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第22話
隆輔の運転は全く危なげなかった。むしろ少しスピードを落としてくれと言いたくなるくらいハンドルさばきもスムーズで、マーケットまではほんの数分で到着した。
シネマコンプレックスやショッピングモールとの複合施設の中にあるスーパーは、かなり広い敷地があった。
怪物のあの巨大な体では建物の中にまで入ってこられないだろうという希望的観測の下に、地上ではなく屋上の駐車場に軽トラを停めた。普段常に満車の状態を見慣れているので、他に車が一台もなく貸し切りみたいな様相が不気味だ。
3人で必要なものをピックアップし、分担してカートに食料を積み込んだ。当てにならない救援隊がいつ来るかわからないことを考え、なるべく長持ちしそうな缶詰やレトルト食品を多目に選んだ。
その間巨大生物は影すら見せず、町は一見平和に静まり返っていた。
昨日の出来事から一夜が経ち、記憶はやや鮮明さを失っていた。
元々人間の心のメカニズムは、悲しいことや恐ろしいことは早めに忘却するようにできているらしい。それが余りにも信じがたい、非現実的な出来事ならなおさらだろう。
唯斗自身も昨日のことは、広樹が言っていたように幻覚だったと言われればそんな気がして、時が経つにつれて次第に警戒心が薄れていくのを感じていた。立ち直りの早い和彦などはスナック菓子類やらドリンクやらをカートに積み上げて、金を払わない豪勢な買い物を満喫している。
何回か駐車場とフロアを往復して荷台がほぼ一杯になったところで、まだフリーショッピングに夢中になっている和彦を残し、唯斗と隆輔は屋上へと戻った。
車に寄りかかり隆輔に渡されたスポーツドリンクを一口飲んで、どれほど乾いていたかを思い知らされる。
「学校に戻って食料をしまったら、無線機やラジオがないか探してみるか。放送室あたりならありそうだ」
「それと、できれば帰りにマサがいなくなった場所に行ってみたいな。もしかしたらどこかに隠れて無事かもしれないから」
「ああ、そうだな。車ならヤツと遭遇しても逃げ切れるだろうし」
交わされるとりとめのない会話が途切れ、沈黙が落ちる。
会話をしているときより沈黙の中の方が、不思議と2人きりだということを意識させられる。そして終末の世界に2人だけ残されたようなこの状況がそれほど不安ではなく、むしろ心地よいくらいに感じていることを唯斗は否定できなかった。
危機感が薄れてくると、昨日、視聴覚室で中途半端に放り出されたほのかな熱情がまた蘇ってきた。
隆輔が気持ちを告げることをためらっているのは、唯斗が自分の気持ちを認められず、受け入れることを拒んでいたからかもしれない。
だがここでは、誰も自分達を見ていない。唯斗の秘めた想いを嘲笑しない。眉をひそめない。
重い枷を外された今、自分の心のままに行動してしまって何がいけないのだろう。
唯斗は思い切って1メートルの距離を詰め、隆輔に寄り添った。腕が触れ合う。
その強い腕で肩を抱いてほしいという想いが、唐突に湧き上がり胸が苦しくなる。そして、ずっと欲しかった言葉を耳元で囁いてくれたなら……そう今なら、きっと勇気を出して受け入れられる。
「ユイ……」
相手の戸惑った声が降りてくる。顔を見上げる勇気はない。
これまで認めることが怖くてずっと拒否し続けてきたものを、明日をも知れぬ状況に陥り急に欲しがるなんて、虫がよすぎると思われていないだろうか。
「今はまだダメだ。そう言っただろう」
強張った口調で告げられた一言に、思わず相手を見返した。
隆輔は何かに耐えるように眉を寄せ、唯斗から目を逸らしていた。
昨日も拒まれた。そして、思い切って唯斗から距離を詰めた、今も。
「なんで……?」
そう聞いた声は、みっともなく掠れていた。隆輔は唯斗を見ようともせず首を振り、一歩距離を取った。
胸がズキンと痛む。
「おまえは今混乱してる。こんな状況だからおかしくなってるんだ。元の生活に戻ったら、絶対に後悔する」
「っ……」
言葉が出ない。そんなことはないと、即座に言い切ることができない。
ずっと、光の当たる道を歩いて来た。あらゆる面で人より恵まれている唯斗は、自分がそのまままっすぐ明るいレールの上を進んで行くことに、何の疑問も抱いていなかった。
隆輔に抱いた特別な感情は、唯斗の心に初めて芽生えた影の部分だ。
それを自覚したときはショックで混乱し、自らを汚らわしいもののように感じ必死で否定しようとした。人として間違っているものだから、受け入れることなどできるはずがないと、頭から決め付けていた。
でも、本当にそうなのか。
この想いは、それほど恥ずべき疎ましいものなのか。
手放してしまって、本当にいいものなのか。
「リュウ、俺……俺は……」
「おー、待たせたな!」
ガラガラという忙しない音と共に、和彦がカートを片手に一台ずつ引っ張ってくる。
「これでまぁ、軽く何週間かは食いつなげるんじゃね? ま、足りなくなったらまた来ればいいしな」
空気を読むということをしない男は2人の微妙は表情には全く気付かず、残りの荷物を荷台に積み込み始める。唯斗と隆輔の間に流れていた張り詰めた緊張感は一気に解け、いつもよりテンションの高い和彦を唖然と見つめてしまう。
マサが目の前であんなことになったショックが、まだ癒えていないはずはない。和彦自身の心は深く傷付いているのに、なんとか己を奮い立たせようと明るく振舞っているのだろう。
試合に負けたときでも、沈んだ雰囲気をなんとか盛り上げようといつもがんばっていた彼を思い出す。
隆輔と目が合い、同時に苦笑で頷き合った。
そう、個人的な葛藤は後回しだ。今はとりあえず、食料を無事に持って帰ることが先決だと、唯斗は気を引き締める。
ふと見上げると、真夏の青い空がどこまでも広がっていた。以前と変わらぬ平和な空に、危険など何もないように思われてくる。
「この分だと、帰りもなんとか無事に行けそうな気がするな」
和彦の明るさが伝染したのか、唯斗もなんとなく気分が楽観的になってきていた。常に周囲に対する警戒を怠らない、隆輔の表情からも幾分硬さが抜けている。
「まぁ後は、ドライバーが帰りスピードの出しすぎで、電柱に突っ込みでもしなきゃ楽勝ってとこだな」
「人を見てものを言えよ」
和彦が彼らしい軽口を叩くと隆輔がそれに応じなんとなく笑いが生まれたりもして、以前の空気が戻って来る。
「リュウ、さっきも言ってたけど、マサがいなくなったとこに寄れるか? カズ、場所覚えてるだろう?」
和彦がしっかりと拳を握る。
「バッチリだ。俺もあれから考えたんだわ。あいつがそう簡単にやられるわけないってな。絶対どっかに隠れてるに決まってるって!」
唯斗と隆輔も同意し、しっかりと頷いた。 3人の間に、試合前のようなプラスの緊張感が漲ってきた。
「そうと決まれば、とっとと片付けちまおう」
弾んだ声を上げて、和彦が最後のカートに手をかける。
荷台の荷物を寄せようとしていた唯斗は、ガチャンという大きな音に振り向いた。
「?」
最初に目に入ったのは、横倒しになったカートだった。視線をずらすとその横に立ちすくんでいる、和彦の背が見えた。
「カズ?」
唯斗の呼びかけが耳に入らないのか、和彦は微動だにしなかった。倒れたカートから転がった荷物を拾おうとするどころか、こちらに背を向けたまま立ち尽くしている。その視線は遥か前方に注がれ動かない。
「マサ……!」
その口から漏れた一言に、唯斗と隆介は同時に和彦の目の先を追った。
何もない。
だだっ広い駐車場には、人影どころか猫の子一匹見当たらないのだ。
「なんだよ、マサ! おまえやっぱそこにいたんじゃねーか! 生きてたんだな!」
あたかもそこに本当に後輩の姿を見ているような喜びの声を上げて、和彦がいきなり飛び出した。
「カズ!? どうしたんだよ!」
「待て!」
追って駆け出そうとした唯斗の腕を、隆輔が掴んだ。
和彦の向かっていく方向を見やり、唯斗の背筋に覚えのある悪寒が走った。
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