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仁の海水浴日記(5)
「俺、ヤなんだよっ……お前がそーやってやさしくすんの……! いっつも他人に気ィ遣ってさ、誰にでも愛想良くって親切にして……好きでもねえのにやさしくしてやったり……そーゆーの見てんのヤなんだって……! 頭くるんだって! そんなのはな……好きな奴にだけしてりゃいんだよっ! てめえの好きなオンナにだけよー……!」
「仁っ、ちょっと落ち着けっての! おい、こら仁っ!」
「う……るせえよっ! 何でもねえよ! 具合なんか悪くねえんだから俺っ……離せってんだよ!」
「ったくもうー……だからお前は鈍感だってんだよ……!」
うわっ――!?
痛いくらいに腕をひねり上げられたと思ったら、そのまま背中ごと拘束されるように引き寄せられて、俺は丞の厚い胸板に思い切り頭をぶつけてしまった。
酷い乱暴な扱いだ。
ひねられた腕だって皮膚がよじれるくらい強くてヒリヒリする。
それなのに耳元で丞が怒鳴ったその言葉が、波紋のように広がっていくのが不思議と心地よかったのは何故だろう。見上げた丞の眉間にはクッと皺が寄せられていて、相当本気で頭にきているらしいのがよく分かった。
なのに俺を覗き込む瞳が酷く切なげに揺れているような気もした。苦しいとも怒りともつかないように揺れているような気がした。
その瞬間に切なげなその瞳が視界に入りきらないくらいに近く迫ってきて……。
――――え!?
又も痛いくらいの力で首根っこを掴まれて、それと同時にいきなりキスで口を塞がれ、俺は目の前が真っ白になった。
押し当てられた唇も痛いくらいの乱暴なキスだ。
何の冗談だよ……!
そういえば思い出した。映画かなんかっだったかな?
恐怖だか嫉妬だか忘れたが、とにかく興奮して泣きわめいてる女を黙らせるのに、主人公のオッサンがこんなふうにキスをしてたシーンがあった。『そのうるさい唇を塞いでやる』とか何とか言って、すっげえ気障野郎だぜとかって思ったことがある。俺はそういう格好つけたようなことが苦手だから、妙に頭にくる気がして鮮明に覚えてたんだ。
まさかコイツもそんな手を使うってわけか?
しかも相手は俺、一応オトコだぜ?
ふざけんじゃねえよ、いくら丞に惚れてるからってこんな扱いは御免だ。だって余計に惨めになるじゃんか。
例えばこれが俺じゃなくてもコイツはこういう状況なら誰にでも同じことをするつもりなんだろう、そう思ったらさっきの心地よさが一転、急に悔しくてたまらなくなった。
そうさ、よく考えてみれば誰彼構わず愛想のいいコイツのこと、やり兼ねない。
例えこれが見ず知らずの女でも……こんなふうに驚かせて不意をついて黙らせるんだろう。この気障ったらし……!
癪に障ってどうしようもない気分だった。
無性に暴れたい気分にもなった。
なのに涙が溢れてきて、それってすげえみっともなく思えて丞を睨み見上げたときだ、一瞬離れたヤツの顔が心なしか薄紅色に染まって見えたのは湯船でのぼせたからなのか、切なげな瞳が真っ直ぐに俺を捉え、苦しそうに歪みを増してた。
まるで今にも泣きそうなツラしやがって、何なんだよ一体……!
丞の気持ちが分からなくて俺は益々困惑してしまった。
そして又、アイツの瞳が近寄って視界に入りきらなくなって、でも俺は動くことも出来なくて、丞に抱き締められたままで、再び重ねられた唇がさっきまでとは全く逆にやさしく甘く、そして強く押し当てられたような気がした。
「んっ……! 丞っ……ちょっ……何でっ……!?」
なんでこんなことする?
何でキス……なんか?
どういうつもりなんだよ――
「……解らねえ? ホントに解らねえかよ?」
「何……が……?」
「何でこんなことするか、がだよ。何でキス……なんかするか……ホントに解らねえ?」
丞の瞳が苦しそうに揺れている。切なそうで焦れてもいそうで、だけども何だか甘くとろけてもいるようで……。
俺は又、都合のいいように受け取ろうとしてるんだろうか?
コイツの頬が染まって見えるのは単に湯船の中だからなんだぜ?
ヘンな期待なんかしちゃいけないんだ。
でもそれなら何でキスなんか……そんな思いつめたような顔して何でキス……なんか……するんだよ?
いきなりこんなふうに扱われて、正直ちょっとうれしいのと戸惑うのとでごちゃ混ぜな気分だ。
「じょ、冗談やめろっての……お前、仮にも好きな女いるってのに……こんなことすんなよ……いくら俺が弟みてえだっつったって……していいことと悪いことが……その……女にだって悪いじゃん」
「――ったく、ホンットに鈍感な、お前? 誰が好きでもねえ奴にキスなんかするかよ? 幼馴染みだから何してもいいなんて思ってるわけねえだろ」
「……え? だってお前……さっき……好きな女いるって」
「誰がオンナなんて言ったよ? 俺は『好きなヤツがいる』って言っただけだぜ? 案の定すっげえ鈍感野郎だけどな?」
半ば呆れたフリを装いながらも、視線はキョロキョロと泳いで落ち着かない。真っ赤に熟れた頬と曖昧に噛み締められた唇、恥ずかしそうに背けながらポツリポツリと云われる言葉。それってまさか……。
「……ッントに……マジ、手が掛かるぜお前……ちゃんと言葉で云わなきゃ解んねえってかよ? 俺なんかずっと前から気がついてたってのによ……」
「……何を……?」
「だからっ、お前の気持ちを! お前が俺のことどう思ってるかってことを……だよ」
「なっ……!? 何言って……!」
俺は絶句だった。いきなり何言い出すんだこの野郎……。
さすがにどう不都合に受け取ろうにも、言われていることが解らないわけないぜ。
丞が俺の気持ちに気づいてて?
しかも、まさかだけど丞も俺のことを……?
嘘だ、そんなの。きっとからかわれてるに違いない。
俺はとにかく冷静になろうとしたが、とてもじゃないが無理だった。こんなに急に出来過ぎた展開になるって、そんなの有り得ないだろ。どう考えてもおかしいだろ……?
やっぱりのぼせてんのかな?
これって現実じゃねえのかな?
そう思った。
でも丞の言っていることは冗談でもからかいでもなさそうだった。未だ視線を泳がせながら遠くの景色を眺めるようなふりをして、それって滅法照れているようでもあって……。
半信半疑な中にも有頂天になりかけてる俺に、丞はもっと信じられないようなことを言った。
「お前、解りやすい性質っつーかさ、お前の態度見てりゃ解るって……いっつも俺に楯突いて思ってることと反対のこと言ったりしてよ? でも俺もバカだからそんな態度されっとついうれしくなっちまったりして……俺ってそんなに愛されてんだーとかさ……?」
「バッカやろ……誰が愛されてるなんてそんなっ……」
「愛してんだろ? 俺のこと、ずーっと好きだったろお前?」
「何言ってっ……!」
信じらんねえ……なんでコイツはこうなんだ。いくら明朗快活ったってそこまで言えるかよフツウ――
俺なんか例え確信があっても絶対に口には出来ないような言葉だ。
さっきまでの悶々とした思いが一気に冷めるくらい、俺は呆気にとられながら丞を凝視してしまった。
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