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ラブ・コール 3
ミーティングのための書類を抱えて、廊下を歩き出した時だった。
胸元のスマホが震えた。
誰だ? こんな朝から。
すぐに脳裏に浮かんだのは、疲れ果てた想の顔だった。
このコールは、おそらく想からのSOS。
そう直感し、電話番号もろくに確認せずに「今、行く!」と叫んでしまった。
「ふっ、流石だな、青山」
「え? 誰だ?」
「菅野だよ、菅野良介」
「え? あ、どうした?」
「実は日比谷のホテルで白石が具合が悪くて倒れていて……今、医務室に運んだところなんだ」
「え!想はっ、想は無事か」
「あぁ今は眠っている。貧血だと思う。今日何か大きな仕事なんだろう? 青山に会えたら元気が出ると思って連絡したんだけど、余計なお節介だったらごめん」
「ありがとう! 想と俺の心中を察してくれて」
あぁ……そうだ。
菅野は高校時代から、リーダーなのに威威張らず出しゃばらず、いつも明るく、さり気ない気遣いが出来る男だった。
「いや、俺にも白石みたいに我慢強い親友がいて……彼から学んだことなんだ」
「そうなのか、とにかくホテルの医務室にすぐに行くよ」
「でも仕事は?」
「誠心誠意で突破する!」
すぐに上司に「日比谷のホテルに先に向かいたい」と直談判した。「理由は?」と聞かれたので「今日の新作発表会を成功させるためです!」と言い切ると、笑って背中を押された。
「ミーティングはオンラインで参加しながら行けばいい。タクシーを使っていいぞ」
「あ……ありがとうございます」
新宿の会社から日比谷のホテルに到着する間にミーティングは終わり、俺はタクシーを下車した途端、一目散に走り出した。
想……
無理したな。
頑張ったな。
今すぐ行くよ!
医務室に飛び込むと、青ざめた顔で眠っている想の横に見知らぬ男性が座っていた。
「あ……すみません。想は……想は無事ですか」
「良かった。あなたが駿くんですか」
彼は同じ男性なのに……なんというか……すずらんの花のように可憐で清楚で魅力的だった。
「あの……あなたは、どなたですか」
「よう! 青山」
「菅野、えっと……」
背後から話し掛けられて、あたふたしてしまう。
「俺の同僚の葉山だよ。白石が具合が悪いのにいち早く気付いて俺を呼んでくれたのさ。そんで俺が青山を呼んだってわけ。さぁもうすぐ起きそうだぞ、バトンタッチしよう」
医務室のクリーム色のカーテンの中で眠る想を、優しく抱き寄せた。
俺の想だ。
宝物を見つけたように、胸が高鳴っていく。
こんなにやつれて……
相当……頑張ったんだな。
偉かったな。
本当は今だってけっして丈夫ではないことは、想のお母さんから密かに聞いていた。身体が弱いのに頑張って頑張って……ここまで来たんだ。
俺からのラブコールは、いつも届いていたか。
夜な夜な想に送り続けた愛の言葉は聞こえたか。
俺の抱擁で息を吹き返すように目覚めた想は、その後の新作発表会を堂々とこなした。
想のスマートな見た目、英国仕込みの端正な身のこなしは、そのまま新作ビールのモデルになりそうだと絶賛されて鼻が高いような、誰にも見つからない所に隠してしまいたいような……複雑な気持ちに陥る自分に苦笑してしまった。
俺も壇上で紹介された。
社員コンペでネーミングを募集して、俺のアイデアが採用されたから。
~ 日本発、英国仕込みエールビール『ラブ・コール』 ~
想と俺は、発表後の試飲パーティーで、濃密でふくよかな香りと味わいのエールビールで乾杯した。
「想は、一口だけだぞ」
「うん……明日があるからね」
「想、お疲れ様、そして成功おめでとう」
「ありがとう、駿もお疲れ様。成功おめでとう」
想がグラスを傾け、ふわりと柔らかく微笑む。
宴会場のシャンデリアの下に立つ想を俺は目を細めて、見つめ続けた。
「駿との共同作業が嬉しくて頑張り過ぎてしまったけれども、悔いはないよ」
「さっきは心配したぞ」
「……それは、ごめん」
「一緒に帰ろう、送るよ」
「あ、その前にホテルの花屋さんに寄っても?」
「もちろん!」
俺と想は肩を並べて、颯爽と宴会場を後にした。
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