60 / 161
もっと、傍に 1
「うぉぉー」
「ど、どうしたの、青山くん?」
「なぁ、どうして、やってもやっても、こんなに仕事があるんだよー!」
デスクの上の山積みの書類と付箋だらけのカレンダーを見て、思わず叫んでしまった。
白い無機質な壁にかかった時計の針は、もう夜の22時を過ぎていた。
「新しいプロジェクトが、それだけ順調だってことでしょ?」」
「それは嬉しいが」
「向こうの会社の、白石さんの発案が冴えてるから、うちの課長もノリノリで、仕事が増えているのよね」
おっと、ここで想の名前が出るとは!
最近は、想も俺と同じ状況に陥っているようで、深夜に電話してもお互いに疲れ果てていた。
……
「……」
「想、起きてるか」
「あ……ごめん。一瞬意識が飛んでた」
「おい、髪ちゃんと乾かしたのか」
「あっ、まだだった」
特有の育ちの良いほわんとした様子は可愛いが、心配にもなる。
「風邪ひくから、早く乾かして来いよ」
「でも……クシュン」
「あ、ほらっ……言うことを聞け」
「ん、分かった」
想は……以前はあっという間に熱を出してしまった。
雪が髪に積もった翌日も、にわか雨に肩が濡れた翌日も、学校に来なかった。
そしてあのトンネルで全身濡れてしまった日が、想を見た最後になった。
あーもしかして……トラウマになっているのか。
俺は想が濡れたままでいることに、臆病になっている。
「駿、僕はそんなに簡単に壊れないよ。向こうで体質改善もしたしね」
「そうなんだけどさ……でもやっぱりもう早く寝ろ」
「……今日は……しないの?」
「え?」
「吐息でキス……」
そ、想って、やっぱり……時々大胆だ!
「するよ、したい!」
想……駿……
お互いの名前を愛情を込めて呼べば、電話を通して吐息を感じ、まるでキスしているような心地になっていく。
あぁ、だが……こんな儚いキスばかりじゃなくて、生身の想に触れたい。
深い深いキスをしたい! もっともっと想に触れたい。
……
「青山くん、私の話、ちゃんと聞いてる」
「あ……なんだっけ?」
やばい、脳内で想に会っていた!
「白石さんって綺麗な顔をしているし、スマートで格好いいよねぇ」
「えっ! ……あぁ」
この場合どう答えていいのか分からず、相槌を打つことしかできないのが情けない。
「……彼女とかいるのかな?」
「お、おい、お前は彼氏がいるだろう。営業の!」
「ふふっ、リサーチよ。私の回りには飢えている女子だらけだもん」
獲物を狩るような目に、ぞわわとした。
「もう、そろそろ帰れよ」
「そうだね。でも、こんな時間になっちゃった。青山くん、駅まで送ってよ」
はぁ、同期の女子って、人使いが荒いし容赦ないな。
「はいはい、駅までだぞ」
「ありがとう。駅前の繁華街ってちょっと苦手。この時間お酒飲んで酔っ払っている人が多くて絡まれるから」
「……確かに」
俺はもうこの先、想一筋だが、この場合は、同期の男として駅まで送るのは筋だと思った。
確かに繁華街の道は酔っ払いに絡まれることも多く、危ない雰囲気だ。
「もう、皆、お酒臭いなぁ」
「ほら、駅だぞ」
「青山くんは? まだ帰らないの?」
「やっぱりもう少しやっていくよ。週末に出社になるのは嫌だからな」
「最近、仕事熱心なのね」
「まぁな」
駅の改札で同期女子を見送って、もう一度新宿駅付近の繁華街を通り抜けた。
「あれ……?」
そこで俺は視界の端に、スーツ姿の想の姿を捉えた。
想は背筋を伸ばして座っていた。
その顔色は冴えなく、明らかに付き合いで飲まされている様子だった。
あの馬鹿っ! 残業だけではなく、こんなことまで付き合わされていたのかよ!
相手の顔を見ると、知らないヤツだった。
想が仕事絡みに付き合いといっても、俺と知らないヤツと飲んでいるのは嫌だな。
って、心狭すぎか。
「白石くん、じゃあまた飲みながら話そう」
「今日はありがとうございます。……課長」
やはり上司と飲んでいたのか。
想が店の前で上司と別れたので、声をかけようと近づいた。
だが、その前に人影が横切った。
「ねぇねぇ君さぁ、さっきから見ていたんだけど、すごく可愛いね。俺と一緒に飲まない?」
「え?」
「ほら、行こうよ。あっちにいい店があるんだ」
「いえ、結構です」
「いいから、いいから」
酔っ払いが想の腰に手を回して、強引に距離を詰める。
俺の想に、気安く触れんなよ!
ピキッときた。
「おい、行くぞ!」
俺はその場に割り入り、想の手首を掴んでズンズンと歩き出した。
想は俺を見上げて目を丸くしていた。
「しゅ、駿! なんで……ここに?」
「隙を見せんな」
駆け足で繁華街を抜けると、想が息苦しそうな声を出した。
「ごめん! 歩くの早かったか」
「はぁ……はぁ……大丈夫……でも驚いたよ。駿に会えるなんて……嬉しいよ」
想が明らかに甘えているのが伝わってきて、思わずすっぽりと抱きしめてしまった。
「しゅ、駿……ここは人が」
「そんなこといってられるか! 心配かけて!」
「……ごめん」
「ああ言うの、よくあるのか」
「……たまにね……あっ、でもちゃんと断っているから大丈夫だよ」
だ、大丈夫じゃねーよ!
と叫びたくなってしまったが、それよりも今は俺に甘える想を、もっと甘やかしたい。
「想、すごく会いたかった」
「苦手な接待を頑張ったご褒美かな? まさか……駿に平日に会えるなんて……」
コトンと想が俺の肩に額を預けて、ふぅっと安心したように息を吐いた。
「駿……会えて……嬉しい」
ともだちにシェアしよう!