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ただ、触れたくて 8

 あの日から、想に会っていない。  いや怖くて、会えなかったんだ。  薄暗いトンネルの中で俺がしたことを反芻すれば、後悔しかなかった。  想は明らかに動揺し、嫌がっていた。  あの日の俺は……何かに取り憑かれたかのように想の唇を強引に奪おうとした。  同意のないキスなんて――キスではないのに。  ファーストキスは、見事な空振りに終わった。  虚しい、悲しい、寂しい……悔しい。  掴めなかった想の気持ち。  ごめん、ごめんな。  想を驚かすつもりはなかった。  夏休みに入って10日ほど経った日曜日の朝だった。 「おはよう。遅かったわね。あ……そういえば今日ね。想くんのご一家、転勤でアメリカだなんて、あなたも寂しくなるわね」 「えっ‼ 転勤? アメリカ? 今日? かっ、母さん、それマジかよ!」  寝起きの俺に、母が想い出したかのように告げた言葉は青天の霹靂で、耳を疑った。 「あなた、知らなかったの?」 「な……何時の便?」 「さぁ……午前便だって言っていたけど」 「行く!」 「えっ」  もう間に合わない!    それでも想が旅立ってしまった空をこの目で確かめないと。  俺はドタバタと空港へ駆けつけた。   想……!   どうして一言も告げずに行ってしまうんだよ!  あのトンネルで、俺が追い詰めたせいか。  悔しさと後悔が滲んで、展望デッキのフェンスをギュッと握りしめた。  額から流れる汗が目に沁みて視界がぐらりと揺れる中、どんなに探しても青い空と白い雲しか、俺には残っていなかった。   「想……大好きだ!」  俺の思いが想を悩ませ驚かせるだけだったなんて……あの日の告白を取り消したいよ。  もういない君を追った空港で、俺は誓った。  八歳で引っ越してきた想と出会った。  あの日から、ここまで十年だ。  俺はこの先、また想への初恋を抱いていくよ!  十年先も、まだ恋している!  いつかまた会えたら、そこからスタートしたいから。 **** 「想、もう行くわよ。駿くん見送りに来てくれなかったわね」 「……話してないから」 「あら? 喧嘩でもしたの?」 「……いや」 「じゃあ誰を待っているの?」  それは駿だ。    どうして最後に会わなかったのか……渡米するまでに幾日もあったのに。 「もうギリギリよ。想……諦めなさい」 「う、ん……」  飛行機が離陸する振動にサヨナラすら言えなかった、僕の弱い心が揺さぶられた。  駿……ごめん、本当に……ごめん。  あんなにいつも傍にいてくれた君から告げられた言葉が重たくて、逃げるように旅立つことを……許して欲しい。  飛行機の小さな窓の外には青空が広がっている。  快晴だ。  青空のように爽快な君に、空に浮かぶ白い雲のように自然と寄り添うことが出来れば、どんなに良かったことか。  もう戻れない現実だけが、僕を追ってくる。 (駿……駿……)    消え入るような声で君を呼ぶことしか、今の僕には出来なかった。                   『ただ、触れたくて』了

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