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第11話
スーパーマーケットで当座の水と食料を確保し、速やかに荷台に詰め込み出発した。
スーパーから唯斗の家まで行く途中には、隆輔の自宅もある。隆輔の住まいは町の中心に位置し高い位置から全体を睥睨する、モダンな高層マンションの最上階だ。
父が与党の代議士、母が有名ファッション誌の編集長という隆輔の両親は、都内に別宅を持っており家に戻ることが滅多になく、一人っ子である隆輔は家政婦に育てられたようなものらしい。本人が家族のことを話さないので詳しくはわからないが、どうやらあまり温かみのある家庭とは言えないようだった。
彼のことならすべてを知り理解したいと思っている唯斗からしてもその話題はタブーで、内情は聞きづらかった。ただいつ遊びに行っても、唯斗の部屋が5つも入りそうな洒落たリビングはガランとして冷たく、体裁ばかりをつくろった作り物のモデルルームのように見えたものだ。
隆輔の自宅にも寄って行くことを持ちかけると、当人は露骨に眉をひそめ「必要ない」と一蹴した。
家の話題が出たとき限定の吐き捨てるようなその物言いは、聞くたびに唯斗の胸を微かな悲しみで覆ったが、それ以上突っ込んだ話をすることはためらわれできなかった。
結局無理強いもできず、2人は唯斗の家に直接向かった。
隆輔の住むマンションからかなり坂を下った、せせこましい庶民の住宅地に唯斗の自宅はあった。いつもは近所の主婦達が時間に関係なく井戸端会議を繰り広げている路上も、今は全く人影がなく静まり返っている。
道路に面した角地の、典型的な建売住宅の我が家の前に自転車を停め見上げる。
何一つ変わったところはない。干してある洗濯物の間から、昨日別れたばかりの母親が今にも笑顔を覗かせそうだ。
「ユイ、俺はここで待ってる」
隆輔の声で我に返った。不安に気付かれ、余計な心配をかけたくなかった。
唯斗は表情を引き締め頷くと、自転車を降り玄関までのステップを上がる。ドアに手をかけると鍵のかかっていないそれは誘うように開いた。
中に入る前に、そこにいてくれることをもう一度確認したくて隆輔を振り向いた。目が合うと、隆輔は大丈夫だというように力強く頷いてくれた。
「ただいま」
いつも家に入るときの癖でそう声をかけて上がった。
返事はない。家全体が異様な静けさに包まれている。
一階から順にすべての部屋を見て回るが、変わった様子は何もない。何か伝言があると書き置く決まりになっている冷蔵庫脇のホワイトボードにも、『買物・洗剤、サランラップ』と母の字であるだけだ。
唯斗は脱力してキッチンの椅子に座り込んだ。
ある程度予想していた結果だったが、だからといって落胆しないわけがなかった。家族の身にとてつもない不吉なことが起こった兆候もなかったが、無事を確認できたわけでもない。変事の片鱗を示唆するものも全く残されていない。
テーブルの上の朝刊が目に止まり引き寄せた。日付は昨日のものだ。一面トップは政府が打ち出した新税制法案についてで、今回の異常事態の手がかりになる記事は何も見当たらない。一応テレビもつけてみたが学校のものと同じで、グレーの砂嵐が映るだけだ。
そこに留まり感傷に浸っていても、家族が帰って来るとは思えなかった。合宿所にいるので連絡してほしい旨をホワイトボードに書き付け、唯斗は家を出た。
待っていた隆輔が心配そうに唯斗を見上げてくる。
「ダメだ、誰もいない。何があったのかわかるようなものもなかった」
「そうか……」
「時間取らせてごめんな。早く戻ろう。テツと樫村が心配してるかもしれない」
「ユイ」
平静を装い自転車にまたがる唯斗に隆輔が声をかける。振り向いて見た端麗な美貌は、呼びかけたはいいが何を言っていいのかわからないといった複雑な表情で黙っていた。
もしかしたら、家に寄ろうと言い出したことを後悔しているのかもしれない。
「大丈夫だよ」
そう言って笑って見せると隆輔は一瞬つらそうに眉を寄せ、視線を逸らした。
「おまえのうちに来るのは楽しかった。温かくて明るくて、俺のうちとは大違いだ」
部活の帰り、たまに隆輔を夕食に呼ぶことがあった。ベテラン家政婦の作る手の込んだ料理で舌の肥えているはずの彼が、唯斗の母の作るオムライスやハンバーグなどの定番メニューを喜んで食べてくれたのを思い出す。
それにしても隆輔が、そんなふうに率直に心情を語るのは珍しい。しかも禁句である彼自身の家庭を引き合いに出してだ。
思わず見返した顔は、どことなく痛みを耐えている表情だ。
「リュウ……」
「おまえの家族は、俺にとっても大事だ。他人事とは思えない」
唯斗の家族も皆隆輔が大好きだった。特に母は大人びたイケメンの隆輔の大ファンで、「少しは隆輔君を見習いなさい」が口癖だった。
隆輔はその痛みを振り切るように顔を上げると、唯斗に微笑みかける。
「だから信じよう。何か悪いことがあった痕跡もないんだ。きっとみんな、今頃安全な所に避難してる。絶対だ」
日頃から根拠のないことを『絶対』などと断言しない隆輔だったが、おそらく自分の心境を思いやってそう言ってくれたのだろうとわかり、唯斗の胸は温かくなった。
「うん、俺もそう思うよ。サンキュ、リュウ」
唯斗も笑顔を返し、ペダルにかけた足に力を込めた。表面だけでも無理して笑っていれば、自然と力が湧いてくる気がした。
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