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ムーランルージュ ⑫ ※瀬名視点
「おい、桐島てめぇなんだこの報告書は!! 誤字脱字が多すぎるって何回言えばわかるんだクソが! 文法もなってねぇ。書類以前の問題だ今すぐやり直せ!」
「あ? 何処がだよ!?」
「口の利き方もなってねぇなマジで……小学生からやり直して来るか?」
「なっ、俺はもう二十歳越えてんだよ!」
「はいはい、そんな事は知ってるよ。でも、社会人としての言葉遣いがなっちゃいねぇって言ってんだ」
「ぐっ……」
「お前、俺に口答えする為にここに来たのか? 違うだろうが」
理人の正論にぐうの音も出ず、一臣は唇を噛み締めて俯いた。
一臣が来てから一週間、毎日がこの調子で理人の怒号がフロアに響き渡っていた。初日こそ皆、社長の甥という肩書を持つ一臣の事を遠巻きに眺めていたが、今ではすっかり日常の風景になり誰も気にする者はいない。
理人の怒鳴り声を聞きながら、瀬名は小さく寂しそうな微笑みを浮かべた。
(楽しそうだなぁ)
真奈美の件では、理人の心を傷つけてしまった。未だに仲直りをするきっかけが作れず、謝る事すら出来ていない。一臣の教育係に任命されたまでは良かった。ある程度の仕事は覚え込ませたものの、書類を作成するのがやっとといった感じで、理人の手を煩わせるようなレベルではない。
覚えは悪くないのだが、自分が目を通す前に一臣は勝手に理人の所へ書類を持って行ってしまう。
結局理人は一臣の教育にかかりきりで、自分の仕事を後回しにしているため、必然と残業が増えて、瀬名と会話する機会など全くと言っていいほど無かった。
本来なら、教育係である自分が叱責を受けるべきはずなのに、ギクシャクしている関係なのか、自分には一切お咎めがない。
そのことが更に気まずさを生んで、益々理人との距離が出来たように感じる。
元々、理人はあまり感情を表に出さないタイプだったが、それでも一緒に過ごした時間の中で、少しずつ笑顔を見せてくれるようになった。
それなのに、今は――。
理人は元々仕事に関しては厳しい人間ではあったが、こんなにも他人に対して辛辣な物言いをする姿は初めて見た。
それだけ、一臣に期待しているということなのだろうか。
自分以外の誰かが理人の傍に居ることが酷く落ち着かない。今までずっと瀬名が独占していた場所なのだ。
一臣が入社してからというもの、理人との距離は確実に広がってしまった気がする。
以前は、仕事中に理人の姿を見かけると、嬉しくて堪らなかった。
理人と一緒に仕事をしていると、何でも出来るような気がしたし、実際自分でも驚くくらい効率よく仕事が出来ていた。
でも今は……理人の姿を見ると、胸の奥がきゅっと苦しくなる。瀬名は自嘲気味な笑みを浮かべると、手元の資料に視線を落とした。
仕事中だというのに、つい考えてしまうのは理人のことだった。
あの日以来、理人は瀬名に話しかけてくることも無く、ただ淡々と業務をこなしているようだった。
嫌われているのかもしれない。そう思うと、どうしようもない不安に襲われる。
理人の事が好きだ。理人の事しか考えられない。理人の全てが欲しい。
何故、こうなってしまったのか。理人がなぜあそこまで頑なに説明を拒んだのか未だに理解できない。
ただ単に頭に血が上っていただけならまだいい。だが、あの時の理人の様子はまるで何かに怯えているかのようで――。
そこまで考えて、ハッと我に返り頭を振った。結局いつも堂々巡りだ。答えなんて出るわけがない。
もう一度ちゃんと理人と向き合って話がしたい。理人が何を考え、何に怯えているのか。誤解があれば解きたいし、もし自分に非があるならきちんと謝罪したい。
このままでは、きっと後悔してしまうから――。
だから、早くこの気持ちにケリをつけなければ――。
「流石にこのままって訳にはいかないよな……」
相変わらず、あぁでも無い、こうでもないと叱責している理人を遠巻きに見つめていると、近くのデスクに座っている女子達が「部長と桐島さんって仲いいよね」なんて話をしているのが耳に飛び込んでくる。
全くもって面白くない。理人の側にいていいのは自分だけなのに……。
「……」
瀬名は無意識のうちに拳を強く握りしめて桐島の事を睨み付けていた。
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