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第28話
時間は瞬くうちに過ぎていった。
わずか半日の間に余りにも衝撃的なことがあり過ぎて、どこからが夢でどこからが現実なのか唯斗にはもうわからなくなっていた。
それでもこのあり得ない世界に自分が確かに存在し、感じ、考えている以上は、ここで今すべきことをしなければならなかった。
たとえそれが、どんなに絶望的な状況下であるとしても。
まず最優先に行ったのは、隆輔を合宿所に運び込み傷の手当をすることだった。
脚の方は幸い捻挫程度だったが、二の腕は思いのほか深手だった。
その上巨大生物の舌からは何か毒性のある体液が出ていたらしく、体全体が麻痺して思うように動かず発熱もしていた。本人は大丈夫だと言っていても、その顔色の悪さは深刻だった。
隆輔を看病している間は、余計なことを何も考えずにすんだ。
残された仲間がまた2人犠牲になったことも、もしかしたらこの世界には自分達の他にもう誰も存在せず、救援などいくら待っても来ないかもしれないことも。消えてしまったまま姿を見せない怪物のことも。
そして、樫村のことも。彼の作ったゲームのことも。
もう考えるのが億劫だった。この3日間で体験したことの数々は唯斗の頭が受け入れられる許容範囲を軽く超えていて、正常な感覚がとうに麻痺してしまったのかもしれない。
唯斗は高熱で意識を失うように寝込んでしまった隆輔の氷枕を作ったり、厨房に運び込んだ食材を整理したりして時をやり過ごした。
時間を忘れ立ち働くうちに、いつのまにか夜になった。窓からのぞく満月の幻想的な白光で、室内は電気をつけなくとも十分な明るさを保っていた。
1階のミーティングルームで窓際の壁にもたれ、唯斗は滅多に見られない隆輔の寝顔をみつめる。
熱が下がり呼吸も安定してきていることに安堵しながら、広樹の持って来たゲームのデモムービーを何度もリプレイする。そしてそれを、病院から持ち帰ったスケッチブックの絵と見比べる。
明らかに、同じ怪物だ。そして今、その実物がこの世界のどこかにいる。
どういうことなのか説明はできない。だが少なくとももう二度と、樫村と2人で過ごすあの穏やかな時間を持つことはかなわないのだろうと、唯斗は漠然と感じていた。
そして、どうにかして彼ともう一度話をしなければならないことも。
唯斗の方から赴かなくとも、彼の方からきっと再びアプローチしてくるだろうということも。
「ユイ……」
声に振り向くと、隆輔が上体を起こしていた。片手を額に当て頭を振っている。
「リュウ! 大丈夫か?」
「こんなときに、俺は寝てたのか?」
苛立たしげにつぶやき、布団から出て立ち上がる。
ふらつく体を唯斗はあわてて支える。
「あいつにやられた傷のせいで熱があったんだ。意識もはっきりしてなかったし、まだ動かない方がいいよ」
「もう平気だ。のんきに寝てなんかいられないだろう」
「リュウ」
いても立ってもいられない様子で、覚束ない足取りで部屋を出て行こうとする隆輔の両腕を掴み、唯斗はまっすぐな瞳で見上げる。
「頼むからおとなしくして。ここにいてくれ」
その声の真摯な響きに気付いたのか、唯斗の顔を見た隆輔はわずかに目を見開く。
「ここにいて」
繰り返し訴えた。
隆輔は何か言いたげに唇を開きかけたが言葉は出ず、抵抗をやめ体の力を抜いた。そのまま軽く腕を引くと、促されるままに窓際の唯斗の隣に腰を下ろす。
「あ、何か食いたい? 食べられそう?」
「いや、いい」
隆輔は俯き首を振る。
食べた方がいいのはわかっていながら、食欲がないのは唯斗も同じだった。
保冷バッグの中からミネラルウォーターを取って渡すと、隆輔はよほど喉が渇いていたのか一気に飲み干した。
人心地ついてかホッと息をつき、唯斗の手元のスケッチブックを見る。
「それは……?」
「ちょっと見てみてくれよ。リュウの意見が聞きたい」
唯斗が差し出したスケッチブックをめくり、隆輔は微かに目を見開いた。
「どう?」
「どうって、これも樫村が描いたのか?」
「どうしてそう思う?」
「ゲームのモンスターとそっくりだ。設定を決めるときのアイデア帳かなんかだろう。これも部室にあったのか?」
様々な角度から描いた生物を隆輔は一枚ずつ丹念に見ていき、
「うまいな」
とつぶやいた。
そのスケッチブックが学校ではなく病室から持ち帰ったものであることも、もう1冊は唯斗の姿を描いたものだったことも、今は黙っておこうと思った。
「リュウはどう思う? 樫村のゲームと、今俺達がいるこの状況について。広樹の推理どおり、樫村が俺達に何か暗示みたいなものをかけたんだと思うか?」
隆輔はスケッチブックをめくる手を止め答えに惑う様子だったが、嘆息し首を振る。
「俺にはわからない。ただ、樫村が何か悪意を持って俺達をどうこうしたとか、そんなふうにはやはり考えられない。理由も方法もわからないし、何よりあの怪物は幻覚なんかじゃないリアリティがあった」
「俺もそう思う。暗示とかいうより、この世界がゲームの中に取り込まれてしまったっていう方が、なんだかしっくりくる」
「そうだな。そんなことが現実にあるとは信じられないが、実際俺達は今ここで体験している。ただ……」
「ただ……?」
「もしも、樫村の作ったゲームの世界が現実になったとか、逆に俺達が入り込んじまったとか、そういうSFチックなことが本当に起こったんだとしても……あいつに対して、どういうわけだか怒りを感じない」
唯斗は頷いた。自分も同じ思いだった。
仲間やもしかしたら家族でさえ、彼がもたらした何かが原因でいなくなってしまったかもしれないというのに、広樹のように当然の怒りが湧いてこないのだ。
「昨日、言っただろう。こんなことになったのは俺のせいかもしれないって」
隆輔の低い声はまるで懺悔でもするようで、伏せ目がちに俯いた相手を唯斗は思わず見返した。
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