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第21話

‡《3日目》‡  食料が底をつきかけていた。  ミネラルウォーターのボトルはかろうじてまだ人数分あったが、食材はほとんどない。厨房中のありとあらゆる棚を開けてみたが、すぐに食べられそうなものはカップ麺の一つもなかった。  ガランとした冷蔵庫を閉じ、唯斗は深く息をついた。  時計を見上げる。6時だ。  隆輔はどこに行っているのかすでに姿が見えなかったが、他の連中は疲れ果ててまだ眠り込んでいるはずだ。昨日行ったスーパーマーケットまで自転車なら5分、決して遠い距離ではない。  リスクを考えてはいられなかった。飢えて体が動かなくなる前に、迅速に行動しなければならない。  来るかどうかもわからない救援をいつまでも待ち続け、万が一その間に巨大生物に襲われ空きっ腹で立ち上がることすらできなくなっていたら、もうアウトだ。  意を決した唯斗は、気配を忍ばせ静まり返った合宿所を出る。まだ幾分やわらかい朝の日差しを浴びながら、新しい自転車を物色すべく駐輪場へと向かう。  その途中だった。完全な静けさを保つ空気を、微かな音が揺らしているのに気付く。  幻聴ではない。それは車のエンジン音だ。どうやら駐輪場の裏手の職員駐車場から届いてくるらしい。  ――他に人がいる……!  とっさに胸が希望に湧き立った。救援隊にしてはあまりにもささやかすぎる音ではあったが、外部の人間なら何かしら情報を持っているはずだ。  タイヤを軋ませる音と共に駐車場から徐行で出て来た車は、学校名が側面に入った古い軽トラだった。  唯斗はダッシュし、パーキングから姿を現した車に校門の前でギリギリ追い付いた。 「待て!」  前に回り込み、両手を広げて立ちふさがる。  運転席の人間と目が合い、唯斗は思わず驚きの声を上げた。 「リュウ!」  開けた窓から肘と顔を出した隆輔が、苛立った声を上げる。 「急に飛び出して来るな! 危ないだろ!」  いささか的外れに過ぎるその叱責は、逆に唯斗を切れさせた。運転席側の窓に駆け寄り突き出された腕を乱暴に掴む。 「何してるんだよ! 一人でどこ行くつもりだったんだ?」 「おまえこそ、こんな朝っぱらからどうして外に出てる」 「それは……」  もちろん2人とも目的は同じなのだろう。  わかってはいても、相談もなく単独行動を取ろうとしていた隆輔に対し憤りは禁じ得ない。自分のことを棚に上げて、怒りよりむしろ置いて行かれそうになった恨み言をぶつけてしまいたくなる。  そしてそれは相手も同じのようだ。  隆輔は落胆と不満の入り混じった顔で唯斗を見返し、苦い声で言った。 「まさか、自転車でのこのこ出かけようとしてたのか? 無謀すぎるぞ」 「な、何だよその言い方! おまえこそ、なんで車なんか乗ってるんだよ!」 「荷物が一杯載るからだ」  わざとはずした隆輔の答えに、さらに怒りが増してくる。 「そういうことじゃなくて……とにかく、一人でなんか行かせない!」 「ユイ、手を放せ。車なら俺一人で大丈夫だ。ヤツと出くわしても逃げられる」  引かれる相手の腕を放すまいと必死で掴み、唯斗は首を振る。 「嫌だ! 俺も行く」 「いい加減にしろ! 俺が……おまえだけは助けたいと思ってるのがわからないのか!」  隆輔らしくない冷静さを欠いた一言が叩き付けられた。その真摯で悲痛な眼差しは胸を打ったが、聞き入れることはできない。 「わかるよ! だって俺も……」  同じ気持ちだから、と続く一言は、見交わす瞳で伝える。  そうなのだ、今わかった。2人とも、間違っていたと。  何が起こるか予測できないこんな状況だからこそ、離れていては駄目だ。何かあったそのときにもしもそばにいなかったら、きっと一生後悔することになる。 「何だ何だ? 朝っぱらから、また何かまずいことかよ?」  赤い目をこすりながら、和彦がこちらに向かって来るのが見えた。合宿所の玄関からは樫村も出て来ている。  頭に血が昇って声を高めすぎた。唯斗と隆輔はしまったという顔で、共犯者のように一瞬目を見交わした。  我が物顔で学校の軽トラに乗り込んでいる隆輔を見て、和彦は唖然とする。 「はぁ? おまえ免許取ったの? つぅか、もしやダブってたのか?」 「留年してないし誕生日は来年の1月だ」 「無免許じゃん。退学になんぞ」 「非常事態だ」 「学校ん中にいた方が安全っつったのおまえだろ。車乗ってどこ行こうってんだよ?」  訝しげな和彦の問いに、もう隠しておくわけにはいかなくなった。  再度隆輔を見、仕方あるまいという同意を瞳の中に読み取ってから、唯斗は和彦と後ろにいる樫村に向き直る。 「実は、今日の分の食料がもうないんだ」 「マジかよ!」  和彦は情けない声を上げ、事情を知っている樫村は、まるでそれが自分のせいでもあるかのように申し訳なさそうに俯いた。 「大丈夫だ。俺一人で行ける」  一同の不安を吹き払うように、隆輔がキッパリと言った。  試合のときはどんなに厳しい局面であろうが隆輔が「大丈夫」と言えば皆根拠もなく安心したものだが、唯斗も和彦も同時に非難の声を浴びせる。 「そんなこと絶対にダメだからな!」 「おまえ馬鹿言ってんじゃねーよ!」  すごい剣幕でまくしたてられて、隆輔もさすがに苦い顔で黙った。 「とにかく、昨日食料が調達できなかったのは俺達の責任だ。俺もリュウと一緒に行く」 「待てって。昨日の状況じゃしょーがねーだろ? 誰が行ってたってあの状況じゃ無理だっつぅの。それに別に、食料調達係はおまえらに決まってるわけじゃねーしな。俺も行くぜ」  見かけより男気がある和彦が、ムッとして前に出た。 「広樹は昨日からずっと図書室だ。テツは樫村が見てればいいし、俺もなんか役に立ちてーんだよ」  一見軽薄な彼も、自分が正しいと思ったときには引かない強さがある。  人数が多ければそれだけたくさんの物を手早く積み込めるし、一人は見張りに立たせておくこともできる。逆に人数が少ないからといって怪物に襲われるリスクが減るのかと言えば、それはない気がする。 「わかった、3人で行こう。リュウ、いいな?」  考えた末の唯斗の決断に和彦は当然とばかりに頷き、隆輔は露骨に眉を寄せ肩をすくめたが反論はしなかった。ただ、 「自転車で行くのは危険だ。全員これに乗れ」 と条件を出す。和彦が思い切り顔をしかめる。 「ってさぁ。おまえマジで大丈夫なのかよ? ヤツにやられる前に事故って昇天はカンベンなんですけど?」 「仕組さえわかってればこんなもの動かせる。それに他に車も人もいないんだから、交通法規を守る必要もないだろう。安心しろ」  基本モラリストの隆輔だが、こういったサバイバル的環境では臨機応変に順応性を発揮するらしい。逆に、普段はアウトローを気取っている和彦の方が顔を引きつらせている。 「安心しろって……できるかっつーの」  などと口の中でブツブツ言いながらもおとなしく荷台へ飛び乗るのは、やはり信頼の表れだろう。 「気をつけて。テツ君と一緒に待ってます」  樫村は不安げな顔で、それでも精一杯力強く言った。唯斗もしっかりと頷き返す。  怪物が校内に入って来ないという保障もない中で、ああいった状態の哲也と2人だけで彼を残して行くことに後ろ髪を引かれる思いはあったが、今は任せていくしかない。  少なくとも外よりは、ここにいる方が安全だと信じたい。  助手席のドアを開け、唯斗は目を瞠る。シートに1メートルにわずか欠けるほどの大きさの、黒いレザーのケースが置いてあったのだ。 「リュウ、これは?」  首を傾げる唯斗に、隆輔はまずいものをみつかったとばかりに少し眉を寄せ、 「昨日、ちょっとうちに戻って取って来たんだ」  と、言いづらそうに早口で言い訳する。 「昨日って、あれからまた一人で外に出ていったのか? 危ないってあれほど……」 「後で聞く。早く乗れ」 「おーい、何揉めてんだよ? とっとと出発しようぜ!」  2人に急かされ、山ほどの文句を押さえ込んで、唯斗はシートに体を滑り込ませる。ケースを膝の上に抱えると、ズシリと両手に響く予想外な重量感があった。  エンジンのかかる振動が体中に響く。出陣の合図のようでなんとなく気が引き締まる。 「くれぐれも安全運転でヨロシク!」  荷台から届く和彦の声を合図に、車は滑らかに発進する。  バックミラーの中で遠くなって行く樫村は、校門を出てその姿が見えなくなるまで手を振っていた。

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