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ムーランルージュ ⑦

 会議を終え、フロアに戻ると瀬名の姿が無かった。いつもなら嬉しそうに駆け寄って来るのに珍しい事もあるものだと首を傾げる。 「瀬名さんなら、さっき呼び出しがあって出てますよ」  キョロキョロと辺りを見回しているとそれに気付いた萩原が声を掛けてきた。 「そ、そうか……まぁ別に私はアイツを探していたわけでは無いんだが……」  瀬名を探していると思われてなんだかくすぐったい気持ちになって、理人は咳払いをして誤魔化した。  ふと、瀬名の机の上に書類が置きっぱなしになっている事に気が付く。そんなに慌てて行かなければいけないような要件だったのだろうか? 「あぁ、そう言えば……なんか綺麗な人が瀬名さんの事を待ってるって、女子達が噂してました。彼女ですかねぇ?」 「……へ、へぇ……彼女……」  萩原の言葉に頬が引きつる。恐らく萩原は悪気があって言っているわけでは無いのだろう。出来るだけ怪しまれないよう平静を装いながらデスクに戻る。  瀬名を呼びだしたと言う、綺麗な彼女……真奈美の事だろうか? 態々職場まで押しかけて来るなんて一体どういう関係なのだろう。  胸の奥がざわついて落ち着かない。しばらくして戻って来た瀬名は手に花柄の大き目な包みを持って戻って来た。 「彼女さんからの差し入れですか? 愛妻弁当! わざわざ届けてくれるなんて羨ましいなぁ」  その様子に気が付いたのか、萩原が茶化すような口調で話しかけている。  他の社員たちにも囲まれて、瀬名は困ったように笑いながらも何処か嬉しそうに見えた。 「チッ……」  そんな瀬名の姿を見るのは耐えがたく、理人は立ち上がると足早にオフィスを出た。  昼休みに入ったばかりの社員食堂は、閑散としていてチラホラと数人の社員が食事をしているだけだった。  適当に注文し、空いている席に座ると理人は盛大な溜息を吐いた。  瀬名が女と付き合っているかもしれない、ただそれだけの事でこんなに動揺してしまう自分が情けない。  いままで散々愛してるだのなんだの言っておいて、指輪まで寄越して来たくせに堂々と浮気できる神経が信じられない……。  考えれば考える程、イライラしてくる。瀬名への怒りと、自分の不甲斐なさにだ。瀬名がそこまで軽薄な男だとは思わなかった。  よく考えてみれば自分とは身体の関係から始まったようなもので、瀬名にとっては自分は都合の良い性欲処理の道具に過ぎなかったのだろう。  自分だって初めはそう思っていた。実際瀬名との行為は気持ちが良かったし、今まで相手して来た男たちとは比べ物にならないくらいに上手かった。  だが、いつの間にか瀬名との行為に溺れていたのは理人自身だったのだ。  瀬名に抱かれるたびに心は満たされ、どんどん彼に惹かれていった。瀬名と一緒に居るだけで幸せを感じるようになった。  瀬名も同じ気持ちで居てくれていると思っていたのに――。  やはり、愛だの恋だのそんな感情なんて必要なかった。そんなものがあるからこんなにも胸が苦しいのだ。  知らなければよかった。瀬名との関係が、心地良いと感じてしまうこの瞬間が。  気付かなければさっさと割り切れたはずなのに、気付いてしまったからこそ苦しくて仕方が無い。 (クソッ)  込み上げてくる涙を堪えながら、理人は乱暴に食事を口に運んだ。好物なはずのオムライスも今日に限っては何の味もしない。  ただ、苦々しい思いが広がっていくばかりだった。 「……飯はもう少し上手そうに食うもんじゃねぇの?」  カチャリとトレイがテーブルに置かれる音がしたと同時に聞き覚えのある声が聞こえて理人はハッと顔を上げた。  何時の間に現れたのか、目の前に呆れた表情を浮かべた一臣がストンと腰を下ろす。  先程の会議で見たスーツではなく、カジュアルなジャケットにジーンズという随分とラフな出で立ちだ。研修中と言っていたからまだ何処の課に属するかも決まっていないのだろう。  というか、食堂は広いし開いている席は沢山あるはずなのに、何故態々自分の目の前に座るんだコイツは。  内心で毒づきつつ、しかし今は誰とも話したくない気分だったので無視を決め込む。一臣はそんな理人の心情を知ってか知らずか特に気にした風もなく料理に手を付け始めた。  暫く無言で箸を動かしていたが、やがて一臣の方から口を開いた。

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