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柘榴 8
眞ノ助のことを、祖父から見れば息子で、眞ノ助から見れば父である眞一と見間違え、譲りたくなかったというような主旨を言う人だ。もっと他に言えば、愛人を囲んでいた人だ。きっと、この世に充分未練があるといえよう。
傍からすれば、良くないことだらけのことだが、眞ノ助からすれば羨ましくさえも思う。
今の自分には何も未練がないのだから。
あったとしても──叶わない。
寝たといえぬ睡眠をした眞ノ助は、ひとまず顔を洗おうと部屋を出た。──が。
「あ、坊っちゃま。おはようございます。最近、前ほど顔をお見かけしませんでしたので、なんだか久しぶりに感じられますね」
出てすぐにばったりと遭遇してしまった側仕えが、そう言って穏やかな笑みをくれる。
一瞬、心臓が止まった錯覚に陥る。
久しぶりに真正面で、しかもそのような表情をしてくるなんてタチが悪い。
またあの夢のことを思い出しかけたが、ふわりと匂いが漂った。
最初にこの匂いが漂ってきた時、金木犀かと思った。側仕えがそれが香る季節になったと、春の時と同じく嬉しげに言うものだから、今までそのことに興味がなかった眞ノ助は、その時はそれで一応納得していた。
けれども、金木犀を間近で嗅いだ時とどことなく違うような気がした。
甘さの中に、頭をスッキリとさせる酸味が混じっているような、そんな匂いがしたからだ。
それは、どちらかというと果物のような。
「……坊っちゃま? どうかなさいました?」
「……! な、なんでもないっ!それよりも何しに来たんだ」
「ああ、起こしに来たのですが、その必要はなくなったようですね」
きょとんとした顔から、ふんわりとした笑みをし、「お着替えもご自身でされるようになりましたから、少々寂しく思いもしますが」とも付け加えた。
物心がついた頃から当たり前にしてもらった行為は、あの日を境に自分でするようになった。
体育があるので、一応は着替えられなくもないが、昔からボタンを掛けるのが苦手で、よく掛け間違えてしまい、結局は側仕えにやり直ししてもらっているのだが。
「では、朝食の時間になりましたら、またお呼びになりますね」と去っていく側仕えの後ろ姿を見つめていた。
姿が見えなくなると、ひと息吐いた眞ノ助は、その残り香で頬がほんのりと熱くなるのを、意識しないようにと首を横に振り、そして、改めて手洗い場に赴こうとした。
手洗い場がある方向は、あの柘榴が落ちていた廊下の方向。だから自室から出て、振り向けばすぐにわかるのだが。
あの時のは幻だったのかと思うぐらい、跡形もなかった。
いや、あんな目立つところにあるのだ。誰かが片付けたのだろうとそう結論付けて、朝食するための身支度を整えるのであった。
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