70 / 161

ラブ・コール 3

 ミーティングのための書類を抱えて、廊下を歩き出した時だった。  胸元のスマホが震えた。  誰だ? こんな朝から。    すぐに脳裏に浮かんだのは、疲れ果てた想の顔だった。  このコールは、おそらく想からのSOS。  そう直感し、電話番号もろくに確認せずに「今、行く!」と叫んでしまった。 「ふっ、流石だな、青山」 「え? 誰だ?」 「菅野だよ、菅野良介」 「え? あ、どうした?」 「実は日比谷のホテルで白石が具合が悪くて倒れていて……今、医務室に運んだところなんだ」 「え!想はっ、想は無事か」 「あぁ今は眠っている。貧血だと思う。今日何か大きな仕事なんだろう? 青山に会えたら元気が出ると思って連絡したんだけど、余計なお節介だったらごめん」 「ありがとう! 想と俺の心中を察してくれて」  あぁ……そうだ。  菅野は高校時代から、リーダーなのに威威張らず出しゃばらず、いつも明るく、さり気ない気遣いが出来る男だった。 「いや、俺にも白石みたいに我慢強い親友がいて……彼から学んだことなんだ」 「そうなのか、とにかくホテルの医務室にすぐに行くよ」 「でも仕事は?」 「誠心誠意で突破する!」  すぐに上司に「日比谷のホテルに先に向かいたい」と直談判した。「理由は?」と聞かれたので「今日の新作発表会を成功させるためです!」と言い切ると、笑って背中を押された。 「ミーティングはオンラインで参加しながら行けばいい。タクシーを使っていいぞ」 「あ……ありがとうございます」  新宿の会社から日比谷のホテルに到着する間にミーティングは終わり、俺はタクシーを下車した途端、一目散に走り出した。  想……  無理したな。  頑張ったな。  今すぐ行くよ!  医務室に飛び込むと、青ざめた顔で眠っている想の横に見知らぬ男性が座っていた。 「あ……すみません。想は……想は無事ですか」 「良かった。あなたが駿くんですか」  彼は同じ男性なのに……なんというか……すずらんの花のように可憐で清楚で魅力的だった。 「あの……あなたは、どなたですか」 「よう! 青山」 「菅野、えっと……」  背後から話し掛けられて、あたふたしてしまう。 「俺の同僚の葉山だよ。白石が具合が悪いのにいち早く気付いて俺を呼んでくれたのさ。そんで俺が青山を呼んだってわけ。さぁもうすぐ起きそうだぞ、バトンタッチしよう」  医務室のクリーム色のカーテンの中で眠る想を、優しく抱き寄せた。  俺の想だ。  宝物を見つけたように、胸が高鳴っていく。  こんなにやつれて……  相当……頑張ったんだな。  偉かったな。  本当は今だってけっして丈夫ではないことは、想のお母さんから密かに聞いていた。身体が弱いのに頑張って頑張って……ここまで来たんだ。    俺からのラブコールは、いつも届いていたか。  夜な夜な想に送り続けた愛の言葉は聞こえたか。  俺の抱擁で息を吹き返すように目覚めた想は、その後の新作発表会を堂々とこなした。  想のスマートな見た目、英国仕込みの端正な身のこなしは、そのまま新作ビールのモデルになりそうだと絶賛されて鼻が高いような、誰にも見つからない所に隠してしまいたいような……複雑な気持ちに陥る自分に苦笑してしまった。  俺も壇上で紹介された。  社員コンペでネーミングを募集して、俺のアイデアが採用されたから。  ~ 日本発、英国仕込みエールビール『ラブ・コール』 ~  想と俺は、発表後の試飲パーティーで、濃密でふくよかな香りと味わいのエールビールで乾杯した。 「想は、一口だけだぞ」 「うん……明日があるからね」 「想、お疲れ様、そして成功おめでとう」 「ありがとう、駿もお疲れ様。成功おめでとう」    想がグラスを傾け、ふわりと柔らかく微笑む。    宴会場のシャンデリアの下に立つ想を俺は目を細めて、見つめ続けた。   「駿との共同作業が嬉しくて頑張り過ぎてしまったけれども、悔いはないよ」 「さっきは心配したぞ」 「……それは、ごめん」 「一緒に帰ろう、送るよ」 「あ、その前にホテルの花屋さんに寄っても?」 「もちろん!」  俺と想は肩を並べて、颯爽と宴会場を後にした。   

ともだちにシェアしよう!