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第6話

***  昔見た映画のワンシーンをふいに思い出すように、鮮やかな映像が頭の中に甦る。  夏空の下、駅前広場を歩いているのは自分自身だ。  ああそうか、夢を見てるんだ、と唯斗は漠然と思う。夢でなければ、自分の姿をこうして客観的に見ていられるわけがない。  これは、1年前の夏の記憶だ。それとわかるのは、好きなブランドの去年の新作シャツを自分が着ているからだ。  どうしても欲しくて、部活の合間を縫ってバイトした金で買ったシャツを着て、隆輔と待ち合わせしているレンタルDVD店に急いでいる。  夏の陽射しを反射する眩いオフホワイトに、黒い幾何学模様がアクセントで入った少し大人びたエレガントなシャツは、ちゃんと自分に似合っているだろうか。背伸びし過ぎてはいないだろうか。  休日、制服やユニフォーム以外で会うときはいつも、隆輔は自分の私服姿にほんの少しだけ眩しげに目を細める。 「その服いいな」などと口に出して言ってくれることは決してなかったが、思慮深い瞳は言葉よりも遥かに雄弁だ。そしてそのときのもの言いたげな彼の眼差しが、唯斗はとても好きだ。  到着が待ち合わせ時間ギリギリになりそうで、唯斗は急いでいる。いつも5分前に来て待ってくれている隆輔を、それ以上待たせたくはない。夏休み真っ最中の駅前広場は、あいにく人でごった返している。  焦りつつ足を速めたとき、飛んで来た軽い物体が腕の辺りに当たり、冷たい液体が胸にぶちまけられた。真っ白いシャツにダークブラウンの飛沫が弾ける。足元に音を立てて転がったのはコーラの缶だ。 「やだぁ、なにあれ~!」  甲高い声と嘲笑がすぐ先で湧き起こる。女子高生のグループが眉を寄せ口元を押さえている。その前に這い付くばっているのは、くたびれたTシャツにチノパン姿の若い男。  あたり一面に散らばっているのは本やゲームソフトの箱だ。見るからに不気味な怪物やら、ゾンビなどがおどろおどろしげに描かれた本やゲームのパッケージは壮観で、夏とは言えあまり見たくないような恐怖系のものばかりだ。そばに転がった紙袋の底が抜けているところを見ると、重みで破れたのか。 「うわっ、キモ! ホラーオタクだ!」 「モタついてんじゃねーよ、犯罪予備軍!」  言い捨てて笑いながら通り過ぎる柄の悪い連中が、故意か偶然かその若い男にぶつかって荷物をぶちまけさせたに違いない。そのとき彼が手に持っていた飲み物も飛んで、運悪く唯斗の腕に当たったのだろう。  男は俯いたまま顔を上げない。もしかしたらどこか怪我をしたのかもしれない。 「おい、大丈夫か?」  反射的に駆け寄って声をかける。眼鏡をかけた気弱な顔が、茫然と上げられる。  あぁ、彼は樫村祐二だ――夢を見ている唯斗は思う。  やはり記憶違いではない。彼とはすでに会っていた。どこかで見た覚えがあったのは、錯覚ではなかったのだ。  1年前の樫村は声をかけた唯斗を見て、なぜかハッと驚いた顔をする。そしてすぐに目を逸らすとすみません、すみませんと何度もつぶやきながら散らばった本やゲームを拾い始める。手が震えてしまっているのか、なかなかはかどらない。  見かねて唯斗も手伝う。  周りの人間は本の表紙に描かれたグロテスクな怪物やゾンビの絵に眉をひそめながら、見ないふりで通り過ぎて行く。手伝おうとする者など、誰一人としていない。  相当な量のそれらを一箇所に積み上げてから、入れていた紙袋がもう用を成さないことに気付く。 「ちょっと待ってろよ」  唯斗はそう言い残して、すぐ目の先の百円均一ショップへ走る。なるべく丈夫そうなビニールの大袋を二つ買って戻って来る。これだけの分量も分けて入れれば、百円の袋でもなんとかもってくれるだろう。  二つの袋に本とゲームを分けて入れ差し出すと、樫村は状況を把握できていない顔で唖然と唯斗を見返してくる。 「これで平気だと思うから」  樫村は言葉も出ない様子で、差し出された袋を自動的に受け取る。唯斗はそんな彼に向かって一言、何か言葉をかけるが、夢の中の雑踏の喧騒に紛れ聞き取れない。  広場の時計が約束の時間を打ち、唯斗はそのまま踵を返し駆け出す。派手に染みのついてしまったシャツで隆輔に会うことにためらいはあったが、家まで戻って着替えていると大幅に時間を取られてしまう。  5分遅れて店に駆け込む。  新作コーナーの棚に視線を流していた隆輔は、駆け寄る唯斗を見てわずかに目を見開く。オフホワイトのシャツの胸半分に飛び散った染みはやたらと目立ち、連れである隆輔にまで恥ずかしい思いをさせてしまっていると思うとつらくなる。    事情をありのままに話して遅れたことを詫びると、隆輔は微笑んで答える。「冬じゃなくてよかった」と。「冬だったら熱いコーヒーだったかもしれない」と。  胸がじんわりと温かくなり、同時に切なさに引き絞られる。  間違いではないのだ、と思う。自分は間違ってはいないのだ、と。  彼を選んだことも、彼に抱いているこの気持ちも。絶対に間違いではないのだから、いっそもう認めてしまいたいと、強く思う。  思い余って隆輔の方へさらに一歩出ようとしたとき、いきなり背後から腕を掴まれる。  振り向く。  哲也が立っている。  両目を真っ黒に塗り潰された、哲也が叫ぶ。 「来るよ!」と。 「あいつが、来るよ!」と。  自動扉の向こうにとてつもなく巨大な黒い影が、急速に迫っているのが見えた。

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