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デニッシュメアリ― ⑦

「遅くなってすみません。あー……一週間ぶりの理人さんの匂い……」  瀬名はすんすんと首筋に顔を埋めて犬のように鼻を鳴らす。 「ばか、くすぐったいだろうが! 少し離れろっ」 「嫌ですよ。もうちょっとこのままで……」  ぎゅうっと力強く抱きしめられて身動きが取れなくなる。久しぶりに感じる温もりに鼓動が高なった。 「……チッ、これじゃぁ、意味ねぇじゃねぇか」 「え? なんですか?」 「……ッ、なんでもねぇ」  つい本音が出てしまい、慌てて誤魔化すようにぶっきらぼうな口調になる。そんな態度に、瀬名も違和感を覚えたのか不思議そうな顔をしていた。 「……とにかく入れよ」  これ以上密着していても何も話は進まないと、理人は強引に瀬名を乱暴に引き剥がすとリビングへと招き入れた。 「それで、ちゃんと説明してくれるんですよね?」  向かい合って座るや否や、瀬名は早速とばかりに口を開く。 「……ああ。まずは、お前が聞きたがっていた事だが……、とりあえずこれを見ろ。説明するより見た方が早い」  あらかじめ準備していたパソコンを開き、USBを差し込むと例のひき逃げ事件の概要と、一連の流れを時系列に纏めた表が表示された画面を見せ、瀬名が閲覧している間にコーヒーを入れに行った。  こだわりの強い瀬名はコーヒーの銘柄にも煩いので、最近では棚に数種類のメーカーが常備してある。自分の家に瀬名の持ち物が少しずつ増えていくのは嫌いではない。  以前の自分なら考えられない事だったが、今ではそれが当たり前になっている事に少しむず痒さを感じた。  瀬名が好みそうなコーヒーを入れて戻ると、瀬名は難しい表情をしてじっとディスプレイを見つめていた。 「なんですか……コレ……。朝倉係長が、片桐さんと理人さんを殺そうとしていた……? どう、して……」  画面を見ていた瀬名の声が震えている。 信じられないとばかりに目を見開き、次のページをクリックする手が止まる。  理人はそっとカップをテーブルに置くと、後ろから瀬名の身体をふわりと抱きしめた。 「一体何処から話せばいいかわからなくて、あんなきつい言い方でお前を拒絶しちまった。……悪かったな」  謝罪の言葉は驚くくらいするりと口をついて出て来た。あんなにウダウダ悩んでいたのが嘘みたいに言葉が出てくる。  瀬名は一瞬、身体を強張らせるが、すぐに力が抜けて理人に体重を預けた。その仕草に愛しさを感じて頬にそっとキスをすると驚いたように振り返る瀬名と目が合った。 「……理人、さん?」 「お前が出張に出る前の晩、オフィス内でキスしたのを覚えているか?」 「え? あ、あぁ……はい」 「あれを、朝倉に撮られていたんだ。……ちょうど同じ時期に専務が援交してたって言う情報が社内に大々的に流れ始めて、専務は退職に追いやられた。情報をうちの会社に流したのは、専務の奥さんだったそうだ。出世を夢見ていたアイツは焦ったんだろうな。俺にその写真を見せて、部長職を降りろと迫って来た。条件を呑まなければ写真を社内にばら撒くってな」 「……もしかして、自分の娘が専務の相手だとバレないようにする為の目くらまし的な感じですか……」 「あぁ。恐らくそうだろう。だが、上手くいかなかった……。俺の方が数枚上手だったからな。 と、言うのは冗談だが……。たまたま奥さんが雇っていた探偵が俺の知り合いだったんだ」 「もしかして、あの日会った、あの人……?」 「そうだ。東雲と会った時のタイミングを考えてもほぼ間違いない。ピンと来た俺は写真を入手し、代わりに朝倉のスマホからデータを消去させた。それで全てが終わると思っていたんだ――」  だが、そうではなかった。あの行為が余計に朝倉の恨みを買うことになるなどあの時は想像もしていなかった。 「全ては、俺は朝倉の性格を読み違えた事によって引き起こされた事件だ。もっと早くにアイツの裏の顔に気付いていればお前が怪我をすることも無かった」  黙っていてすまなかった。と、理人は瀬名に真摯に詫びた。蟠っていた気持ちが解れていくのを感じながら瀬名の肩口に額を擦り付ける。 「理人さんは何も悪くないじゃないですか……。でも、まさかこんなヘビーな話だったなんて想像してませんでしたよ」  腕が伸びて来て、苦笑しながらそっと髪を撫でられた。どちらかともなく視線が絡み、触れるだけのキスが唇に落ちる。  触れるだけのキスだけではなんだか物足りなくて、理人は瀬名の顎を掴むともう一度唇を塞いだ。  柔らかく温かい感触を確かめる様に、ゆっくりと角度を変えて啄み顎を掴んで舌先を滑り込ませる。 「ん……、ちょ、理人さん……まだ資料全部読んでな……」 「んなもん、後にしろよ」  抗議の声を上げる瀬名を黙らせようと、更に深くキスをする。歯列をなぞるように舐め上げ、逃げるように奥に引っ込められた瀬名の舌先を捕まえて絡め取る。 「ん、んぅ……はぁ……」  息継ぎの合間に漏れる声が理人の情欲を煽った。もっと欲しいと言わんばかりに、理人は瀬名の腰を強く引き寄せると貪るような激しいキスを繰り返した。

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