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デニッシュメアリ― ④
「――はぁ……」
あの日から約1週間。瀬名とは何となく気まずくてまともに話をしない日々が続いている。
理人はデスクに肘をつき掌に顎を乗せてため息をついた。このところずっとこんな調子だ。
(何やってんだよ俺は……)
いくら何でも酷い態度を取りすぎたと反省しているのだが、いざ声を掛けようと思ってもなんと話しかけていいのかがわからない。仕事上必要な事は普通に会話できるがそれ以外のプライベートなこととなると途端に言葉に詰まって上手く話せなくなってしまうのだ。
瀬名は怒っているのだろうか? いつも自分の周りを尻尾を振ってウロウロしている奴が、近づいてくる気配さえなくて理人は不安で堪らなかった。だが、謝ろうにもどう切り出していいかわからず、理人はまた大きな溜息を吐いた。
「鬼塚部長、最近機嫌悪くね?」
「溜息ばっかりついて、何か難しい案件でも抱えてるんだろうか?」
そんなうわさ話ばかりが耳に届いて余計に苛々が募る。
「部長、ちょっといいかな」
そこへ、片桐がひょいっと顔を覗かせてきた。
「……えぇ、構いませんが」
「これ、この間の報告書だけど……確認してもらえるかい?」
片桐が書類を差し出してきて、理人は渋々とそれを受け取って目を通す。
課長が戻って来てからというもの、自分の負担はグッと減った。
つい、きつい口調になってしまう自分と他の社員との間で緩衝材の役目も担ってくれているために、以前より随分とコミュニケーションは取りやすくなったと思う。
つい、凄んでしまってビビらせることも偶にはあるが、その度にフォローを入れてくれるので助かっているし感謝していた。
「どうだい? おかしな所とか無いかな?」
「大丈夫です。よくまとまっていますし分かりやすいと思います」
率直な意見を述べると、片桐は一瞬驚いたように目を見開いた後、柔和な笑顔を理人に向ける。
「片桐課長。……課長は、奥様と喧嘩などされますか?」
「ん? なんだい、突然」
「あ、いえ。何でもないんです」
無意識のうちに口走っていた。一体何を聞いているんだと自分で自分が恥ずかしくなる。
理人は誤魔化すように苦笑いを浮かべたが、片桐は何かを察したように目を細めて笑みを深めた。
そして、徐に理人の肩に手を置くとポンッと叩く。
「そうだね、私の場合は喧嘩というより一方的に叱られる事が多いかな」
「……は?」
予想外の答えに理人は思わず間の抜けた返事をしてしまった。
「私の妻は厳しい人でね。家では頭があがらないんだ。それに、最近は娘にもよく怒られてしまってね。謝ってばかりだよ」
「そう、なんですか。すみません、おかしなことを聞いてしまって」
「いや、大丈夫。それより……瀬名君と喧嘩でもしたのかい?」
「っ!」
不意に図星を突かれ、理人は動揺して手に持っていたファイルを落としてしまった。バサバサと資料が床に落ちていく。
「やっぱりそうなんだね」
落ちた紙束を集めてくれながら、片桐が可笑しそうに笑う。
「あ、いや……」
何と答えていいかわからずにいると、それを察したのか片桐がふっと笑みを零した。
「ここじゃなんだし、少し休憩がてら話をしようか」
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