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第4話 襲撃
翌朝、ため息をつきながら家を出た。火の屋敷の結界から離れた時が一番、緊張と不安に襲われる。
二週間前、登校中に突然濃い霧が現れた。自分の周りが見る間に白く染まり、何も見えなくなる。必死に霧の中を歩き回れば、車の激しいクラクションが鳴り響く。運転手に怒鳴りつけられ、ようやく自分が車とぶつかる寸前だったと知った。訳が分からぬままに霧は消え失せた。
次は三日後。帰宅途中の道路がぐにゃりと歪んだ。目の前を歩く人々には何も変わった様子が無いのに、自分の足元だけが、まるで沼地にはまりこんだかのように柔らかく変化した。
ずぶずぶと体が沈みこみ、ねっとりとした液体が体に張りついて全ての呼吸を奪っていく。鼻にも口にもゼリー状の何かが詰め込まれ、このまま息も出来ずに死ぬのかと恐怖に襲われる。
自分の名を呼ぶ声が聞こえ、はっとした時には道路に倒れていた。屋敷から何人もの人が血相を変えて走ってくる。何者かが結界に触れたのだという。
「火未さま、何があったのです!」
「よく分からない。攻撃されたのは確かだけど」
ぼんやりと呟いただけなのに、即刻、家族会議が開かれた。うちは火の一族の頂点に立つ家だ。敵も多いのだからと三日間学校を休まされ、一週間は護衛がついた。
さすがにもう大丈夫だろうと家族を説き伏せて、ようやく登校できたばかりなのに。昨日のことは誰にも言っていない。このまま、何事もなければいいのに。
だが、嫌な予感ほど、よく当たるものだ。道を歩いていくと周りが急に青く染まった。道路がうねうねと波打って、液状になった中から長大な魚が跳ね上がる。
この生き物は何だろう。水族館で見たピラルクーってやつをさらに大きくしたみたいだ。胴の太い蛇のように長大な体に、大きな背びれと尾が付いている。開いた口の中には細かな尖った歯が見える。あれに食いつかれたら死ぬんだろうか。
音もなく魚が飛び掛かってくる。咄嗟に走って避けても、薄い鋼のような尾が降りかかる。
一尾? 二尾? いつの間にか魚の数が増えた。自分の周りをぐるぐると取り囲む。魚たちが起こす渦の中に引きずり込まれる恐怖で全身が総毛立つ。足元が崩れ、底知れない洞穴のように巨大な口がすぐ目の前に迫ってくる。
「あ! あああ!」
食いちぎられるのを覚悟した。
その瞬間。
ふわりと体が柔らかな空気に包まれた。
一頭の獅子が現れて、次々に魚の胴を鋭い爪で引きちぎる。声にならない悲鳴が場を切り裂いていく。千切られ、噛み切られた断面が視界を埋め尽くしていくが、散らばっているのは肉塊ではなく一面の水だ。視界が一瞬、深い水底のような群青に染まった。
見る間に魚たちは湯気を上げて空気中に消えていく。気がつけば、自分の足は道路の上に立っていた。
「危なかったな。大丈夫?」
どこかで聞いた声がして目を向ければ、茶色の瞳が微笑んでいる。
「昨日の!」
「覚えててくれたんだ。嬉しいなあ」
満面の笑みで、煌めく瞳を持つ男が顔を近づけてくる。力が抜けて、がくんと足が崩れたところに手が差し出された。なんだろう、この男の持つ力は自分ととても近いような気がする。一緒に居るだけで、体の中に温かいエネルギーが流れ込んでくる。
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