そして又、あの包み込むような瞳で俺の様子を覗き込む。
ああ、丞、その目が好きだったぜ……?
俺のこと心配して覗き込むお前のその顔が……大好きだったぜ?
俺、こんなにお前のこと大好きだったんだな――
「仁っ! おい、仁っ! どうした!? 具合悪ィのかっ!?」
大きな声が俺を呼んでいる。心配そうに見つめてる。
「ん、何でもねえよ……ちょっと目眩しただけ」
「のぼせちまったか?」
いつものように、俺を覗き込むその瞳が好きだ。そうやって覗き込むときのお前は俺だけのものなのに――!
勝手な思いがこみ上げれば、何だかすべてがどうでもよくなる気がした。
「ああ、そうだよ……のぼせてる……俺はずっと……ずっとっずっと前からのぼせてんだよっ!」
(ずっと前からお前にのぼせてる――)
そう叫んでしまったら、今までのすべてがガラガラと音を立てて崩れていく気がした。
丞への想いも、俺のバカなプライドも、嫉妬も羨望もすべてが崩れて壊れていく。
気持ちいいくらいに壊れていく気がした。
ふと、俺を抱きかかえてる丞の腕の筋肉が目について、その気持ちは更に強くなった。
そうだ、丞に好きな女がいようと結婚したかろうとそんなのどうでもいい、関係ない。
どうせ最初から叶わない想いなんだ。いくら好きでも野郎同士で付き合えるわけないし、ましてや結婚なんて論外なんだから。
だったらせめて今だけ、のぼせたふりしてこのままヤツの腕の中に抱かれていたい。少しでいいから触れ合っていたい。
丞の好きだというオンナよりも今は俺の方が傍にいるんだから。
ちょっとだけでいい、コイツを貸してくれよ……!
もう涙がとまらなかった。
湯に浸かって顔が濡れても滴る涙が隠せないくらい、俺はシャクり上げるように泣いてしまった。
「おい仁っ! 大丈夫かお前っ!? 具合悪いか!? しっかりしろっ」
「うっ……んんっ、畜生……っ」
「どした? 泣くほど具合悪いのか? ちょっと待ってろ、今すぐ部屋戻って布団に……」
「違う、大丈夫。身体が具合悪いわけじゃねえよ……ただちょっと……」
――そう、ちょっとだけこのままいさせてくれよ
「ちょっと……なんだ? 仁? 平気か?」
「ん、平気。具合悪いんじゃねえんだ……ただおかしいだけ……俺……ヘンなんだよ」
「ヘン……って? 何が……? 仁、何かあるんなら言えよ。俺には話せねえことなのか?」
「……話せねえことか……なんて……」
ああそうだよ。こんなこと、おいそれ話せるようなことじゃねえだろ……
お前が好きだから俺だけを見てくれなんてよ?
さっき言ってた『好きなオンナ』のことは諦めて俺にしろよなんて云えるわけない……!
ああ、でも云っちまった方がいいのかな?
そのオンナに負けたくねえよって……。
そのオンナだけじゃなくって他の誰にも……お前を渡したくねえんだよって……。
大人げなくてもいい。我が侭でもいい。厄介なバカ野郎でもお荷物でも、もう何でもいい、お前が好きなんだよ……!
そうやってお前の気持ちなんか考えずに、素直に思ってることを云えたらどんなにいいだろう?
「……仁? ……ん? 平気か?」
俺の肩をしっかり抱き締め支えたまま、深刻そうに心配そうに様子を窺ってくるのを見たら、何故だろう急に癪な感情がこみ上げた。
子供をあやすように、そうまるで……弟でもあやすかのように細められるその目がどんなにやさしかろうと、裏を返せばそれ以上の何物でも無いというのをありありと突きつけられるようで辛いんだ。
そんな目で見んなよ……そんな大真面目に心配そうなやさしい目で見んなよ……。
好きなオンナ以外の誰かにやさしくなんてすんなよっ……!
お前はいつだってそうじゃん、ビーチで初めて会った女にだってやさしくパラソル立ててやったりさ……。
ずるいんだよお前はっ!
あんなふうに親しくやさしくされりゃ誰だって勘違いすんだよっ……!
畜生っ――!
めちゃめちゃな気分だった。
急に丞のやさしさが憎くなったり、八つ当たりしたくなったり。俺ってマジ最低な野郎だな。
でもどうしようもないんだ。悔しいのとか悲しいのとか寂しいのとか、今まで素直になれないで嫌味ばっか言ってきた自分が嫌だとか、いろんな思いが頭ン中をぐるぐるして、そうかと思えば今度は急に襲ってくる孤独感みたいなモンが怖くてコイツに甘えたくなったり……。
もう自分の気持ちにコントロールがきかなかった。
確かにちょっとのぼせてるせいもあっただろう、さっき一気飲みしたワインがまわったってのもあるかも知れない。
俺は思いっ切り丞の胸に抱き付いてしまった。
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