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デニッシュ メアリー ③

「おい、瀬名。てめぇいい加減に――」 「ふふ、感じちゃった?」 「っ!ざけんな! 誰が……ッ」 「理人さん、可愛い」  理人が怒鳴っても瀬名は怯まず、むしろ嬉しそうに目を細めてキスしようとしてきた。  理人は瀬名をギロリと睨みつけると、渾身の力で鳩尾に拳を叩き込んだ。  ぐえっとカエルが潰れたような音がして、瀬名はその場に蹲る。 「うわー、容赦ないな鬼塚さん……これはからかいすぎ注意だな……」 「調子に乗り過ぎだ。馬鹿がっ」 「ハハッ、なるほど……鬼塚理人、なかなか面白い男だ。ますます気に入った」 「何をどう取ったらこれが面白いになるんだお前は」  一連の流れを見ていた間宮にグッジョブとばかりに親指を立てられ、理人はげんなりとしたため息を漏らす。 「コイツなんだろう? 朝倉が嗾けた相手にお前を庇ってひき殺されそうになった相手」 「……」  理人は沈黙した。別に隠し立てする必要はないのだが、何となく言いたくなかった。というより、何と言えばいいのか分からないのだ。  それを肯定と取ったのか間宮はふっと口元を緩めもう一度瀬名に視線を移した。 「冷酷無比だったアンタが人の為にあそこ迄怒れるなんて珍しいと思っていたんだ。だが、今のやり取りを見て確信した。人に愛されると人間は此処まで変われるんだな……」  感慨深げに間宮が言うと、理人はフンと鼻を鳴らした。 「……くだらねぇ。おい、瀬名行くぞ」  まだ腹を押さえて苦しそうにしている瀬名に声をかけると、会計を済ませて理人はそのまま店の外へと出て行ってしまう。  慌てて後を追ってくる瀬名と合流すると、徐に瀬名の手首を掴んで歩き出した。 「たく、どいつもこいつも……訳の分からねぇことばっかり言いやがって……」  ブツブツと文句を言いながら歩を進める理人を瀬名が後ろからそっと抱きしめる。 「理人さん……」 「……おい、てめぇ。ここ、外だぞ」 「わかってます、でも……一つ聞きたいことがあるんです」 「……なんだ」 「朝倉係長が、あの事故に関わっているって本当ですか?」  そう問われ、理人の肩がピクリと動く。 何をどう説明していいかわからず、そっと瀬名の腕を引き離すと僅かに距離を取った。 「あの場で、僕だけが知らない何かがあるように感じました。何を隠しているんですか」  真剣な眼差しで見つめられ、理人は暫く黙り込んでいたが、やがて諦めたように大きく息を吐き出した。 「……大したことじゃねぇ」 「そんなに、僕の事信用できませんか?」 「そういうわけじゃねぇよ」 「だったら、――」  理人の服の裾を掴み、瀬名は訴えるように理人の目を見つめた。けれど、理人はその手を払うと静かに首を横に振る。  今は、言えない――。  瀬名はそんな理人を見て、悲し気に眉を寄せ唇をきゅっと噛んで引き結んだ。 「言えないって……どう、して?」 「……瀬名。今日は自分のマンションに帰れ」 「えっ?」  瀬名は戸惑い、理人の腕を掴んだ。けれど、理人はそれに答えることなく踵を返すとそのまま歩き出す。 「ちょっ、待ってくださいよ! どうして急にそんな事を……」  理人は足を止めたが振り返ることはなく、ただ一言だけ告げた。 「悪いな、少し一人で考えたいことがあるんだ」 「それは……僕と一緒にいるのが嫌になったってことですか」 「……違う」 「じゃぁなんで」  問い詰めるような口調で瀬名が尋ねるが、理人はまた黙り込んでしまう。  瀬名もこれ以上は何も言わずに、ぎゅっと拳を握って俯いた。

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