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第25話

 荒れた運転にも過剰な積み荷にも耐えて、廃車寸前の車はよく持ち堪えてくれた。あちこちに擦った跡やへこみを作った軽トラは、学校にたどりつくなりこれで役目を果たしたとばかりにエンジンを停止させ、そのまま動かなくなってしまった。  車同様、唯斗も精神的に深いダメージを負っていた。    怪物の口の中に自ら飲み込まれていった、和彦の背中が脳裏に焼きついて離れない。あれが幻覚や悪夢だというならどんなにいいだろう。  だが現に、和彦は今ここにはいないのだ。  考えなければならないことはたくさんあった。心身ともに疲れ果ててもいた。  それでも2人とも、休んではいられなかった。まずは、逃走途中で振り落とされ半分くらいになってしまった食料と水を、厨房に運び込む作業があった。  手伝いを頼もうと広樹を探したが、姿が見えない。樫村と哲也も部屋におらず、描かれた絵だけが畳の上一面に散らばっていた。  不吉な予感というのでもないが、これだけいろいろなことがありすぎると悪い方にばかり考えが向かってしまう。  急に不安になった唯斗は荷物の搬入を隆輔に任せ、病室からそっと持ち帰ったスケッチブックを自分のバッグに隠すと、 3人の名を呼びながら校舎へと足を向けかけた。 「瀬名君!」  応える声が聞こえてきて心から安堵する。  視線を向けるとグラウンドの片隅から、樫村が手を振っているのが見えた。 「ごめん、テツ君が少し外に出たいって」  唯斗が駆け寄って行くと、樫村は申し訳なさそうに俯いた。 「テツが?」  意思のない人形のようになっていた哲也が、そこまで回復したのはいいニュースだ。  目を転じると、少し離れたところでリフティング練習をしている哲也の姿があった。  本来の哲也のリフティングではない。膝から2、3回上がったボールはすぐに下に落ちてしまうといった具合で、体もバランスが悪くぐらついている。 「テツ」  唯斗が声をかけると、足首からポンと弾かれたボールがポトンと地に落ちた。横顔は相変わらず無表情で、視線は力なく地に落とされている。 「テツ、具合どうだ?」  反応はない。 「テツ君、瀬名君だよ。わかる?」  樫村が肩に手を置き優しく語りかけると、哲也の瞳が微かに左右に動き唯斗の顔で一瞬止まったが、またすぐに伏せられる。それでも、ユイさん、と青ざめた唇が動いたのがはっきりと見て取れた。 「うん、俺だよ。大丈夫か?」  微かに顎が引かれた。そんなわずかな反応でも示してくれたことは、大きな進歩でホッとする。  樫村も嬉しそうに哲也の肩をポンポンと叩き、唯斗に微笑みかける。 「でも本当によかった、無事に帰って来てくれて」 「あぁ……うん」  勝が巨大生物にやられた話は、今哲也のいるところではしない方がいいと思った。  歯切れの悪い唯斗の態度に何かを感じ取ったのだろう。樫村もそれ以上突っ込んで聞いてくることはなかった。 「池田君は朝から校舎に行ったきりで……。調べたいことがあるとか言ってたよ。もう少しで何かがわかりそうな、そんな感じだった」  和彦が怪物に食われた話をしてもまだ、広樹はそれが幻覚や暗示だと言うだろうか。  哲也がまたボールを蹴り上げ始める。足元を離れ転がって行ってしまうボールを、樫村がそのたびに拾いに行っては手渡してやる。  そこには場違いなほど静かで穏やかな空気が流れ、見ていると磨耗した心が癒されてくる。 「弟と同い年なんだ」  樫村が哲也のユニフォームについた泥を払ってやりながら、ためらいつつ口を開く。 「今南高の1年で君達と同じサッカー部なんだけど、僕は嫌われてて口もきいてくれない。でもこうしてテツ君と一緒にいると、なんか昔のこと思い出すよ。弟とこんなふうに、よく一緒に遊んだっけ、って」  ずっと昔だけどね、と樫村は少し寂しそうに笑った。 「俺にも弟いるけどケンカばっかしてるよ。そんなもんだろ、男兄弟なんてさ」 「ケンカするのは仲がいい証拠だと思うよ。うちは話しかけても無視されるから、ケンカしたくてもできないんだ」 「おまえが覚えてるように、弟だって昔のことは忘れてないさ。そのうちきっと、思い切り言い合ったり笑い合ったりできるようになるって」  樫村は目を見開き唯斗を見返し、淡く微笑んでから、 「ありがとう」  と、小さな声で言った。  礼を言われるようなことではなかったが、思わず出てしまったらしいその一言は唯斗の胸をほのかに温かくした。 「そろそろ行こうか。食材が来たからお昼の準備をしなきゃ。テツ君もお腹空いたよね? 何かおいしいもの作ってあげるよ」  樫村が促すと、哲也は素直にボールを置き後について来る。  食料を運び込むとき、厨房も食堂も綺麗に掃除されているのに気付いた。乱雑だった各部屋もきちんと居心地よく整えられていたのは、おそらく留守中樫村が働いてくれたのだろう。 「サンキューな。出かけてる間、いろいろしてくれたみたいで」 「や、僕は何の役にも立てないから、せめてできることだけはさせてもらいたくて……」 「十分役に立ってるよ」  微笑み返しながら、後で樫村に病院でみつけたスケッチブックのことを相談してみようかと思った。同じように絵を描く人間なら、何か思い付くことがあるのではないだろうか。

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