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歩み出す初恋 8
「想、またすぐに連絡する」
「うん、僕からもするよ」
僕と駿は、ふっと見つめ合う。
目で物語る、視線で会話が出来るようになった。
大好きだ。
僕も好きだよ。
愛している。
僕も愛しているよ。
何度でも何度でもリフレインする愛の言葉が心地良い。
「じゃあ、また」
僕は青い車に乗って、来た道を戻る。
この道は、二度と引き返せない道ではない。
何度でも何度でも、行き交うことの出来る道だ。
そう思える自分がいることが、少し誇らしかった。
「想ってば、行きも帰りもご機嫌ね。また頬が緩んでいるわよ」
「そ、そうかな。ごめんなさい」
「何を謝るの? 息子の幸せそうな顔を嫌がる母はいないわ」
そういうお母さんも声が弾んで、嬉しそうだ。
「お母さん、改めて、今日はありがとう」
「それはお母さんの台詞よ。私も嬉しいのよ。また道が繋がって」
「良かった」
お母さんも同じ気持ちなのだ。
「それにしても、運転が上手になったわね。とても乗り心地がいいわ。想の人生も大丈夫、きっと上手くいくわ」
お母さんが「大丈夫」と言ってくれると、すごく安心出来る。
僕はもう社会人で、いい大人なのに、お母さんの無条件の優しさが溜らなく嬉しかった。
駿の家を出たのは日の沈む前だったのに、途中渋滞にはまり帰宅が少し遅くなった。といっても……まだ夜の七時だが。
「お母さん、着いたよ」
「あら、私ってば……寝ちゃったのね。起こしてくれたら良かったのに」
「気持ち良さそうだったから、勿体なくて」
「まぁ、想ってば。想だってさっきは気持ち良さそうだったじゃない」
「え! い……嫌だな。お母さんってば」
二人で楽しい気分で家に戻ると、部屋の灯りがついていた。
玄関に几帳面に揃えられた靴を見て、驚いた。
こんな時間にお父さんが帰っているなんて、ちゃんと会うのは1週間ぶりだ。
「あら、あなた、今日は早く帰る予定だった?」
「会食が急になくなってね、それより君が出掛けるなんて珍しいな。想と一緒だったのか」
「そうよ、駿くんの所に行っていたの」
「駿……?」
お父さんは10年前も家に殆どいなかったので、駿を覚えていないようだ。
「忘れちゃったの? 青山さんの息子さんよ」
「青山さん……あぁ……あの駿くんか」
お父さんが僕を少しだけ、哀れむように見つめる。
「想は……まだ青山くんを頼っているのか」
「……頼ってはいません。駿は僕の……」
駄目だな、まだこの先の言葉は言えない。
ここは、焦ってはだめだ。
慎重に、丁寧に……道が逸れないように。
「んっ?」
「駿は、僕の大切な親友です」
嘘ではない。大切な友であり恋人だから。
「ふっ、そんなに真顔になって、どうした?」
「あ……」
「今日は具合は悪くないか」
「はい」
「そうか、良かったよ。疲れが出ないように早く寝なさい」
そうか……お父さんの中では、僕はまだ病弱な小さな子供のままなんだ。
お父さんは間もなく中東に単身赴任してしまう。
親子で過ごせる時間は限られている。
だから、今日こそは歩み寄りたい。
逃してはいけない機会だと思った。
「お父さん、今日は夕食まだなんですよね。一緒に食べませんか」
「……珍しいね。想がそんなことを言い出すなんて」
「……お父さんと飲みたくて」
「ほぅ? アメリカにいる時はろくに飲めなかったのに。さては英国で味を覚えてきたんだな」
「えぇ、英国仕込みですよ」
「ふっ、じゃあそうするか」
僕は仕事柄買い込んでいた英国の瓶ビールを、食卓にずらりと並べた。
「お父さん、これ全部飲んだことありますか」
「……そうだな、これだけは知らない」
「じゃあ是非飲んで下さい」
それは僕は英国勤務中に携わったエールビールだった。
お父さんの知らない僕を知って欲しい。
そんな願いを込めて。
「どうですか」
「最初は物足りなくて、儚く頼りない感じだが、その後、ぐっと芯の強い味わいになったぞ」
「それは……僕です」
「え?」
「お父さん、僕も物足りなく頼りないだけでは……もうないです」
思い切って顔をあげた。
いつもお父さんとどう接していいのか分からなくて、俯いてばかりだった僕が。
「……そうか」
お父さんも、僕の顔をじっと見つめてくれた。
思えば、ずっとこんな風に長い時間話すことも、見つめられることもなかった。
「想、いつの間に随分と大人になったんだな。覇気のある顔つきになって……」
お父さんの右手が躊躇いがちに動く。
僕はその手に手を、思い切って重ねた。
「お父さん、赴任頑張ってきて下さい。留守中、お母さんのことは僕が守りますから安心して下さい」
ようやく、ようやく言えた一言。
駿とのことはすぐには明かせないが、僕が言いたかったことの一つを、ちゃんと発することが出来た。
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