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ブルドック ⑥

「みんな。長い事留守にしてすまなかった。少々ブランクは出来てしまったが、これから頑張るのでまたよろしく頼む」  新年が明けてから最初の月曜日。宣言どうり、仕事始めに合わせるようにして片桐課長がフロアに復帰した。  皆が拍手で出迎える中、理人はホッとしたように息を吐く。これでようやくいつもの日常が戻って来た。  朝倉の件は、翌日に理人から社長へと報告を入れておいた。社長によれば、片桐と理人それぞれの昇進が決定した時、朝倉だけが不服だと直談判に来たと言う。  出世を夢見るのは勝手だが、実力が伴っていないことを理解できていないのは痛い。勝手に解雇することは出来ないが、野放しにしておくわけにもいかない為、数日のうちに北海道支社への転勤が発表されるだろう。  間宮によれば、朝倉は取り調べを受けている間も自分は悪くない! の一点張りで全く聞く耳を持たなかったと言う。  何処までも馬鹿な男だ。嘘でも大人しく罪を認めていれば、事情聴取だけで済んだかも知れなかったのに。警察側は再犯の恐れありとしてしばらく監視下に置いておくつもりらしい。  結局、理人の話なんて彼の耳には何も入っていなかったという事だ。  出世することばかりに拘り、家庭をないがしろにしてきた父親と、自分磨きをする事に忙しく幼い理人を放置していた母親。見栄とプライドだけは一人前に高く、褒めるのはいい成績を残した時のみで後は全くと言っていいほど無関心。  朝倉を見ていると、何故だか自分の両親を思い出して虫唾が走る。 何処までも自分勝手な大人たちに振り回される子供の心の闇は、どれほどのものだろうか? 「……鬼塚君?」  気が付けば随分考え込んでしまっていたようだ。皆の視線がこちらに向けられていて、理人はハッと我に返った。 「えー、ゴホン。新年早々すまない。今日から早速仕事始めだ。今月中には大きなプロジェクトが控えてる。各自、気を引き締めて業務に当たってくれ」 「はい!」  全員が一斉に返事をする。その様子に満足したように笑みを浮かべると、理人は自席に戻った。 「課長、至急この書類に目を通していただきたいのですが」 「えー、早速? 復帰したばかりなのに相変わらず容赦ないなぁ」 「時間は有限ですから。何事も最初が肝心でしょう? 片桐課長も暢気に構えていると時間内に終わりませんよ」 「おやおや、手厳しい」  提出期限が短い書類の束をどさりと課長の机に置きながら理人は事も無げに言い放つ。  その様子に、他の社員たちは苦笑いを浮かべた。 「さっすが部長。戻って来たばかりの課長にも容赦ねぇ」 「まあ、あの人だしな……」  そんな会話を右から左に聞き流しながら、理人は自分の仕事を片付けるべくデスクに戻る。 するとタイミングよくスマホが震え、メッセージが入っていることに気が付いた。  それは、瀬名からの退院日が決まったと言うメッセージだった。  ――どうしよう、すごく嬉しい。  思わず表情が緩みそうになるのを必死に堪え、業務に集中しようと努める。だが、どうしても顔がニヤけてしまうのを止められなかった。

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