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ムーランルージュ ②
「はい、出来ましたよ」
暫くして瀬名がそう言うと同時に身体を離され、テーブルの上には二人分の食事が並べられていく。
瀬名は料理が上手い。初めて手料理を振る舞われた時は、あまりに美味しくて夢中で食べてしまった。
顔が良くて、仕事が出来て、その上料理も出来るなんて、こんな超優良物件を女性が放っておくはずがない。
実際、以前瀬名には長く付き合っていた彼女がいたと言っていたし、モテないわけが無いだろう。
今は自分に興味が向いているからいいとして、いつか本気で彼に好きな人が出来た時、果たして自分はどうするのだろうと、時々考える事がある。
その時が来たら潔く身を引けるだろうか。そんな事をぼんやりと考えていると、瀬名の顔が間近に迫っていて、ちゅっと軽く唇が触れた。
「ご飯にする? それとも……僕? なんちゃって」
「……ばーか」
ふざけたように笑う瀬名の額にデコピンをお見舞いしてから、理人も席につく。
こんなやり取りですら愛おしいと感じるなんて……重症だなと苦笑しつつ、理人も瀬名に倣っていただきますと両手を合わせた。
「そう言えば、理人さん今日は随分遅かったですね。仕事、そんなに長引いてたんですか?」
「あ、あぁ……まぁ……」
瀬名の言葉に、ぎくりと身体が強張り飲んでいた味噌汁を吹き出しそうになって、適当に言葉を濁した。流石に、チョコレート売り場の前でうろうろしてたなんて言える筈もない。ましてやバレンタインなんて行事に全く興味のないと言っている自分があんな場所にいたなんて瀬名に知られた日には恥ずかしさで憤死してしまいそうだ。
「ふぅん……。あ、そうだ、理人さん」
「なんだよ」
何食わぬ顔をして箸を進めていると不意に名前を呼ばれて視線を上げる。すると、そこにはにっこり微笑みながらこちらを見る瀬名の姿が目に入ってきて……嫌な予感がした。
「僕、理人さんにどうしても食べて欲しいチョコがあるんですよ」
「……態々いう事じゃねぇだろ」
「どんなのか聞かないんですか?」
聞きたくない。絶対にろくでもない物に違いない。
理人は眉間にシワを寄せて不機嫌さを露にしたが、瀬名は怯むことなく話を続ける。
「別に……」
「まぁ、そう言わずに。コレなんですけど」
「って、おい! 結局見せるんじゃねぇか!」
視線を逸らした先にスマホを押し付けられ、渋々と画面に目を向けると、そこには至って普通のチョコレートが映し出されていた。
もっと如何わしい形をしていたりするのかと想像していたのにびっくりするほど普通だ。
「なんだ、ただのチョコじゃねぇか……」
「えっ? いいんですか? 買っても」
「ん? あ、ぁあ……」
なんでそんな嬉しそうな顔をするのかわからないが、いそいそとスマホを操作して購入ボタンを押す姿を見て、わざわざ買いに行かなくてもネットというものがあったかと目から鱗が落ちた。
だが、同じようなものが宅配で届いて真似をしたと思われるのもなんだか癪だ。
動揺を悟られないように、食事を済ませると瀬名に風呂に入るよう促した。
「理人さんも一緒に入りませんか?」
「は!? 入る訳ねーだろッ!!」
突拍子も無い事を言い出す瀬名に、思わず声を荒げてしまう。
「そんなに怒らないで下さいよ。冗談ですから」
「ったく……馬鹿なこと言ってないでさっさと入ってこい」
瀬名をバスルームに押し込んで、理人はソファにどっかりと腰を下ろすと深い溜息を吐いた。
本当に心臓に悪い。油断しているとすぐこれだから、気が抜けない。
一緒に風呂になんて入ったら、何をされるかわかったもんじゃない。
ブツブツと文句を言いながら、手を伸ばして煙草を掴む。一本取り出し口に咥えた所で瀬名のスマホがメッセージの着信を告げた。
別に、見るつもりなんて毛頭無かった。 ただ、ディスプレイが光って目に飛び込んできた文字を見た時、無意識に指が動いてしまった。それだけの事。
メッセージには真奈美という女の名前で『今日は久しぶりに会えて嬉しかった♡』とだけ書かれていて、こめかみの辺りを思い切り殴られたように一瞬、目の前が真っ白になった――。
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