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第35話
「諸君、いい加減起きたかな?」
襖戸が開き、眠そうに目をこすりながら顔を覗かせたのは広樹だ。いつも爽やかな彼にしては顔色も冴えず、疲れているように見える。
「なんか今朝は寝覚めが悪いよ。疲労感も半端ない。一体どうしたんだろうな」
訝しげに肩をすくめる広樹を、唯斗はまじまじとみつめる。
他の連中と違い敏感で勘の鋭い彼は、少しだけ例の世界の記憶の欠片が残っているのかもしれない。
「ヒロ、おまえも覚えてないのか?」
「ん、何を? ユイも少し顔色が悪いな。大丈夫?」
伸ばそうとした指を唯斗に拒まれる前に、広樹はらしくなく苦い顔で引っ込めた。いつもなら「俺が看病してあげようか?」くらいの軽口は叩くところだ。
「やめた。どうしたわけか急に、ユイに関しては全く望みがないような気がしてきたよ。勝ち目のない勝負はしない主義なんだ、俺は」
あっさりと微笑む広樹の肩を、
「賢明だな」
と、隆輔が軽く叩いた。
「ちょっ、マジで!?」
和彦がいきなり声を張り上げ、全員がギョッとそちらを振り向く。
布団を放り出しスマートフォンを覗き込み、和彦は勘弁してくれという驚きの声を上げる。
「同じクラスのヤツが昨日の夜死んだんだと。明後日葬式で、クラス全員参加だってよ」
「えーっ、マジで死んじゃったんスか? 交通事故とかっスか?」
身を乗り出す勝に和彦は片手を振り、
「ずっと病気で入退院繰り返してたんだよ。樫村ってヤツ」
「樫村!?」
唯斗と隆輔が同時に声を上げ、他の全員がびっくりして2人を見返る。
「まさか、樫村祐二か? 死んだだと? 間違いないのか?」
「入院してたっていつからだよっ? あんなに元気だったのに、そんなわけないだろ!」
和彦は2人の剣幕に呆気に取られ、思わず一歩下がる。
「や、担任からのメールだぜ? いくらなんでも朝っぱらからそんなブラックジョーク飛ばさないっしょ。入院してたのはここ3ヶ月くらいじゃね? つぅかさ、おまえらのその食いつきっぷりって何? あのホラーオタクとどういう接点あったわけ?」
2人とも、一瞬答えをためらった。説明するにはあまりにも長く、悲しい話だ。
そしておそらく、誰にも信じてはもらえない。
「あいつのことは、よく知ってる」
数秒の間をあけて、隆輔がそれだけ答えた。
あまりにも漠然としたそっけない答えに、和彦はわけがわからないといった具合に肩をすくめ眉を寄せる。
亡くなったのは昨日だと言った。だとすると、もしかしたら彼の最後の願いが聞き届けられ、奇跡が起きてあの世界が作り出されたのかもしれない。
一緒に戻ろうと言った唯斗に彼が頷かなかったのは、もう帰れないことを知っていたからなのか。
たった3日の、それもこの世界ではない別の世界での付き合いだ。しかしあの世界での樫村祐二は唯斗にとっては生身の、本当の樫村祐二そのものだった。
現実では一年前駅で手を貸したきり一度も話したことなどないのに、今の唯斗は彼をよく知っている。
入院していた病院は、おそらくあの総合病院だろう。何かに導かれ、たどりついたあの405号室で、彼は闘病生活を送っていたのだ。
唯斗はあわてて部屋の隅に置いてあるバッグの中を確認する。そこに入れたはずのスケッチブックは、やはり忽然と消えてなくなっていた。
それでも、樫村が毎日病室で想像力を駆使して絵を描いて過ごしていたことを、今の唯斗はちゃんと知っているのだ。
いつもどこか自信なげな頼りない微笑みが脳裏に甦り、唯斗は一瞬瞼を伏せた。
「カズ、葬儀には俺とリュウも行く」
重々しい声で唯斗が告げ、当然とばかりに隆輔が頷いた。
真剣な2人の表情に、和彦はさらに目を丸くする。
「テツ、おまえ本当に、覚えてないのか?」
いきなり唯斗に振られた哲也は、当惑しきった様子で真ん丸の瞳を見開いた。
「え? カシムラさん、ですか? 自分知らないですよ、その人」
「そうか……」
覚えていない方がいいのかもしれない。もしも思い出してしまったら、きっと哲也も胸を痛めるだろう。そしてそれはおそらく樫村の望むところではない。
「ユイさーん、皆さん、まだ寝てんですかー? 時間ですよー」
戸を遠慮がちにノックする音と共に、声が聞こえた。呼びに来た1年生だ。
「今行くよ!」
声をかけ時計を見上げた。8時。
戻って来た現実の世界の時間が、また再び動き出す。
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