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ギブソン ②

 仕事が終わり、いつものようにナオミの店に足を向けると、目的の人物は既にカウンターに座ってグラスを傾けていた。 「透。すまない、待たせたか?」 「いや。オレも今来たところだから大丈夫なんだけど……それより、そっちの方は?」 「……あぁ、気にするな。 単なる暇人だ……」  眉間に皺を寄せたまま、小さく息を吐くと自分の背後にいる男を一瞥し、透と呼ばれた男の横に腰を下ろした。  あの後、よほど気になるのか一日中ソワソワしながら瀬名が此方を見てくるので、流石に気が散って仕事に集中できなかった。終業時刻を過ぎてもあからさまにこちらを見て来るので、流石に鬱陶しくなって仕事終わりに仕方なく、「一緒に来るか?」 と声を掛けたところ嬉々としてついて来てしまったのだ。  ただし、同席はさせない。という条件付きで。もし、妙な仕草をみせたら速攻で店からつまみ出す心積もりでいる。 「ふぅん? オレは別に一緒に居てくれても構わないのに」 「冗談言うな。それじゃあ俺の心が休まらねぇよ。せっかく久々の従兄弟同士の逢瀬を邪魔されたくねぇんだ」 「ハハッ、理人は忙しすぎて中々親戚の集まりにも顔を出せてないもんな」 「……まぁ、な。とにかく、アイツの事は気にするな」  もしも、透の口から昔話なんて始められたら居心地が悪い事この上ない。黒歴史を暴露されるほど恥ずかしいことは無いし、ナオミが面白がって話をややこしくするのが目に見えている。 「とかなんとかいっちゃって〜、あの子今一番のお気に入りのクセに」 「……おい、余計な事言うんじゃねぇよ」  ビールジョッキを片手にやって来たナオミを睨み付けると、理人はむすっとした顔のまま煙草を取り出して火をつけた。 「やぁねぇ、怖い顔して。悪い顔が一段と怖く見えるわよ!」 「うるせぇ……たく、店変えた方が良かったか?」 「え? 此処でいいよ。酒も、ナオミさんの作る飯も美味いし」 「あら嬉しい事言ってくれるじゃない。透ちゃん。お姉さん、サービスしちゃう」 「てめぇはお姉さんじゃなくてオカマのオッサンだろうが」 「だまらっしゃい! もー、女心がわかってないのよ、理人は!」  野太いキンキン声を上げながらカウンターの奥に消えていくナオミを後目に二人は苦笑しつつ、ささやかな乾杯を済ませた。 「……そう言えば、インハイ予選残念だったな」 「あぁ、うん……。生徒たちみんな頑張ってたんだけどな……。流石に全国は甘くなかったよ」  そう言いながらビールを煽る姿は理人のよく知っている従兄弟ではなく、立派な教師の顔をしている。  透が教師になりたいと言い出した時には流石に驚いたが、なんだかんだ言って昔から面倒見のいい性格をしていたから向いているとは思っていた。 「まぁ、これから先何回もチャンスはあるだろう? 来年また頑張ればいいじゃねぇか」 「ハハッ、簡単に言ってくれるな」  そう苦笑しつつ、透がビールを一気に煽った。 「……今年はちょっと、色々あり過ぎたからな……」 「……そうか……」  何かあったとは知っていたが敢えて口には出さなかった。誰だって話したくないことはあるだろうし、無理矢理聞き出しても仕方が無い。 「あれ? 増田センセーじゃん。久しぶり~!」  ビールを飲み干し、2杯目を頼もうかと思っていたタイミングで、凛とした声が背後から響いた。  振り返るとそこには此処で従業員として働いている湊の姿があった。派手なナオミとは対照的な白のワイシャツに蝶ネクタイ、黒いカマ―ベスト姿がやけに似合っている。 「湊か……久しぶりだな。元気してたか?」  そう言って懐かしそうに目を細める透は、やはり教師の表情をしていた。 「そりゃ勿論! 仕事は楽しいし、お客さんも良い人ばっかりだし、俺は毎日超元気だよ」  コトリと、二人の間に生ハムと野菜の盛り合わせを置いて、にっこりと微笑みながら透の隣へ腰を下ろす。 「そっか、良かった……。湊が笑顔でいられる場所が見つかって安心したよ」 「ほんと、増田センセーには感謝してる。センセーが居なかったら俺、今頃どうなってたか……」  二人は半年前まで、先生と生徒という間柄だった。ジェンダーレスの湊は学校に上手く馴染めず、不登校気味だったと聞いている。  どうしても放っておけない生徒がいるのだと相談を持ち掛けられ、それならばと理人がこの店を紹介してやったのだ。 「勿論、理人さんにも感謝してるよ!」  急に名前を呼ばれ、危うく野菜スティックを落とすところだった。 「別に俺は何もしてない。この店を勧めたのは俺だが、最終的にここに落ち着いたのはお前の意思だろう?」  素っ気なく答えながら野菜スティックを口に運ぶ。  その様子を見て、湊はクスリと小さく笑いながら立ち上がり空になったグラスを引き上げると、「じゃぁ、また後で」と、言いながらそのまま奥へと下がっていった。  それを見送りつつ、「あいつ、あんな風に笑うようになったんだな……」と感慨深げに呟く透に理人も「そうだな……」と同意を示す。  初めて会った時は、自分の殻に閉じ籠ってばかりで誰にも心を開こうとしなかったのに、今ではすっかり明るくなり、仕事が楽しくて仕方が無いと言わんばかりに日々を楽しんでいるのが手に取る様にわかる。それはきっと、湊自身が大きく変わったからで、そんな彼を変えてやれたのは透の存在が大きいのだろうと、理人は密かに感じていた。  それから暫く、二人で他愛もない話をして過ごしたが、いつの間にか瀬名の姿が見当たらなくなっていることに気が付いた。  辺りを見渡していると、ナオミから「あの子なら帰ったわよ」と、言われ、思わず溜息を吐く。 「……そうか……」  つい、透と話し込んでしまいすっかり瀬名の存在を忘れてしまっていた。悪い事をしてしまったから、今度埋め合わせを――。  そこまで考えて、我に返る。  いやいや、元はと言えば瀬名が勝手について来ただけじゃないか。何を考えているんだと自分に呆れながら、理人はビールを一気に飲み干した。

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