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ムーランルージュ ⑧
「なぁ、アンタ恋人いんの?」
「……」
「チッ、無視すんなよ。なぁ……」
不機嫌さを隠そうともせずに顔を覗き込まれ、理人は苛立ちを抑えつつ、相手を睨み付けた。
大抵の輩は、ひと睨みすれば怯んだり怯えたりするのだが、目の前の男は面白そうに口角を上げただけだった。
「私はアンタという名前ではない。それに、初対面なのに馴れ馴れしく話しかけるな! まずは自分も名乗るのが礼儀だろうが!」
礼儀知らずとは話したくないと言い放つと、一臣はふうん、と呟き椅子にどっかりと座り直した。
「桐島一臣だ。 名乗ってやったぞ、これでいいんだろ? 鬼塚サン」
「チッ、その態度が気に食わねぇが、まぁいい。 それより、どこか他のところに座ったらどうだ? 席は沢山あいてるだろ」
「俺はアンタと話がしたいんだよ。痴漢青年。
まさか、こんなとこで会えるなんて思ってなかったからさ……」
「おい、言い方!」
あまりにストレートな物言いに思わず突っ込んだ。
「事実だろ?」
「誤解を招くような言い方をするな! その言い方だと私が痴漢していたように聞こえるだろうが!」
「細かい奴だな。じゃぁ、痴漢に遭ってた鬼塚さん? ほんっと、こんな所で再会出来るなんて思わなかったよ」
わざとらしくニヤニヤと嫌な笑みを向けてくる。
自分だって、まさか同じ職場で再会するなんて思ってもみなかった。あんな場面に居合わせていたと言うだけでも恥ずかしいのに助けてくれたのが社長の甥だったなんて。
きっと今日は厄日に違いない。
「……あぁ、その件はすまなかった。ろくに礼も言えず失礼したな」
理人が素直に謝ると、一臣は驚いたように目を瞬かせた。
そんなに意外だったのだろうか。
礼を言うのは人として当然のことだ。確かに、理人の常識では痴漢は犯罪で礼を言われることでは無いのかもしれないが、それでも助けてもらった事には変わり無い。
「なぁんだ、どんな気の強いお嬢様かと思ったら、ちゃんと礼儀はわきまえてるじゃないか」
「あ?」
その言葉に理人は眉根を寄せて睨み付けた。礼を言った途端これだ。コイツは本当に失礼な野郎である。
「いいね、その顔。あのオッサンも言ってたけど、その目、堪んねぇな……。アンタ結構俺のタイプなんだよね」
「は?」
何を言われたのか一瞬理解できず、理人の口から間の抜けた声が漏れる。
「だから、アンタの顔が好みなんだよ。さっき会議室で会った時は気が付かなかったんだけど、こうして近くで見るとすげぇ虐めがいがある顔してる」
「……はぁ!? 何言ってんだお前……! 馬鹿か! 頭おかしいんじゃないか?」
あまりの発言に思わずドン引きする。何だこいつは。変態か?
「いやいや、アンタの事が気に入ったって意味だよ。俺、アンタみたいな気の強そうなヤツを組み敷いて啼かせるのが好きなんだ」
そう言って一臣は楽しそうに笑った。その瞳は明らかに捕食対象を見つけた肉食獣のようにギラついている。
「チッ、どいつもこいつも……」
何が悲しくて、男に組み伏せられなければならないのか。理人が舌打ちすると、一臣はますます笑みを深めた。その表情は酷く加虐的で、背筋を冷たいものが伝っていく。
「そういう態度取られると益々そそられるな。なぁ、今夜時間あんの? 飲みに行こうぜ。奢ってやるから」
「誰が行くか! 私は忙しいから無理だ」
「忙しい、ねぇ……。いいね、そう言うの。簡単に落ちたらつまんねぇし? これからジワジワ落としてやるよ」
「チッ、お前と話していても無駄だ。私はもう行く。暇つぶしなら他の社員を当たってくれ」
舐めるような視線が絡みつく。その自信は一体何処から湧いてくるのかわからないがこれ以上話をしていても不快になるだけだと判断し、理人はトレイを持って立ち上がり歩き出した。
「ふは、つれないねぇ」
後ろから楽しげな笑い声が聞こえてきたが、振り返る事はしなかった。とにかく今は、誰にも見つからない所で一人になりたい。その事で頭がいっぱいだった。
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