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act.10 ムーラン ルージュ

 1月も中ごろに近づいてくれば巷では1か月後に控えたバレンタイン商戦が幕を開け、デパートやスーパー、コンビニなどはどこに行ってもチョコレートの甘い香りに包まれる。  正直言って甘いものは苦手だし、バレンタインなんてイベントにも興味はない。  毎年、ナオミがチョコを準備しているから店に来いと催促の電話が掛かって来る以外では、社内の女子社員から申し訳程度の義理チョコを貰うくらいでまさか自分がチョコレートコーナーの前をウロウロする日が来るなんて想像もしていなかった。  催事場には理人ですら耳にしたことのある有名店のチョコレートが所狭しとディスプレイされており、そこに多くの女性客が群がる光景は圧巻の一言に尽きる。  その中に、男子高校生と思わしき姿は目にするものの、流石にスーツを着た男性が一人というのは目立って仕方がないし、敷居が高すぎる。  自分ではそんなつもりは無くとも、睨んでいるように見えるのか、店内にいる女性客と目が合っただけで不審なものをみる目を向けられるのもあまり気分が良いものではない。 「……ふん、馬鹿らしい」  理人は溜息交じりに呟くとそっとその場を後にした。  そもそも、なんで自分がこんなことで頭を悩ませないといけないんだ。別に、俺はアイツの為にわざわざここに来てやったというわけではなくて、ただ単に会社帰りに駅の近くを通りかかったからついでに立ち寄っただけで……と、誰に言うでもなく脳内で言い訳をしながら帰路に着く。  瀬名に合鍵を渡してから数日、流石に毎日一緒に帰るのは怪しまれると思い、別々にオフィスを出ることにしている。  瀬名は不満そうな顔をしていたが、朝倉の時のような例もあるし何処で誰に見られるかわかったものじゃない。一応、理人なりに気を使っているのだ。 (にしても……)  今日も寒いな……と白い息と共に吐き出しながら理人は空を見上げた。東京は雪こそ降っていないものの、気温は低く底冷えするような寒さだ。コートだけでは少し肌寒くて思わず身震いしてしまう程に。  早く帰って暖房の効いた暖かい部屋で熱いコーヒーでも飲みたい。こんな時期だし、鍋を囲みながら一緒に熱燗で乾杯するのも悪くないか。  瀬名はもう戻って居るだろうか? いつも通り、ソファに座って本を読んでいるのかもしれない。それとも……  マンションのエントランスを抜けエレベーターに乗り込むと、自然と笑みが零れた。  理人は基本的に人を家に上げることは滅多にしない。親しくしているナオミでさえ、数えるほどしか部屋には入れたことが無かった。  けれど、瀬名だけは特別で、いつの間にか当たり前のように受け入れていた。それが何故なのかは分からない。  家族との縁が薄かった自分は一人でいる事の方が長かったし、その方が気が楽だった。  それなのに今は瀬名と過ごす時間が心地よくて、瀬名が傍にいないと落ち着かないとすら感じている。家で瀬名が待っているかもしれないと思うと、家に戻るのが楽しみで仕方がない。  そんな感情が自分にもあったのだと驚き、自嘲気味に笑いながら玄関の扉を開けた。 「あ、理人さんお帰りなさい」  リビングに入るとすぐに瀬名の声が聞こえてきて理人は無意識に頬を緩めた。瀬名はキッチンで何か作っていたようで、振り返ると笑顔を向けてくる。  このやり取りが幸せだと思うようになったのは、いつからだろう。  以前は瀬名も理人と同様に一人暮らしをしていたし、誰かが自分を迎えてくれるのが新鮮で、どこかむず痒い気持ちになる。  理人は鞄を床に置くと、ネクタイを外してシャツのボタンを一つ二つと外す。そして、キッチンで作業をしている瀬名の腰に腕を回すとそのまま引き寄せて抱き着いた。  突然の事に驚いた瀬名だったが、抵抗することなくされるがままになっている。  瀬名の体温と匂いを感じるとホッとして、ずっとこうしていたいと言う気持ちにさせられる。 「理人さん、どうかしたんですか?」 「……外が寒かったんだ。あったまらせろ」 「ふふ、猫みたい」 「うるせー……」  瀬名の肩口に顔を埋めてグリグリと押し付けるようにすると、瀬名はくすりと笑って理人の頭を撫でてきた。  瀬名の手が触れる度に胸の奥がきゅんとなる。こんな風に甘える事が出来るのも瀬名の前だけだ。

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