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ブルドック ③

 翌日、指定された時間にホテルに行くとフロントマンが直ぐに部屋の前まで案内してくれた。  予め伝えていたお陰でスムーズに事が運び、そのまますぐに部屋の中へと足を踏み入れる。  部屋の中にはまだ誰も来ておらず、理人はソファに座って時が来るのを待った。  部屋の中はモニターで監視されており、外の様子は耳に嵌めたイヤモニから逐一東雲から報告が入るようになっている。そして、暫くするとノックの音が聞こえて、何も知らされていない朝倉が部屋に入って来た。  朝倉は部屋に入ってくるなり室内を一通り見渡し、ソファに座る理人の姿を見つけると驚いたような顔をして立ち止まる。 「な……っなんでアンタが此処にいるんだ!?」 「さぁ、なんでだと思う? 今日面白い話し合いがあるって聞いたもんだから、俺も混ぜて貰おうと思ったんだよ」  理人は動揺している朝倉に意地の悪い笑みを向けると、ゆっくりと立ち上がった。  東雲は事前に打ち合わせした通りの場所に上手く誘導してくれているようで、この部屋の付近には他の人間の気配はない。  今頃は、間宮と共にひき逃げ犯を張り込んでいる事だろう。  東雲が用意していた録音機器を手に取り、理人は朝倉に近づくと、その耳元に唇を寄せた。 「――よくもアイツを傷つけてくれたな……」  自分でも驚くくらい低くてドスの利いた声が出た。途端、朝倉がヒィッと情けない声を上げる。  理人はその怯えた表情を見て、内心で舌打ちをする。今まで、コイツの演技に騙されてきたがもう騙されはしない。目の前にいるコイツは気弱な木偶の坊ではなく、狡賢い犯罪者の一味だ。 「いい加減、猫を被るのはやめたらどうだ? もう全部バレてるんだよ……みっともねぇな」  理人が冷たい声で言い放つと、朝倉はぎゅっと拳を握りしめ震えながら理人を睨み付けた。 「ハハッ、何のことだかさっぱりわかりませんね。誰かとお間違えじゃないですか? 鬼塚部長」 「……チッ、いや。間違ってねぇよ。今日お前が此処で会う予定だった男の名は西谷、だろう?」  名前を出した途端、朝倉の頬がひくりと引きつったのがわかった。  ――ビンゴ、だな。  理人は苦々しい気持ちを堪えて笑みを浮かべると、手に持っていたボイスレコーダーのスイッチを押した。  ――お前らホントに使えねぇな! 鬼塚理人を殺れと言ったんだぞ? それなのにアイツは何故ピンピンしている? それに、探偵が思ったより手練れだっただと? ふざけるな! 複数でやれ。相手の生死は問わん。娘のデータが入ったUSBさえ手に入ればそれでいい――。  音声を聞いて朝倉の顔から見る見るうちに血の気が引いていく。 「残念だったなぁ、俺を殺せなくて。お前が何にこだわって俺や課長を殺そうとしたのかは知らねぇが……やり方が気に入らねぇ」  理人は冷淡な表情で、俯いている朝倉に視線を落とした。 「……な、んで……っ」  朝倉が小さく呟く。 「あぁ?」 「なんでいつもアンタは僕の邪魔ばかりするんだっ!!」  朝倉は突然叫ぶと、勢い良く顔を上げた。目は大きく見開かれ、その表情は怒りと憎悪に満ちている。 「目障りなんだよ! あんたも、課長も! お前らがいなければ今頃僕は出世街道まっしぐらだったんだ!! なんでだ!? どうしてこんなにうまくいかないんだ!?」  朝倉は顔を真っ赤にして怒鳴るように言い放った。  にわかには信じがたいが、コイツは本気でそう思っているのだろうか? 「チッ……くだらねぇ」  理人はぽつりと呟いた。 「はぁっ?」 「……そんな事で、お前はあの事件を起こしたっていうのか?」  理人は目を細めて朝倉を見た。 「そんな事だと!? 僕にとっては重要な事だ! 僕はエリートコースを歩くはずだったのに……! アンタが! アンタがいたせいで、嫁は男を作って蒸発するし……娘はあんな事に手を出す羽目になったんだ……!」 「自分自身が客観的に見れないなんて哀れだな……」  こんな奴の身勝手な思考の為に、罪もない課長や瀬名が死にそうな目に遭い、東雲は暴漢に襲われかけたのだと思うと腸が煮え繰り返る思いだ。 「うるさいっ!」  理人の言葉に朝倉は激高すると、いきなり懐に手を入れ何かを取り出すと理人目掛けて突進して来た。 「――遅っせぇ……な!」 「ぐぅっ!」  間合いに入ったと同時に振り下ろされたナイフを理人は素早くかわし、ナイフを手から叩き落とすと、鳩尾に強烈な蹴りを叩き込んだ。 「がはっ!」  朝倉は後ろに吹っ飛び、床に倒れ込む。そのまま馬乗りになって押さえつけると、理人は朝倉の顔面目掛けて拳を振りあげ――。

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