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ムーランルージュ ⑪

 憂鬱な気分で職場に着くと、いきなり社長室へと呼び出された。何事だろうか?と疑問に思う間もなく、応接セットのソファへ座るように促される。そこには先に来ていた片桐課長と仕立てのいいスーツを着た一臣、それに加えて人事部トップの小鳥遊が待ち構えていた。  この時点でもう嫌な予感しかしない……。 「おはようございます。朝早くからお呼び立てしてしまい申し訳ありません」  開口一番、小鳥遊は穏やかな笑みと共に謝罪を口にした。 「いえ、私は別に構わないのですが……」  ちらりと視線を動かすと、一臣は理人を視界に入れるなりニヤリと笑い、隣に座っている片桐は困ったような表情を浮かべながら理人を見据えていた。 「実は、此処にいらっしゃる桐島君を、鬼塚部長の部署で受け入れていただきたいと思いまして」 「……は?」  全く想像していなかった内容に理人の口から間の抜けた声が漏れる。 「突然で戸惑われるのは無理もないと思いますが、どうか前向きにご検討いただけませんでしょうか?」 「ちょ、ちょっと待ってください。あまりにも急すぎじゃないですか? 一体何故そんな事に……。確かに一人欠員は出てますが」 「俺が叔父さんに頼んだんだ」  それまで黙っていた一臣が口を開く。 「昨日のアンタのプレゼンを聞いて思ったんだ。アンタの下で働いてみたいって」  絶対に嘘だろ。直感的にそう思った。なんだかそれっぽい理由を付けているが実際はただの興味本位だろう。  それに、打診されているようにみえるが恐らくこれは決定事項――。 「チッ、アンタ、じゃなく鬼塚だ。たく、これだからボンボンは困る」  盛大な溜息をついて理人がぼそりと零すと一臣は満足げに口角を上げた。 「いいですよ。引き受けましょう。――ただし、私の部下になると言うのなら、忖度は一切しませんので……。容赦なく他の社員と同じように扱わせていただきますが、それでもいいんですよね? 小鳥遊さん」 「え、ぇえ。はい……そこはお任せします」  理人が確認するように尋ねると、小鳥遊は一瞬怯んだがすぐに力強く肯定した。  この会社では部下は上司の言うことには絶対服従である。理人のように年齢に関係なく実力があれば昇進していくし、逆もしかり。 「その言葉だけ聞ければ、いいです。片桐課長行きましょう……では、私たちはこれで」  全く、面倒な事になったと内心毒づきながら立ち上がる。ただでさえ、瀬名とのことでギクシャクしていると言うのに一臣が来るなんて不安要素でしかない。 「……はぁ」 「鬼塚部長。ため息ばかり吐いていると幸せが逃げてしまいますよ」 「……この胃が痛くなる状況で、平常心でいろって方が無理だと思うんだが?」  じろりと睨めば、片桐は乾いた笑いを洩らし肩を竦める。瀬名との事もあって精神的に参っているところに、追い打ちをかけるかのようにしてやってきた厄介事。  理人は重い足取りでオフィスへ戻ると、デスクの上に積まれている書類の山を見て眩しいほどの朝日が差し込む窓の外を眺めた。  空は憎らしいほどに青く澄んでいる。どれだけ落ち込んでいたって仕事は待ってくれない。  理人は本日何度目かのため息を吐き、キリキリと痛む胃を押さえながらパソコンの電源を入れた。

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