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第3話 困惑
「金の牡羊! じゃあ、君がこの子の護り主なの? 火の一族のわりに元気がないな。力不足ってこと?」
ひっ! と叫ぶのを何とか飲み込んだ。誰だ、こいつ?
見知らぬ男が屋上の扉の前に立っている。いつのまにいたのだろう。制服を着ているが、こんな奴うちの学園にいただろうか。
色素の薄い髪に淡い茶色の瞳の派手な顔立ち。凛々しい眉は意志が強そうで、髪は陽が当たれば金色に輝く。おれの腕の中で子羊がふるりと震える。そっと背を撫でて落ち着かせてやると、男はこちらに向かって歩いてきた。よく見れば、男の瞳の中には細かな星が煌めいている。
「ずいぶん小さいな。いくら金毛だといっても、これでは子どもだ」
いきなり失礼なことを言う。おれの羊に触れようとしたので、思いきりその手を振り払った。
「つッ!」
「触るな!」
守護獣は、他人に下手に触れられたら弱ってしまう。属性が違う者だったりしたら、なおさらだ。
「思ったより気が強いのかな。力が弱いんだから気も弱いのかと思ったのに」
くすりと笑われて頭に血が上る。子羊を抱いたまま立ち上がった。
「……力が弱くて悪かったな。でも、こいつのことを馬鹿にするな。この子が小さいのはおれのせいなんだ。この子は何も悪くない!」
まだ何か言ってこようとするので、思いきり睨みつけて走り出した。
「あっ! 待って!」
階段を駆け下りたおれの耳には、もう何も聞こえなかった。おれが去った後の屋上の会話なんか、何一つ。
「……逃げられた」
『金羊に勝てるわけがない。十二星座一、足が速いことを忘れたのか。火の一族なのだから、そんなことはよく知っているはずだろう?』
「びっくりするほど可愛かったから、驚いてすっかり忘れてた。あああ、仲良くなりたかっただけなのに!」
『信じられん! それが本気だというなら言葉の使い方を一から考え直した方がいい』
しょげ返る男と呆れる獣の声が、誰もいない屋上に響いていた。
疲れ切って自宅に戻ると、珍しく早く家に帰ってきた父から呼び出された。父は座敷で居住まいを正し、黒檀のテーブルに一枚の釣り書きを差し出した。
「それがお前の婚約者だ」
「は? こんやくしゃ??」
婚約者って何だよ。十七まで聞いたこともない言葉だ。しかも父は恐ろしいことを言った。
「次の土曜日に先方と一緒に会食だ。必ず出るように」
「そ、それってもしかして見合い?」
「その通りだ」
「じょ、冗談じゃないっての。いつの時代の話だよ。絶対嫌だからね。おれ、行かない!」
父がぎろりとおれを睨みつけてくる。さすがは一族の惣領だ。眼力が違う。
「お前は火の一族の総本家の子なんだぞ。末子だからと言って何でも自由になるわけじゃない」
そんなこと言われても、今日までほぼ放置されて自由に生きてきたはずなんだけど。男ばかりの兄弟の五番目末子なんて、誰も存在を気にしちゃいない。
テーブルの上の釣り書きなんか開く気にもなれなかった。父の眼力に脅えて仕方なく手に取ったけれど、とても見る気にはなれない。こんなもの、後でこっそり捨ててしまおう。話もそこそこに長い廊下をとぼとぼと歩いて部屋に戻った。そんなおれを障子の隙間から兄たちが覗き見ていることも、別室でひそひそと囁いていることも知らなかった。
「何だって今頃、火未に結婚話がくるんだ」
「金毛の宿主なんだから、元々、縁談は多かったんだよ。親父がうんと言わなかっただけで」
「本命の金獅子がようやく帰国したって聞いたけど」
「わざわざ火未と同じ学園に通うのを決めたらしいよ?」
四人の兄が騒めいた頃、おれは釣り書きを投げ捨てて布団に入っていた。外でも家でもおれの予想を上回ることが多すぎる。
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