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第18話
2人のいる部屋の引き戸は開け放したままになっており、廊下から中の様子が見えた。
部屋の隅にうずくまった哲也は、足元に置かれた一枚の紙に虚ろな視線を向けている。紙には何か絵が描いてあるようだ。
隣に座った樫村が哲也に小さな声で話しかけながら、膝の上に置いたスケッチブックにサインペンで何かを描いている。時折顔を上げては、反応のない相手に優しく笑いかける。
戸口に立つ唯斗の気配には全く気付く様子がない。状況を考えなければ何とも和む、のどかな光景だ。
不思議だった。見た目だけだと誰よりも真っ先に精神的に壊れてしまいそうな樫村が、ここでは一番落ち着いているように思える。例の生物を実際その目で見ていないからなのかもしれないが、それにしてもだ。
今もスケッチブックに落とされた瞳は穏やかで、むしろリラックスしているようにすら見える。
「樫村」
唯斗が声をかけると、相手はほとんど飛び上がらんばかりの勢いで顔を上げた。
「は、はいっ」
「ごめん、くつろいでるとこ」
「や、いや、僕こそ……何もしないで、ごめん」
唯斗としては決して嫌味ではなく本気で謝ったのだが、樫村の方が恐縮し申し訳なさそうに頭を下げる。
唯斗は苦笑した。
「おまえが謝ることないだろ」
「けど、こんなときに……」
「こんなときだからって、全員がへこんでたって始まらないよ。余裕あるときはゆっくり休んどいた方がいいと思う」
安心させるように微笑むと、相手は眩しげに眼鏡の奥の目を瞬かせる。
「ところで、もう一度パソ室の端末を調べてみようと思うんだけど、付き合ってくれるか?」
「はい……じゃなくて、いいよ」
樫村は頷き、スケッチブックを置き立ち上がった。
興味を惹かれた唯斗は部屋に入り、哲也の足元に落ちていた一枚の絵を拾い上げた。去年のW杯でハットトリックを決めたオールジャパンのFWの選手の顔が、コミック風味ではあるが緻密なタッチで描かれている。
「へぇ、うまいなぁ。これおまえが描いたの?」
「う、うん」
「俺絵うまいヤツって尊敬するな。自分が全然絵心ないから」
「そんな、それほどでも」
樫村は視線を伏せ照れくさそうに俯いた。
絵を差し出すと人形のように反応がなかった哲也の目が上げられ、手が伸び大事そうにそれを受け取った。そのまましっかりと胸に抱き締める様子を見て、唯斗は樫村と顔を見合わせ笑い合う。
樫村の温かい気遣いで、もしかしたら少しずつショックが薄れ、元の哲也に戻りつつあるのかもしれなかった。おそらく他の者にはできなかったことだろう。唯斗は彼が一緒にいてくれたことに、心から感謝した。
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