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キール ⑨
入浴後、濡れた髪をタオルで拭きながらリビングに戻ると、ソファに座ってパソコンを立ち上げた。
ビール片手に東雲から受け取ったUSBの中身を改めて確認する。
その中に課長のひき逃げ事件についての記事が数枚入っていた。夕刻の薄暗い時間帯、天気は曇り。車は突然課長に向かって猛スピードで突っ込んできている。
目撃情報も少なく、車のナンバーも偽装されていた為犯人に繋がる直接的な手掛かりは少ない。警察は今も犯人の行方を追っているが、捜査は難航している……。
「……」
事故に遭った状況が今回の件ととてもよく似ている印象を受けた。 ブレーキ痕はなく、未必の故意での犯行だと思われる。
同一人物なのかはたまた、組織ぐるみの犯行なのかはわからないが瀬名をあんな風にした犯人を捉まえないと気が済まない。
思わず缶を握る指先に力が篭りぐしゃりと嫌な音が響く。溢れだしたビールが手を伝いテーブルに液だまりが出来て理人は慌ててタオルでそれを拭った。
「チッ……」
舌打ちをして、理人は新しい缶ビールを開けると勢いよく喉へと流し込んだ――。
翌日、病室へ行くと看護師から部屋を2人部屋へ移ったと聞かされた。
入院が長引けば部屋代も高くつくだろうし、それは仕方がないと思うが、随分急な話だ。昨日はそんな話出ていなかったのに……。 と思いながらも理人はその病室へ向かった。
ノックすると「どうぞ」と瀬名の声が聞こえたので扉を開く。そこには、ベッドに腰掛けて隣のベッドの人物と楽しそうに談笑している瀬名の姿と、綺麗な女性を連れた萩原がいた。
「あ! 部長! お疲れ様です!」
「なんだ、君も見舞いに来ていたのか……」
理人が声を掛けると、萩原は何と言ったらいいかわからない表情を浮かべて理人を見た。
「えっと、僕は片桐課長のお見舞いに……そしたら、瀬名さんが居たんでびっくりしてた所だったんです」
「えっ?」
そこでようやく、瀬名の隣にいる人物が片桐だと気が付いた。
「部長は、瀬名君の所に毎日来ているそうだが私の所には全然来てくれないんだなぁ」
「す、すみませんっ! けしてないがしろにしていたわけでは無かったんですが……」
瀬名の事で頭がいっぱいでそこまで気が回らなかったとは言いづらい。理人は冷や汗を流しつつなんとか言葉を紡いだ。
「ふふ、冗談だよ。それにしても、こんな場所が初対面になるなんて僕も思ってもみなかったよ。部長がベタ褒めする社員なんて珍しいから会ってみたいと思ってたんだ」
「ちょっ、片桐課長っ!」
「へぇ……理人さんが僕の事をそんな風に……嬉しいなぁ」
「う……っ、ま、まぁ私だって……人を褒めること位ある」
「でも俺、部長が人を褒めるの見たことないですけどね」
「……くっ」
何気なく言ったであろう萩原の一言で言葉に詰まる。
どいつもこいつも余計な事を言いやがって! 理人は恥ずかしさを隠す為にわざと不機嫌そうに顔を歪めた。
「あ、理人さん、もしかして照れてます? 可愛いいなぁ」
「馬鹿を言うなっ! 照れてなどいない!」
理人が否定すればするほど瀬名は面白がってからかってくる。そんな二人の様子を、片桐と萩原は笑顔を浮かべて眺めていた。
「いやぁ、今日はいい日だ。萩原君の嫁さんもこの目で見れたし……。正月明けの復帰が楽しみだよ」
「もしかして、退院決まったんですか!?」
片桐の言葉に、理人は思わず声を上げた。
「あぁ、無事に今日退院許可が下りたんだ。年越し直前になってしまったが間に合ってよかった」
片桐によれば、定期的なリハビリはまだ少し必要になって来るが、明日にはもう退院できると言う。
「そうですか……良かった。おめでとうございます」
理人は心の底からホッとして胸を撫で下ろした。これでひとまず仕事が少しは減るだろう。
「復帰したからってあまりコキ使わないでくれよ? 鬼塚部長は人遣いが荒いからなぁ」
「なっ!?、いくら何でもそこは配慮しますよ!」
「ふふ、冗談さ。冗談」
「……ったく」
すっかり毒気を抜かれた気分で理人はひっそりと嘆息した。
片桐課長が復帰するとなれば、後はアイツを何とかするだけだ……。
それから暫く、みんなで談笑した後、萩原と共に病室を後にした。
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