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ふたりの初恋 16
想の家の食卓に座るのは、実に10年ぶりだ。
最後にこの家に来たのは、高3になる直前の春休みだったと記憶している。
バルコニーから春の静かな紺青の海を、想と一緒に眺めた。
永い別れが近づいていることも知らず、ただただ淡い恋心を春風に委ねて――
「あ……家具も全部、そのままなんですね」
「そうなのよ。全部貸倉庫に預けて行ったので元通りよ」
「すごく懐かしいです」
無垢のダイニングテーブルはウォールナット材で出来ており、手の平を滑らすと、しっとりとした木の温もりを感じた。俺はこの肌触りが好きで、小さい頃はつい手垢が付くほどベタベタと触っていたよな。
想のお母さんはそんな俺を咎めもせず、ニコニコと見守ってくれた。
俺の家は、俺も含め、みんなざっくばらんとしていて、インテリアに拘るような家ではなかったので、見る物も口にする物も、何もかも珍しかった。
「……よかった。駿くんがまたそこに座ってくれて」
「あ、あの……この10年、ご無沙汰してすみませんでした。空港にも見送りにも行けず、想とすっかり疎遠になって」
おばさんの優しい声に感極まり10年分の後悔が溢れ、思わずガバッと頭を下げると、驚かれた。
「まぁ何を言うの? それはお互い様よ。こちらこそごめんなさいね。そして……また想と出逢ってくれてありがとう」
―― 想と出逢ってくれてありがとう ――
今、本当にそう言ってくれたのか。
おばさんは……俺と想のことを赦してくれるているのか。
俺と想が、初恋を続けていくことを。
「まずはゆっくり10年分の時を埋めてね。さぁ食事の支度をするわ」
「ありがとうございます。そうしたいと思っています」
「それがいいわ。焦ってしまうと転んだ時に思わず大怪我をするものよ。ゆっくり丁寧にやっていけば、転びそうになっても誰かが支えてくれたり、転んでも……ゆっくり倒れるので、怪我が少なくて済むものよ」
「はい……」
焦って……焦って……想の心を傷つけたのは俺だ。
もう二度と同じ間違いはしない。
「ふふ、じゃあまずはこれからどうぞ」
「あ、じゃがいものビシソワーズ!」
「想がね、駿くんの好きなものを沢山作ってって言うから。あなたはこれが大好きだったわよね」
おばさんの隣で、想が待ちきれないような可愛い顔をしていた。
「駿、早く飲んでみて。これ……駿が一番初めに僕の家で食べてくれたものだよ」
「あぁよく覚えているよ。冷たいスープなのに、つい、何度もふぅふぅして、皆で笑ったよな」
「そんなこともあったわね。駿くんが来ると、いつも家が明るくなって嬉しかったわ」
出されたスープを、銀のスプーンですくった。
子供の頃、初めてこのスプーンを握った時、なんてピカピカで重たいスプーンなんだろうと驚いた。今はよく磨かれた銀のスプーンを持つのが心地良い。
まるでおばさんと想のようだ。
清らかに真っ直ぐに、いつも絶やさず心を磨いている人。
「美味しい……あぁ懐かしいです」
「そう、良かったわ!」
とても美味しいのに、ふいに泣きたくなる味だった。
小学生の俺と、今の俺がつながっていくのが嬉しくて。
「駿、また遊びに来てくれて、ありがとう」
想を見ると、優しい色の瞳をじわりと潤ませていた。
想の涙……瑞々しくて綺麗だな。
この涙は、幸せ色の涙なんだ。
思わず想の顔に見惚れていると、小さな咳払いがひとつ。
「ええっと、コホン……おばさん、ちょっと台所で次のメニューを仕上げてくるわね。あ、飲み物をまだ出してなかったわ……乾杯しようと思っていたのに」
「くすっ、お母さんってば落ち着いて。僕がビールを取ってくるよ」
今度はおばさんが頬を赤く染めていた。
しまった!
俺、想を見過ぎだ!
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