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第7話
必死で叫んだつもりなのに声が出なかった。唯斗は声無き悲鳴を上げて飛び起きた。
静寂に満ちた世界が全身を包み込む。
月の光に浮かび上がるのは十畳ほどの和室だ。合宿所出入口の脇に位置するこのミーティングルームから外を見張っていたつもりだったのが、いつの間にか眠り込んでしまったらしい。
夢を見ていた。樫村に手を貸し隆輔のところに駆け付けたまでは過去の記憶そのままだったが、途中哲也が出て来たあたりから空想が混ざってしまっていた。
嫌な夢だった。心臓は口から飛び出そうなほど高鳴っており、全身が冷たい汗でじっとりと濡れている。
「ユイ、大丈夫か?」
ハッと顔を上げると、壁に背をもたせ窓から外を監視する形で座っている隆輔が心配そうな視線を向けていた。鼓動が急速に落ち着いてくる。
「あ……あぁ。なんか、嫌な夢見てた」
隆輔はいつからここにいたのだろう。
何かに怯え、部屋で布団をかぶったまま動こうとしない哲也を除く全員で、冷蔵庫の食材を適当に漁って夕食代わりにした。その後隆輔だけ食堂に残ってテレビを調べていたようだったが、それからは姿を見ていなかった。
「今何時?」
問いに隆輔は腕時計をチラッとのぞいた。
「2時だ。まだ寝てろ。俺が見張っててやる」
「だって、おまえは?」
「さっき少し仮眠したから大丈夫だ」
哲也から得体の知れない『何か』の話を聞いた後は全員がある種放心状態に陥り、茫然と黙りこくってどうすればいいのか話し合うどころではなかった。
混乱状態が治まらない哲也からそれ以上詳しい話を聞き出すこともできず、隆輔と広樹と相談してとりあえずうかつに外には出ない方がいいだろうという結論に達し、全員がなるべく離れないように合宿所内で時を過ごすことにした。
それ以外の対策を立てようにも、状況がわからないのではどうすることもできなかった。
唯斗と隆輔はもう一度校舎の中を隈なく回ってみたが、やはり自分達以外の人間はおらず、職員室の電話も通じず、状況がわかるようなものも何一つ発見することはできなかった。ただ人はいなくなってもなぜか水道や電気は普通に供給されており、それだけは何よりもありがたかった。
食事と風呂を済ませた後で他の4人を広樹に任せて、唯斗は一人この部屋に移った。出入口近くで見張りをするためというのが一番の理由だったが、少しの間一人になり頭を整理したかったこともある。
どんなに信じられない状況でも、今実際その現実に身を置いている以上は受け入れなくてはならない。ここでのリーダーは自分であり、最終的な判断を下さなければならない責任があるのだ。
哲也のあの様子を見る限り最悪のケースを考えれば、想像もつかない未知の生物に襲われる可能性だってないとは言えない。自分も含め7人の命が肩にかかっていると思うと、不安がってなどいられなかった。
「リュウはどう思う? テツの話」
隆輔とは対面の壁によりかかり、唯斗は気持ちを引き締め口を開く。
隆輔はいつもと変わらない。7人の中ではもっとも落ち着いて見える。
軽口を叩いている広樹でさえどこか常と違った動揺がほの見えるのに、石のように揺るがない隆輔の様子は唯斗の胸に安心感をもたらした。
「何か幻覚を見たんだと思いたいな。精神に異常を来たす毒ガスみたいなものが撒かれて、そのために住民が避難したのかとも考えたが、それだと朝ずっと町中を走っていたこの俺が何ともないのはおかしい」
「毒ガスって、テロとか?」
「一つの可能性だ。ただカズの言うように、スマホもテレビもイカレたのはどうにも説明がつかないがな」
「とにかく、なんとか情報を手に入れないと動きが取れない。朝になったらもう一度パソ室に行って端末を調べてみよう。それと、もしも何日もここにこもるようになるなら食料をどうするかだ。冷蔵庫に入ってる食材はいいとこ明日いっぱいもてば……」
言葉を切ったのは、隆輔がいきなり立ち上がり近付いて来たからだ。唯斗は息を詰め、肩が触れるほど近くに腰を下ろす相手を見返す。
そばにいるだけで安心感が満ちてくるが、伸ばされた手が髪に触れたときにはさすがに動揺し身を強張らせた。
「え、何……」
唯斗の非難の声を意に介さず、隆輔は骨太な見かけよりはずっと繊細な指で唯斗の髪を何度も梳く。その眼差しは包み込むように優しい。
こんな状況だというのに、二人でいるとき常に感じる甘い胸苦しさが湧き上がってきて、唯斗は思わず相手から目を逸らした。
「な、何してるんだよおまえ」
「嫌か?」
嫌じゃないと言うのも変だし、逆に嫌だとも言いたくなかった。
撫でられる感触は思わず目を閉じてしまいたくなるほど心地よく、本当はいつまでもそうしていてほしかった。
「おまえが頑張り屋なのは知ってるが、そう一人で気張るな」
何よりも唯斗を力付け安心させる、低音の声が囁きかける。
「でも、俺がしっかりしないと……」
「しっかりしなくていい。無理はするな。重い荷物は俺にも半分預けろ。俺は、頼りにならないか?」
「そんなわけないだろ」
言い返した弾みで相手と目が合ってしまう。
隆輔の深みのある瞳が複雑な感情に細められる。そのためらいの中にも甘さを隠さない眼差しに、唯斗の鼓動は我知らず速まった。
「こんな時間に、おまえと二人きりっていうのは初めてだな」
あまりにも唐突で、いささか的外れにも響く発言に唯斗はうろたえる。顔色一つ変えずに急に妙なことを言い出す男を、恨めしく思ってしまう。
「な、何だよそれ。わけわかんないし」
どことなく甘えた口調になってしまっていないだろうかと気になった。
非常時だというのにこんなことで体が熱くなってくる自分はどこかおかしいのではないかと思うが、理性ではどうにも止められない。
髪を撫でていた手が位置を変え、そっと唯斗の視界を覆った。
「今は寝ろ。朝になったらちゃんと起こしてやるから」
隆輔の大きな手からは、温かい陽だまりの香りがした。
眠ってなんかいられないと思うのに、精神的疲労と緊張の解けた安堵感からか次第に頭がぼんやりとして来る。隣に隆輔がいてくれれば、きっともう悪夢は見ない気がする。
「ユイ……」
声が届いて来る。返事をしようと思うが、眠気が勝って口を開くのも億劫だ。
「ユイ、たとえ何があっても、おまえだけは絶対に俺が守る。俺の、命に代えても」
隆輔の声が静かに、全身に染み渡る。
これも夢なのかな。夢でないといいのに――
漠然と思いながら、唯斗の意識はそのまま睡魔に誘われ、闇に吸い込まれていった。
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