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ジプシー⑦

 その日は、珍しく瀬名が遅くまでフロアに残っていた。パソコンに向かって作業をしていた理人が顔を上げると、「お疲れ様です」と、言ってタイミングよくコーヒーを差し出してくれる。 「あぁ、すまない」  一瞬戸惑ったもののそれを素直に受け取り、冷ましながらゆっくりと口に含むと、程よい苦味と酸味が心地良く感じてほっと小さく息を吐いた。 「ここの所ずっと残業続きみたいですね」 「まぁな。課長の復帰がまだ先になりそうなんで、雑務が溜まってるんだ」 「そんなの、朝倉さんに振ればいいじゃないですか」 「アイツは駄目だ。ただでさえ使えねぇのにここ最近、ぼーっとしてて自分の仕事すらまともに出来てねぇからな。ミスも多いし……」 「あぁ、確かに」  瀬名も何か感じるところがあったのか、同意するように笑った。 「……で、お前はどうしてこんな時間まで残っているんだ?」 「どうしてって……少しでもあなたの側に居たくて」  ストレートな言葉にドキリと心臓が跳ねた。 「……っ」  不意打ちの言葉に、思わず理人は視線を逸らす。瀬名は時々こうして、恥ずかしげもなくさらりとこんなセリフを言うから困る。いちいち反応していては身が持たないと思いつつも、昨日のこともありどうしても意識してしまう。 「冗談ですよ」  瀬名はクスリと笑うと理人の椅子を反転させ、向き合うような形にすると机の上に手を置いて身を乗り出してきた。 「おい、なんのつもりだ……まだ仕事が――……」 「知ってます」 「だったら尚更邪魔するんじゃねぇ」 「わかっています。だから、ちょっとだけ……キスさせて下さい」 「はぁ!?」  突拍子もない瀬名の申し出に、思わず声が裏返る。 「キスだけはいいって言ったじゃないですか」 「……ッ」  確かに言った。だが此処はオフィスで、いつ誰が入って来るかもわからないというのに……。瀬名の真意がわからず、じっと見つめ返すと切なげに揺れる瞳に捕まった。  そんな目で見つめられたら、断ることが出来ない。 「……本当に少しだけだぞ」 「はい」  瀬名は嬉しそうに微笑むと、ゆっくりと顔を近づけて来た。  そっと触れるだけのキスはくすぐったくてもどかしい。  ふわりと降り注ぐように落ちて来た瀬名の煙草の香りに昨夜の痴態を思い出して、ブワッと一気に体温が上がった。  咄嗟に両手で突っ撥ね、慌てて手の甲で口元を押さえながら顔を逸らす。 「……理人さん……?」  此処で拒否されるとは微塵も思っていなかったのだろう、瀬名はショックを隠し切れないと言った顔で理人を見ていた。

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