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第9話
「おはよう」
爽やかとは言えない声に3人が振り向くと、広樹が寝不足といった顔で入ってきていた。いつも涼しげな微笑を絶やさない美形の彼も、さすがに疲れを隠せない様子だ。
「二人で何してるんだい?」
唯斗と隆輔が共に厨房にいるのを見て、形のいい眉がわずかに寄せられる。存在感の薄い樫村のことは目に入らないらしい。
「朝食を作ってたんだ。みんなちゃんと食べた方が元気が出ると思って」
唯斗の答えにも広樹の表情は和らがない。
「ふぅん、朝食作りね。2人ともなんか爽快な顔してるけど、昨夜何かいいことでもあった?」
棘のある言い方に唯斗は困惑する。
「ヒロ、こんなときに何言ってるんだよ」
「そろって部屋に戻ってこなかったから、2人でどこかに行ってたのかと思って」
隆輔に肩を抱かれ、寄りかかるようにして眠ってしまったことを思い出し、唯斗はわずかに頬が熱くなるのを感じた。
ポーカーフェイスは得意ではない。昨夜ずっと二人で寄り添っていたことを広樹が知っているはずはないのに、見透かされているような気がしてしまう。
「ユイと交替で見張りをしていた」
隆輔の冷静な声が穏やかに応じた。広樹のイラ立ちを、隆輔がサラリとうまく流すのはいつものことだ。
「ヒロ、おまえもどこかに行っていたようだったな。ちゃんと寝たのか?」
逆に切り返されて、広樹は露骨に眉を寄せる。
「図書室だよ。何かこういった状況と似たようなケースがないかと調べてたんだ」
「それで? 何かみつかったのか?」
唯斗の問いには苦い顔で首を振る。プライドの高い自信家の彼がお手上げを認めるのは珍しい。それだけあり得ない事態が起きているということだ。
「ユイ、ちょっといいか」
重い空気を救うように、今度は和彦が食堂に入って来た。彼なりに多少思うところがあったのか、今朝は寝巻き代わりのジャージを脱ぎ、朝からきちんと制服に着替えている。
ちなみに合宿中でも校内で私服は許されないので、他の4人も全員が制服である。
ビクリと肩を震わせる樫村を無視して、和彦はカウンター越しに唯斗と隆輔に向かう。充血したその目は、昨夜あまり眠れなかったことを物語っている。
「マサのヤツが、家が心配だから一度帰りたいって聞かねーんだよ」
「家に帰る? 外に出るっていうのか」
「しょーがねーだろ? あいつまだガキだから母ちゃんが恋しいお年頃なんだよ」
一つしか違わないくせに、やれやれといった具合に肩をすくめて見せてから、
「つぅかまぁ、俺もちょっとは外の様子見に行きたいし?」
と、和彦は少し言いづらそうに付け加えた。
格好つけてはいてもおそらく和彦自身、やはり家族のことが気になるのだろう。その思いは唯斗も同じだ。両親と弟の顔が急に脳裏に浮かび、胸が軋むように痛んだ。
「反対だ」
隆輔の冷静な一言が沈黙を破った。
「第一どうやって帰るつもりだ。電車は動いてなかったぞ」
「あいつんちはこっから二駅だろ。駐輪場でチャリ借りてけば20分くらいで行ける。ちょっと見て来るだけで長居はしねーよ」
「外の状況が把握できない以上何が起こるかわからない。危険だ」
「リュウ、おまえまさかテツのホラー話、信じてんじゃねーだろうな?」
「あれをそのまま信じたわけじゃないが、テツがああなった原因が何か外にあるはずだ。それがわかるまでうかつに動くべきじゃないと俺は思う」
「随分と慎重な意見だね。それじゃいつまでたっても、学校の敷地内から出られないってことになるよ。さすが鉄壁の守護神、守りが固いな」
隆輔の意見には基本的に対立するスタンスの広樹が、皮肉っぽい微笑で口を挟んだ。そうやすやすと挑発には乗らない隆輔の表情は全く変わらない。
「うかつに外に出て何かあったらどうする。取り返しがつかないことになるかもしれないぞ」
「リュウさん、それでも俺行きますから」
遮った声に振り向くと、食堂の入口に勝が立っていた。持ち前の朗らかさの全くない青ざめた深刻な顔の中、瞳には覆せない決意が見えた。
「マサ……」
「リュウさんの言うとおり確かに外はヤバイかもしれないっス。けどここでこうしてても、家のことが気になって何もできないっス。一度帰って見てくれば、たとえどういう結果でもそれなりに気持ちも決まると思うし」
勝が唇を噛む。不吉な想像をはっきり口にしたくないのだろう。
この状況では帰ったところで家族が無事とは限らない。だがたとえその姿はなくても、もしかしたら伝言くらいは残してくれている可能性に、一縷の望みを託したいのかもしれない。
隆輔を尊敬し一度もその意見に異を唱えたことのない勝が、今切羽詰まった真剣な顔で一歩も引かず彼を見ている。無理矢理外出を禁じても、おそらく抜け出してでも出て行こうとするだろう。
「わかった」
唯斗の一言に勝はホッと表情を緩ませた。
「ただし一人で行動しないこと。少しでも危ないと感じたらすぐに戻って来ること。それを守ってくれ」
「ユイ」
眉を寄せ反論しかける隆輔に、唯斗は向き直る。
「確かに、このままここにこうしててもどうしようもないよ。俺も一度外に出て状況を確かめたい。リュウは昨日の朝ずっと町中を走ってたけど、体は異常なかっただろ?」
「それは……」
「それと食料のことがある。来るかわからないけど救援を待つ間の分を、なんとか調達しなきゃならないし」
「行って帰って2時間もかかんねーよ、リュウ。それにそんだけ足延ばせば、誰かに会うかもしんねーしさ」
唯斗と和彦の言葉にやや苦い顔をしていた隆輔も、最終的には釈然としない表情ながら頷いた。
「話は決まったようだけど、俺はまだちょっと図書室で調べたいことがあるから残らせてもらうよ」
涼しい顔でそんなことを言う広樹は、外に未知の危険など存在しないと信じているようだ。
「それと……ユイ」
広樹の知的で涼やかな瞳が唯斗に向けられた。
「後でちょっと話があるから、2人で」
2人で、と限定されたときはこれまではさりげなく断ってきたが、こんな状況下ではさすがの広樹でも口説いてきたりはしないだろう。
唯斗は軽く頷き和彦の方を向く。
「テツは? どうしてる?」
「起きてるぞ。でも目が開いてるだけっていうか、何話しかけても全く反応なし」
和彦は首を振り顔を曇らせた。
「外には連れて行けないな。一人で残すわけにもいかないし……」
「僕が一緒にいる」
全員が一斉に声の方を見た。
存在を忘れられていた樫村は集まった視線に萎縮し、俯きながらもはっきり告げる。
「僕は、家に帰らなくてもいいので……テツ君を見てるよ」
「樫村……いいのか?」
「うん」
弱々しく上げられた視線が唯斗に向けられる。唯斗が頼んだぞ、という思いを込めて頷くと、おとなしそうなその口元は控えめに微笑んだ。
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