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5 記憶から消したい
おれは記憶から消し去ることにしたのである。キスも含めて存在を!
なのに。
(くそっ……なんで居るんだよ!)
翌日、朝食を摂りに食堂へ向かう途中、前の方にヤツが歩いているのに気が付いた。人ごみの中でも赤毛が嫌というほど目立つ。見たくなかったのに。
時間をずらしたかったが、これより後にすると会社に遅刻する。もっと早く来るべきだった。
(こういう時、寮って不便だ……。ああ、食堂使うの辞めるか……)
食堂のご飯は美味しいので利用できないのは残念だが、一食くらい仕方がない。今日はコンビニに寄って買うことにしよう。明日以降は時間をずらすのだ。
食堂に背を向け、ひとまず部屋に帰ろうと小走りに歩く。食堂に向かう人たちが何事かという顔でおれを見た。気にしないで欲しい。
「おい!」
逃げようとしたおれの背中に、聞き覚えのある声が突き刺さる。聞こえていない。聞こえてないぞ。おれは知らない。
「逃げんな、かみとおの!」
「か、ど、の! だっ!」
思わず振り返って叫んだおれに、視線が刺さる。注目されるのは苦手だ。
「あ、ぅ……」
カァと顔を赤くして、人目を避けるように逃げる。クソ、あの赤毛め。人前で名前を呼びやがって。おれはアイツの名前なんか知らないのに。おそらくヤツは部屋に書かれている名前を見たのだろう。おれの名前は上遠野悠成だってのに、
逃げるおれの背に、追いかける足音が響く。何でこっちに来るんだよ。お前は大人しく飯でも食えよ。
がしっ、腕を掴まれ、顔を顰める。この、馬鹿力っ。
「痛っ」
「まだ着けてる。いい加減にしろよ――上遠野?」
手をグーにして、おれはヤツの腕を振りほどいた。キッと睨みつけるが、何とも思っていなさそうだ。
「触るな、変態!」
「変た……、お前なぁっ!」
そうだよ。あんなキスして。野獣みたいな。
キス。と思い出して、思わず赤面する。キス、したんだ。この男と。あの唇が、おれの……。おれの舌をあんなに吸って、唇を舐めて……。
「チッ……なんだよ」
青年はバツが悪そうに顔を背け、ハァとため息を吐く。
「約束だったろ。返すって」
「あっ、あんなキス! 無効だ!!」
あんなキスされるはずじゃなかったんだ。無効に決まってる。それに、おれはあのキスは忘れたし――忘れたし! ノーカンなんだから!!
「はぁ!? おま、ふざけんなよ!?」
「うるさい、うるさい、うるさいっ! お前なんか知るかっ! 知らないからなっ!」
おれはそう喚くと、青年を押しのけて部屋へと駆けて行った。
◆ ◆ ◆
「はあ~~~~」
朝からドッと疲れてしまった。持ち主が現れた以上、指輪を返すべきなのはわかっている。けど、アイツがケンカ腰だし、いつも乱暴だし、なんだかつい反論してしまう。それに、指輪は棄てると言っていた、
薬指に中途半端に引っ掛かっている指輪を眺め、ため息を吐く。
「……彼女、とかにあげるはずだったのかな……」
棄てるには、相応の理由があるはずだ。想像できる理由は、別れた彼女へのプレゼント。
「なんで別れたんだろ……キス上手いのに……」
口に出して、ハッとして首を振る。顔が熱い。
「キッ、キスが上手くても、性格が悪いからだっ! 口悪いし、怒るし、乱暴だしっ」
忘れたはずなのに、アイツの顔が浮かんできてしまう。無意識に指先を唇に触れた。
「――乱暴、だったな……、キス……」
呟いて、ぶわっと顔が熱くなる。違う、違うんだ!
「ご、ごめんね亜嵐くんっ! 浮気じゃないからねっ!?」
キラキラの笑顔を振りまく亜嵐くんに全力で謝って、おれは会社に遅刻した。
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