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もっと、傍に 1

「うぉぉー」 「ど、どうしたの、青山くん?」 「なぁ、どうして、やってもやっても、こんなに仕事があるんだよー!」  デスクの上の山積みの書類と付箋だらけのカレンダーを見て、思わず叫んでしまった。  白い無機質な壁にかかった時計の針は、もう夜の22時を過ぎていた。 「新しいプロジェクトが、それだけ順調だってことでしょ?」」 「それは嬉しいが」 「向こうの会社の、白石さんの発案が冴えてるから、うちの課長もノリノリで、仕事が増えているのよね」  おっと、ここで想の名前が出るとは!  最近は、想も俺と同じ状況に陥っているようで、深夜に電話してもお互いに疲れ果てていた。 …… 「……」 「想、起きてるか」 「あ……ごめん。一瞬意識が飛んでた」 「おい、髪ちゃんと乾かしたのか」 「あっ、まだだった」  特有の育ちの良いほわんとした様子は可愛いが、心配にもなる。 「風邪ひくから、早く乾かして来いよ」 「でも……クシュン」 「あ、ほらっ……言うことを聞け」 「ん、分かった」  想は……以前はあっという間に熱を出してしまった。    雪が髪に積もった翌日も、にわか雨に肩が濡れた翌日も、学校に来なかった。  そしてあのトンネルで全身濡れてしまった日が、想を見た最後になった。  あーもしかして……トラウマになっているのか。  俺は想が濡れたままでいることに、臆病になっている。 「駿、僕はそんなに簡単に壊れないよ。向こうで体質改善もしたしね」 「そうなんだけどさ……でもやっぱりもう早く寝ろ」 「……今日は……しないの?」 「え?」 「吐息でキス……」  そ、想って、やっぱり……時々大胆だ! 「するよ、したい!」  想……駿……  お互いの名前を愛情を込めて呼べば、電話を通して吐息を感じ、まるでキスしているような心地になっていく。  あぁ、だが……こんな儚いキスばかりじゃなくて、生身の想に触れたい。  深い深いキスをしたい! もっともっと想に触れたい。 …… 「青山くん、私の話、ちゃんと聞いてる」 「あ……なんだっけ?」  やばい、脳内で想に会っていた! 「白石さんって綺麗な顔をしているし、スマートで格好いいよねぇ」 「えっ! ……あぁ」  この場合どう答えていいのか分からず、相槌を打つことしかできないのが情けない。 「……彼女とかいるのかな?」 「お、おい、お前は彼氏がいるだろう。営業の!」 「ふふっ、リサーチよ。私の回りには飢えている女子だらけだもん」  獲物を狩るような目に、ぞわわとした。 「もう、そろそろ帰れよ」 「そうだね。でも、こんな時間になっちゃった。青山くん、駅まで送ってよ」  はぁ、同期の女子って、人使いが荒いし容赦ないな。 「はいはい、駅までだぞ」 「ありがとう。駅前の繁華街ってちょっと苦手。この時間お酒飲んで酔っ払っている人が多くて絡まれるから」 「……確かに」  俺はもうこの先、想一筋だが、この場合は、同期の男として駅まで送るのは筋だと思った。  確かに繁華街の道は酔っ払いに絡まれることも多く、危ない雰囲気だ。 「もう、皆、お酒臭いなぁ」 「ほら、駅だぞ」 「青山くんは? まだ帰らないの?」 「やっぱりもう少しやっていくよ。週末に出社になるのは嫌だからな」 「最近、仕事熱心なのね」 「まぁな」  駅の改札で同期女子を見送って、もう一度新宿駅付近の繁華街を通り抜けた。 「あれ……?」    そこで俺は視界の端に、スーツ姿の想の姿を捉えた。  想は背筋を伸ばして座っていた。  その顔色は冴えなく、明らかに付き合いで飲まされている様子だった。  あの馬鹿っ! 残業だけではなく、こんなことまで付き合わされていたのかよ!  相手の顔を見ると、知らないヤツだった。  想が仕事絡みに付き合いといっても、俺と知らないヤツと飲んでいるのは嫌だな。  って、心狭すぎか。 「白石くん、じゃあまた飲みながら話そう」 「今日はありがとうございます。……課長」  やはり上司と飲んでいたのか。  想が店の前で上司と別れたので、声をかけようと近づいた。  だが、その前に人影が横切った。 「ねぇねぇ君さぁ、さっきから見ていたんだけど、すごく可愛いね。俺と一緒に飲まない?」 「え?」 「ほら、行こうよ。あっちにいい店があるんだ」 「いえ、結構です」 「いいから、いいから」  酔っ払いが想の腰に手を回して、強引に距離を詰める。    俺の想に、気安く触れんなよ!  ピキッときた。 「おい、行くぞ!」  俺はその場に割り入り、想の手首を掴んでズンズンと歩き出した。  想は俺を見上げて目を丸くしていた。 「しゅ、駿! なんで……ここに?」 「隙を見せんな」  駆け足で繁華街を抜けると、想が息苦しそうな声を出した。   「ごめん! 歩くの早かったか」 「はぁ……はぁ……大丈夫……でも驚いたよ。駿に会えるなんて……嬉しいよ」  想が明らかに甘えているのが伝わってきて、思わずすっぽりと抱きしめてしまった。 「しゅ、駿……ここは人が」 「そんなこといってられるか! 心配かけて!」 「……ごめん」 「ああ言うの、よくあるのか」 「……たまにね……あっ、でもちゃんと断っているから大丈夫だよ」  だ、大丈夫じゃねーよ!  と叫びたくなってしまったが、それよりも今は俺に甘える想を、もっと甘やかしたい。 「想、すごく会いたかった」 「苦手な接待を頑張ったご褒美かな? まさか……駿に平日に会えるなんて……」  コトンと想が俺の肩に額を預けて、ふぅっと安心したように息を吐いた。 「駿……会えて……嬉しい」    

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