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ただ、触れたくて 7

 雨はとっくに止んでいた。  しかし僕の心には、土砂降りの雨がまだ降り続けていた。 「どうして……どうしよう……どうしたら?」  ハァハァと息を切らせて、波打ち際をひた走った。  びしょ濡れだった身体からは、涙が飛び散っていた。  どの位、逃げるように走っただろうか。  息が切れて、とうとう立ち止まってしまった。  振り向いても誰もいない、駿はいない。  僕ひとりだった。 「ごめん……駿、僕はどうしたらいいのか、分からなかった」  夕暮れ色に美しく染まるトンネルから逃げて、潮風に濡れる目元をそっと拭った。  キスされそうになって、駿のことを突き飛ばしてしまった。  駿からの突然の告白に驚いて……  駿……僕もね……駿が大好きだ。  きっと出会った時から、ずっと、ずっと。  でもね……  親友で幼馴染み、同級生で……男同士。  僕たち……男同士だよ?  跳ぶハードルが高すぎて、安易に頷けなかった。  どうか――どうか許して欲しい。  僕の戸惑いは波に押され、引き上げたはずの涙が、またはらりと風に泳いだ。 「ただいま……」 「想、遅かったわね。まぁ! びしょ濡れじゃない。どうして真っ直ぐ帰って来なかったの?」 「……」 「いいから着替えていらっしゃい」  部屋に戻って鏡を見ると、泣き腫らした目をしていた。  そのままじっと駿が欲しいと言った唇を見つめた。  これは、ただの男の唇だ。  駿……本当にここが欲しかったの?  洗面所で顔を思いっきり洗い、心を調えてリビングに行くと、珍しくお父さんが帰っていた。何かあったのかな? 「想、ここに座りなさい」 「……はい」  何を言われるのか緊張した。すると―― 「実は秋から海外赴任することになった」 「え?」 「だから想も一緒に行ってくれるか。受験前で申し訳ないが。一人息子のお前を置いては行けないよ」  突然の引っ越しを告げられた。  行き先は遠く、アメリカだった。  翌日からすぐに夏休みに入ってしまい、あれから駿には一度も会っていない。連絡もなく、連絡もしていない。  僕は両親に海外へ行くことを了承したので、今日は荷造りをしている。 「想、今日中に詰めないと間に合わないわよ」 「……うん」 「想、本当にいいの? 皆とお別れすることになって……今からでもおばあちゃんに預かってもらうように頼む?」  そんな選択もあったのか。  しかし今更だ……僕はもう決めたんだ。   「いや、行くよ」 「そう? 夏休みに入ってからずっと元気がないから心配よ」 「……」 「そうだ、駿くんには言ったの?」 「……まだ」 「あんなに仲良かったのに、喧嘩でもしたの? お別れはきちんと伝えないと駄目よ」  自分でついて行くことを決断したくせに、引っ越しの準備がなかなか進まないのには、理由がある。  未練だ。  駿への未練が募っている。  あの日、あの瞬間、僕が駿からの口づけを受け入れていたら、何かが変わっていた? 僕は日本に残りたいと切実に訴えたのかな? 「ふぅ……想……いい加減に女々しいぞ……」  自分を奮い立たせ、段ボールを組み立て、本棚から本を一気に取り出した。  その時、大切な宝箱が床に落ちてしまった。  ガシャンっと音を立て、蓋が飛んで中身が飛び散ると、駿との思い出が一気に溢れてきた。 「こ、これは……」  駿が去年の文化祭でくれたプラスチックの指輪が床に転がっていた。 「駿……ごめん。今の僕は……やっぱり……まだあの告白を受け止めきれずに戸惑うばかりだよ」  しかし、せめてこの指輪だけは連れて行こう!  海を越えた、その先の未来へ。  幼馴染みで親友だった駿との距離も、一気に飛び越えられたらいいのに。  きっと忘れられないのだから――

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