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キール ⑩
瀬名と二人きりで話が出来なかったのは残念だが、順調に回復しているようで安心した。
理人が安堵の溜息を吐くと、萩原は不思議そうな表情を見せた。
「片桐課長、思ったより元気そうで良かったですね」
「あぁ、一時は意識不明だったからな。無事に退院出来て良かった」
「じゃぁ、今度は新年会も兼ねて課長の快気祝いですね!」
「……お前、飲み会ばかり企画してないか?」
ジト目で睨むと、横で奥さんがクスクスと笑う。
「ち、ちゃんと家族サービスはしてますから! それに、たまにしかしてないじゃないですかっ」
「本当か? 嫁さん泣かせたりしてねぇだろうな」
「してませんって! ……なんか、部長とこんな話が出来る日が来るなんて……なんだか不思議な気分です」
「なんだそりゃ」
理人は思わず苦笑した。確かに、以前の理人と社員の間では見えない壁があったように思う。自分でも、出来る限り素は出さないようにしていたし、完璧な上司でいるために敢えて厳しく接していた部分もあった。しかし、瀬名に理人の仮面を剥ぎ取られてからというもの、それが上手く機能していないような感じが拭えない。理人が戸惑っていると、萩原はにっこりと笑った。
「でも俺、今の部長が好きです! 人間臭い部分もちゃんとあったんだなぁって安心できるって言うか……」
「……っお前は私を何だと思ってたんだ」
「あはは、まぁ、なんと言いますか……ずっと理想の上司像みたいなのがあって……ちょっとだけ遠い存在に思えてたんですよ。部長は完璧で……完璧過ぎて近寄りがたいイメージが有ったんです。だから、こうやって部下の事を心配したり、一緒に喜んだり……そういう感情を見せてくれると嬉しくて。あ、でも勿論普段の厳しい態度も好きですよ? 俺、凄く尊敬してますから!」
「……」
真っすぐな言葉を向けられると、眩しくて何と答えていいのかわからなくなる。
「あ! そう言えば……俺、ちょっと気になるモノを見てしまったんですよ」
「気になるモノ? なんだ……?」
「朝倉係長に関してなんですが……」
その言葉に理人の眉がピクリと跳ねる。今まさに理人が一番気にしていた話題を振られ、心臓がドキリと高鳴った。
萩原は今回の事件の詳細を知らない筈だ。一体朝倉の何を知っているのか。
「仕事納めの日だったんですけど。あの人、珍しく外回りに出たなぁと思ってたら、真っ黒いスーツを着た怪しい男とファミレスに居たんです」
「ファミレス――……」
「俺、ちょうどそこに居合わせちゃって。なんだかよくわからないけど、話が違うだろ! って怒鳴ってて……凄い剣幕だったので最初は別人かと思ったんですが」
「……詳しい詳細とかは?」
「探偵一人潰せないのか!? とか、なんとか……。後は、気になったのでファミレスの店員さんにお願いしてコレを机の裏側に張り付けてて貰って」
萩原が取り出したのは現在試作品段階の超小型盗聴器。まだまだ不具合が多く実用化は程遠い代物だが、萩原はこういう小細工が得意だ。以前、理人が頼んでおいたのをいつの間にか仕掛けていたらしい。
「一応確認はしたんですが雑音が多い上に、段々と聞くのが怖くなってしまってどうしようかと思っていた所だったんです」
「私が預かってもいいか?」
「はい、元々年が明けて仕事が始まったら、部長に渡すつもりでいたので」
「そうか……」
理人は小さな機械を受け取ると、胸ポケットにしまった。これで、この騒動も収束に向かうだろうか。
****
萩原と別れ、帰宅すると理人は早速萩原から受け取った音声データを再生した。
―――ガチャッ ノイズ混じりの音に耳を傾けながら聞こえてくる声に耳を傾ける。
――お前らホントに使えねぇな! 鬼塚理人を殺れと言ったんだぞ? それなのにアイツは
何故ピンピンしている? それに、探偵が思ったより手練れだっただと? ふざけるな! 1人が無理なら複数でやれ! 相手の生死は問わん。娘のデータが入ったUSBさえ手に入ればそれでいい――。
そこまで聞いて理人は音を止めて画面を睨みつけた。
(やはりコイツ等は黒……)
さて、これからどうしてくれよう。
証拠を集めて警察に突き出すのは簡単だが、それではこの胸糞悪い気分が晴れない。だが、このまま野放しにしておくのは危険だ。
相手は思った以上に、狡賢い上に悪意に満ちている。こちらも対策を練らなければ……。
理人は無意識に指輪を擦り、唇を噛みしめると今後の対策を考えるために東雲に連絡を取ることにした。
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