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第12話
帰途も特に変化なく、危険な『何か』にも避難し損なった人間にも会うことはなかった。
車の全く通らない道路を隆輔と並走していると、何だか自分達が今置かれている異常な状況を忘れ、気楽にサイクリングでも楽しんでいる気分になってくる。空は青く澄み渡り、正に夏本番だ。受験前の最後の夏休み、本来なら大切な思い出を一つでも多く残したい時期だ。
学校を出てから1時間以上経つ。始めは緊張していた唯斗も余りにも静かな町と異変のなさに、少し気持ちがリラックスしてくる。
「こうやって走ってると、思い出すよな」
思わず出た一言に、隆輔が目を向けてきた。
「去年、秋の野外学習のとき2人で迷ったの」
それだけで相手には通じたようで、ああ、と懐かしそうに頷く。
毎年秋の全校行事である野外学習は、主に自然に囲まれた土地でハイキングなどが行われる。去年はレンタサイクルを借りて隣県のゆるやかな山道を走った。
ロードレース気分で最初から飛ばしていた唯斗と隆輔は、いつのまにかクラスメイト達とはぐれ2人だけになっていた。途中で止まり後ろから来るはずの集団を待ったがなかなか現れない。どうやら道を間違えて、迷ってしまったらしかった。
「あのときはさすがにびびった。山の中で人なんかいないし、おまえは地図失くしたとか軽く言うしさ」
「俺に任せきりにしてた、おまえにも責任はあるぞ」
顔を見合わせ笑い合う。
確かに走行コースの確認を土地鑑のいい隆輔に任せて、のんきに後をついて行くだけだった唯斗も気楽過ぎた。ヤバイかなと思ったときにはもう遅く、行けども行けども迷路にはまり込むように山に分け入ってしまったときには、一時は遭難してしまうのではないかと心配になった。
それでも深刻にならなかったのは、やはり隆輔と一緒だったからだと思う。実際不安を感じるどころか、二人でとりとめもない話をしながら並んで走っているのが楽しくて、ずっとこの時間が続けばいいと思ったほどだった。
結局、遠回りをした挙句偶然元の道に合流し、時間に遅れ同級生や教師を心配させたが無事戻ることができた。集合場所である駐輪場が見えたときにはホッとするどころか、逆にがっかりしてしまったのを覚えている。
「みんなに心配かけといてそんなこと言っちゃあれだけど、楽しかったよな」
「ああ」
正直な唯斗の感想に隆輔も同意する。今も、こんな状況下で浮かれるのは不謹慎かもしれないが、それでもやはり楽しい。2人の他に誰もいないという状況も不思議と感情を解放させる。
空気は暑いが、耳元を過ぎていく風は涼やかで心地いい。
「白状する」
いきなり隆輔が言った。
「あのとき、実はわざと道を間違えたんだ」
「えっ?」
唯斗は思わず隣を見る。隆輔は他愛のないいたずらを打ち明ける子供のように、どこか照れたような目を前方に向けている。
「俺は、本当は道を知ってた。わざわざ迷ったふりをして遠回りしたんだ」
「うわ、ひどいよ! 俺ホントに遭難するかと思ったのに!」
「すまん」
悪びれず笑っている相手に、片手を伸ばして軽く空パンチをお見舞いする。隆輔が嬉しそうに声を立てて笑う。自意識過剰な錯覚ではなく、自分と2人だけのときしか見せない飾り気のない笑顔だ。
普段は愛想笑いもしないクールな関本隆輔にこんな親しみやすい笑顔があるなんて知られたら、ますます人気が上がってしまう。
だから、誰にも見せたくない。
「何でだよ。どうしてそんなことしたんだ?」
「……わからないか?」
そう言ってこちらを見た隆輔の眼差しは言葉にならない深い想いを伝えてくるようで、唯斗は胸を騒がせた。甘酸っぱい感覚が全身に満ち、ハンドルを握る手を震わせる。
こういう際どい駆け引きはもう何度となく繰り返されてきた。隆輔は広樹のようにストレートなアプローチはしないが、いつもさりげなく唯斗の中に入り込んでくる。そのたびに鼓動が速まり胸が詰まるほど嬉しくなりながらも、まともに向き合うのが怖くていつも無難に冗談でかわし、流して来た。
でも今は、2人きりだ。誰も自分達のことを見ていない。話を聞いてもいない。
「わからない。ちゃんと言ってくれないと」
言い捨て視線を前に戻す唯斗。早口で言ったのは照れ隠しだ。
落ちる沈黙に、白けさせたかなと不安になる。
「ちゃんと言えよ」
思い切って駄目押ししながら、いざちゃんと言われてしまったらどうしようと胸が高鳴る。
いつものように、逃げるのだろうか。自分から振っておいて怖いから逃げるのは、卑怯ではないのだろうか。
「おまえには、ホントにまいるよ」
1秒が1分にも感じられる沈黙の後の一言は苦笑交じりで、心底困ったという声だった。
そして、続いて届く一言。
「できるだけ長く、おまえと2人でいたかったからだ。これでいいか?」
思わず見返した相手の顔は、もう前を向いてしまっている。少し怒ったようにも見えるのは、もしかしたら隆輔も照れているのだろうか。
常ならぬ状況だからかもしれない。唐突に、自分も告げたいという気持ちが突き上げた。
もう言ってしまいたい。正直に伝えてしまいたい。
俺も2人でいたかった、と。2人でいられて本当に嬉しかった、と。
意気地なく震えてしまう唇を、思い切って開きかけたとき、前方に視線を向けている隆輔の横顔が一変した。
「止まれユイ!」
自動的に手がブレーキを握った。考えるより先に体が反応した。
試合のときいつも、背後から飛ぶ彼の声にすぐ反応するよう体が覚え込んでいたからだ。後ろマークされてる、敵が左から来る――隆輔の指示はいつでも的確で正しかった。
タイヤを軋ませ自転車が急停止する。何事かと見直した隆輔の横顔に、唯斗は目を瞠る。常に冷静さを崩さない彼が、どんな緊張場面でも見たことがないほどの動揺をあらわにしている。
あわててその視線の先に目をやった唯斗は、全身の血が凍り付いて行く感覚に体の動きを止めた。
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