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第19話

「やっぱりわからないな」  分解したパソコンと30分ほど格闘していた樫村は、困惑したように首を横に振った。 「電源自体が入らないからハードに原因があるのかと思ったけど、特に異常はないみたいなんだ。もっと専門的な知識を持った人なら、何かみつけられるのかもしれないけど」  パソコン関係にはそれなりに自信があるのだろう。樫村は悔しそうに唇を噛む。 「そうか……」  ほとんど期待してはいなかったが、やはり落胆は拭えない。  テレビもネットも駄目では、今のところマスメディアから情報を得るのは不可能だ。一方で、何度打ち消しても想像してしまう悲惨なニュースを目の当たりにしなくて済んだことに、唯斗は心のどこかで安堵してもいた。 「ごめんね、役に立てなくて」  樫村が心底申し訳なさそうにつぶやく。 「おまえのせいじゃないよ。むしろ調べてもらえてよかった。俺達みんなこっち方面イマイチ弱くて。助かったよ。ありがとう」  樫村はチラッと気弱な視線を唯斗に上げ、すぐにまた俯くとためらったように口を開く。「あの……」 「うん?」 「ごめん。本当は、覚えてるんだ。去年駅前広場で、瀬名君に助けてもらったときのこと」  死刑判決を待つ被告みたいな緊張した面持ちで、膝の上の両拳を握り締める。 「ま、まさか、瀬名君も覚えてるとは思わなくて……本当にごめん」  前夜に夢で見るまで実際は忘れていたのだが、そのことは言わなくてもいい気がした。 「いいって。俺の方こそ考えなしに悪かったな。思い出したくないことってあるだろうし」 「そうじゃないんだ」  強い口調で遮った樫村は、ほとんど必死とも言える瞳でまっすぐに唯斗を見ていた。 「あのとき、瀬名君に助けてもらってから、本当はずっと、お礼が言いたかったんだ。あのときはとにかく混乱してて、何も言えなかったし……。それと、君のシャツを汚してしまったことも、ずっと謝りたくて……」  気が付いていたのか。 「そんなのいいって」 「よくないよ! 僕あれから調べて、君の着てたシャツが3万円だって知って……なんとかお金を作って同じのを買ったんだ。そのためにレアもののゲームをオークションに出しちゃったけど、全然惜しいと思わなかった。学校で君にちゃんとお礼を言って渡したかったのに、勇気がなくて……」 「俺が同じ学校だって知ってたのか?」 「瀬名君のことは1年のときから知ってたよ。サッカー部のエースで人気者だし、誰だって君の話をするときは必ず笑顔になるくらいみんなに好かれてて。明るくて感じがよくて、それに、すごく綺麗で……」    女子からはしょっちゅうだが、広樹以外の同級生の男から『綺麗』という言葉を大真面目に使われたのは初めてだ。同性から言われるには微妙な形容詞だったが、樫村が純粋にほめてくれているのがわかったので嫌な感じは全くしなかった。 「あっ、ご、ごめんね、変なこと言って……」  言った本人も違和感に気付いたのかもしれない。頬を染めあわてて胸の前で手を振る。 「や、別にいいけど、ちょっとほめ過ぎだろ」  笑って肩をすくめて見せると、樫村はそんなことはないと激しく首を横に振る。 「本当に、僕は前々からそう思っていて……だから助けてもらったときは夢じゃないかと思ったんだ。瀬名君みたいな人が、僕なんかに声かけてくれるわけないって」 「何言ってんだよ。普通に同級生じゃないか。気軽に話しかけてくれてよかったのに」 「でも君はいつも大勢の人に囲まれてたし、僕なんかと知り合いだと思われるのは嫌だろうと思ったから……」 「どうして?」 「だって……気持ち悪くないですか?」 「何が?」 「あ、ああいうのが好きとかで……」  言いづらそうに俯く相手が、例の盛大に散らばった本やゲームのことを言っているのだとやっとわかった。  ホラーや怪奇もののよさは唯斗にはわからず、どちらかというと苦手だったが特に不快には感じなかった。要するに趣味の違いというだけの話だ。 「全然? それより自分が好きなのものを気持ち悪いとか言うなよ。恥かしく思うことなんかないと思うぜ」  樫村は眼鏡の下大きく瞳を見開く。信じられない、そんな驚きに満ちた顔が唯斗を見返している。  自信なげな顔に笑いかけ頷いてやると、樫村はキュッと眉を寄せ視線を膝に落とした。そして、一大決心を告げるかのように再び唯斗を見上げる。 「それじゃこれからは、学校で会ったら声かけてもいいかな」 「もちろん。だってもう友達だろ?」  学校が平常の状態に戻るのが果たしていつなのか。それ以前に、また普通に学校生活を送れる日が来るのかということは、この際考えなかった。唯斗は今樫村が一番必要としている言葉を与えて、この自信なげな男を力付けてやりたいと思っただけだ。 「友達……」  樫村はその一言をとても大切そうにつぶやいた。まるでその言葉の意味を、今初めて知ったとでもいうかのように。  気が弱く内気な性格が災いしてあまり人馴れしないのだろう樫村祐二は、こんな特異な状況に置かれなければおそらく交流しなかったかもしれないタイプだったが、一緒にいるとなんとなく安心するのが不思議だった。  それは隆輔のようにすべてを委ね頼れるという質のものとはまた違った安心感で、いわゆる『癒し系』とでもいうのだろうか。現に誰にでも懐くというタイプではない警戒心の強い哲也も、平常の状態でないとはいえ彼には心を許しているようだ。 「そろそろ行こうか。みんなが心配してるかもしれない」  もう少しこうしていたいと思うような心地いい沈黙を破って、唯斗は席を立つ。  みんなが、とは言ったが、実は自分が姿を消した隆輔を心配しているというのが本音だった。 「あ、うん」  樫村もあわてて立ち上がる。  ここで話している間ずっと、内心では隆輔のことが気になって仕方なかった。校内を見回ると言って出て行ってから、気付けばもう3時間以上経過している。  一体どこに行っているのだろう。外には行かないと約束はしてくれていたが、やはり気懸かりだ。  本当は、そばにいてほしい。  例の怪物が高い塀を乗り越えいつ校内に入って来ないとも限らないと思うと不安だし、広樹にアプローチされ心が揺らいでいる今、彼に隣にいて微笑んでいてほしかった。  あの力強い声で、「大丈夫だ」と言ってほしかった。 「心配しないで、瀬名君」  パソコン教室を出て廊下を歩き出したところで、樫村がいきなり言った。 「関本君なら、もうすぐここに来るから」 「えっ?」  思わず相手の顔を見た。  唯斗の一歩後ろをついて来るその表情に、特に変化はない。  まるで心を読まれたみたいだった。それになぜそんなことを、樫村が断言できるのだろう。  どうしてわかるんだ、と尋ねようとしたときだった。 「ユイ、ここにいたのか」  階段の踊り場で、ちょうど下から上がって来た隆輔と鉢合わせし、唯斗は驚く。 「リュウ! おまえどこ行ってたんだよ」  なじるような口調になってしまうのを抑えられない。もしも樫村が一緒でなかったら、安堵から来る嬉しさで腕ぐらい掴んでしまったかもしれない。 「囲いの塀でちょっと壊れてたところがあったから修繕してた。応急処置だがなんとかなるだろう。心配かけたか?」  隆輔は唯斗に微笑みかけ、二人を交互に見てから聞いてくる。 「パソ室へ行ってたのか。何かわかったか?」  首を横に振ると隆輔も微かに嘆息する。やはり期待はしていなかったという顔だ。 「あの、2人はこっちで少し休んでったらどうかな。僕はテツ君のことが心配だから先に戻ってるよ」  唐突に樫村が言い出した。  わけがわからず思わず見返した二人に樫村は反論する間を与えずに、それじゃ、と手を上げさっさと階段を降りて行ってしまう。 「え、樫村!」  呼びかける唯斗にいいからとばかりに軽く手を振り、もう振り向きもしない。 「おい、6時には厨房に来てくれよ! おまえがいないと晩飯作りが厳しい」  続く隆輔のその一言には一瞬振り返ると、ひどく嬉しそうに笑って頷いた。 「あいつ、あんなふうに笑えるんじゃないか」  消えて行く背を見送りながら、隆輔が意外そうに言った。 「ちょっといじけた感じはするけど嫌なヤツじゃないよ。テツも懐いてるみたいだし」 「そうだな。俺もあいつに悪い印象は持ってない。むしろ、通じ合うものがある気がする」 「通じ合うもの?」 「あぁ……いや、なんとなくだが」  隆輔はらしくなく言葉を濁し、曖昧に視線を逸らす。  どこからどう見ても、2人の間に共通点など一つもなさそうだ。隆輔が樫村にどんな共感を見出したのか唯斗にはさっぱりわからなかったが、今の言葉を聞いたら樫村が喜びそうな気がしてなんだか嬉しかった。 「そう言えば、どうして俺達がこっちにいるってわかった? 誰かに聞いたのか?」  唯斗の問いに、隆輔は眉を寄せ首を傾げる。 「いや、そう言われてみると、ただなんとなくとしか言いようがないな。足が自然にこっちに向いてた」  さっきの樫村の予言は偶然のものだったのだろうか。少しだけ心に引っかかる。 「ユイ」  呼ばれて見上げると、2人だけのとき限定の深い慈しみに満ちた瞳が向けられていた。  広樹に見つめられるのとは全く違う。隆輔のこの特別な想いを込めた眼差しは、いつでも唯斗の胸を躍らせる。  浮ついた胸が高鳴ってしまうのをひどく不謹慎だと感じたが、どうしても視線を逸らせない。 「ちょっとだけ、時間いいか」  ためらわず素直に頷いた。  森閑とした校舎内には、今は2人の他に誰もいない。

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